笑い三年、泣き八年、太鼓たたいて十三年
「それでは、お粗末ながら、一曲ご献上つかまつります」
太鼓で調子を取りながら、節をつけて歌いだす。その唄に、静波の弾く三味線が絶妙な間合いで重なってきた。
一つとさ ひとりのお客はあてにせぬ 親切ぶりして金をとる 金をとる
二つとさ 深い恋路とみせかけて 涙を見せれば嬉しがる 嬉しがる
三つとさ 水も漏らさぬ仲とみせ 睦言かたれば飛び上がる 飛び上がる
四つとさ 欲に目のない我がつとめ 金をとらねば身が立たぬ 身が立たぬ
五つとさ いつも手管の空なみだ 流してみせれば金になる 金になる
「あっはっは、こりゃあいい、こりゃあ愉快な唄だ」
なかば当てつけのようにうたったその唄を、成田屋はいたく気に入った様子だった。終始、愉快そうにはやし立て、笑い声を上げていた。静波も三味をつま弾きながら、ときどきこみ上げてくる笑いをくすっと噛み殺している。廓のなかに拘束され、過酷な生活を強いられている遊女たちの、そんな悲しみを笑い飛ばすかのような手鞠唄である。
「いやありがとう、今のお前の唄をきいて、わたしのなかで、なにかが吹っ切れたような気がするよ。平助さんといったね。今後うちの店へ出入りを許すから、たまに遊びにおいで」
「へい、ありがとうございます」
平助にいくばくかのご祝儀を渡してから、成田屋は、やおら静波のほうへ向き直ると居ずまいを正した。そして一体なにごとかと目をみはる彼女に向かって、開口一番こんなことを言った。
「静波、――いや、ここはあえて、お佳代と呼ばせてもらいますよ」
今度ははっきりと、静波の顔から血の気が引いてゆくのが分かった。彼女はびくっと身をこわばらせると、そのまま視線をふらふらと泳がせた。
「お前は、もうすでに承知していると思うが、今からおよそ七年前、お前の父親と商売で争って、結果お前たちの店を潰してしまったのは、他でもない、このわたしだ」
平助は、もう一度心のなかで、あっと叫んだ。やはり成田屋さんも……。
「わっちは……」
「たのむから今だけは、今だけでいいから、下野屋のお佳代でいてくれないか」
「あ、あたしは」
静波は、廓言葉をあらため、かつて大店の娘だったころの言葉づかいになって呻いた。
「あたしは、なにもそんなこと……」
「隠さなくてもいいんだよ。お前がどんなにわたしのことを恨んでいるか、わたしを呪いながら苦界に身を沈めてきたか、今日までそのことを思わない日はなかった」
静波は、膝の上にそろえた拳をぎゅっと握りしめた。そして固く引き結んでいた口もとからやがて苦しげな嗚咽をもらすと、まるで生まれたての赤ん坊のように、その顔をくしゃっと崩した。
「ああそうです、呪いました、呪いましたとも……。ある日突然、店は藩から御用差し止めとなり、それまで懇意にしてくだすった商い先からも手を引かれ、こちらから注文を取りにうかがっても相手にされず、使用人は一人二人と店を去り、父は妾をつれて出奔、母は病に倒れて亡くなり、幼い二人の弟はどこへ奉公に出されたのやら行く方知れず、そしてあたしは……、木枯らしの吹きすさぶなか女衒に手を引かれて」
声を詰まらせながらそこまで言うと、急に彼女は顔を上げ、成田屋の目をきっと睨みすえた。
「けれど、それがなんだって言うんです? 今さらそんなこと言って、わざわざあたしのお座敷にまで言いにきて、それでどうなるっていうんです? 成田屋さんはそれで少しは気が晴れるかもしれませんが、だけどあたしは……」
「まあ、ちょっと待ちなさい」
静波の鋭い視線にひるむことなく、成田屋が言った。
「わたしはね、下野屋さんと商売で争ったことじたいは今でも後悔していないよ。わたしも、そしてお前の親父さんだって、命がけで御上のご用をつとめてきたんだ。どっちが勝つかなんて、そんなものはときの運だし、ことによってはわたしの店のほうがなくなっていたかもしれないんだ」
成田屋に、まったく悪びれる様子はなかった。静波のほうも、だいぶ心が落ち着いてきたらしく、だまって自分の膝の先を見つめている。成田屋は、ひとつ咳払いしてから話をつづけた。
「下野屋さんが暖簾を下ろすと聞いたとき、わたしはね、あんたの親父さんに援助を申し出たんだ。嘘じゃない。同じ商売をする仲間として下野屋さんにはまだまだ頑張ってほしかったし、わたしには助けてやれるだけの余裕もあった」
「う、嘘よ……、お父つぁんはずっと成田屋さん、あなたのことを人の心を持たない冷血漢だと言って恨んでいたわ。傾きかけたお店に、追い打ちをかけるような人だって……」
「いや違う、そうではない」
「そうよ」
「――では言おう」
成田屋は、ゆっくりと腕を組んで目を閉じた。そして、一度なにごとかを言いかけて思いとどまり、しかしついにはため息とともに言葉を吐き出した。
「下野屋が潰れた本当の理由は、御用をしくじって商いが細ったからなんかじゃない。そのことによって、用人と結託して藩の公金を横領していたことが発覚したからなんだ」
「嘘よっ!」
「これは嘘ではないのだよ。また、お前の父親は妾をつれて出奔などしておらん。――牢につながれ、獄死したのだ」
「なんてこと言うの。あんたの言うことなんか信じるもんですか! ええ、ええ、けっして信じるもんですか!」
「下野屋にいた三人の番頭を糾してみれば分かることだ。みな口をそろえて同じことを言うだろう」
静波は、いやいやをするように首を振った。
「嘘よ……嘘だわ……、だいいち番頭の弥一朗も、清次も、仁輔も、今じゃどこでどう暮らしているのかさえ分からないのに……」
成田屋が、閉じていた目をゆっくりとあけた。
「三人とも、うちの店で働いてもらっている」
「……え?」
「下野屋が取り潰しにあったとき、わたしはそこで働いていた者をできるだけ多く抱えることにした。親切心や、まして慈悲の心からではないよ、これもひとつの縁に違いないと思ったからだ。優秀な人材を野に埋もれさせておくのはあまりにも惜しい。わたしの店へきて存分に働いてもらえば、それは取りも直さずお互いのためになることだ」
驚いて何も言えない静波に向かって、成田屋はさらに驚くべきことを言った。
「それとお前の二人の弟な、新太郎と亀吉だが、奉公に出されたのではなく、上方にいるわたしの弟の養子となっている。ちょうど弟夫婦には子がなかったので、将来は兄弟二人で力をあわせ店を継いでもらうと喜んでいた。二人とも腕白ざかりだが、ちゃんと元気にやっているよ」
静波は、がんと頭をなぐられたような気がした。なにも言えず、なにも考えられず、ただ金魚のように口をぱくぱくさせている。そんな彼女に向かって、成田屋は慈愛に満ちた笑顔を向け、優しく諭すように言った。
作品名:笑い三年、泣き八年、太鼓たたいて十三年 作家名:Joe le 卓司