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マフラー(~掌編集・今月のイラスト~)

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「そこいらへんだよ」
 彼女の最初の一言はきつい調子だった、しかし、その手には二つのプラスチックカップ。
「せっかくコーヒーを二つも買ってきたのにいないんだから……すっかり冷めちゃったわ」
「……ごめん……」
 カップは二つとも手付かずだった。
 俺達の経済状態ならコーヒー一杯だって無駄には出来ないのに……。
 俺は彼女の隣に腰掛けると、首からマフラーを外し、彼女の首に巻こうとした、すると彼女は俺の手を押し止め、一方の端を自分の首に、もう一方を俺の首に巻いた。
「こうすれば二人ともあったかいじゃない」
「ああ。そうだね……コーヒーもらっていい?」
「もちろん……そのつもりで買ってきたんだから」
「まだちょっとだけ暖かい」
「そうね……でも、マフラーの方が暖かいわ」
 俺達は互いを見つめあいながらコーヒーを飲み干し……どちらからともなく自然に抱き合って唇を重ねた。
 お互いの体温がお互いを暖め合い、一本のマフラーはお互いの距離を縮めてくれた。
 3ドルのマフラーと二つで2ドルのコーヒー……。
 それは、俺達はお互いがお互いを必要としていることを改めて教えてくれた……。


 翌日からはまた厳しい相互レッスン、以前にも増して厳しい批評を交し合う。
 しかし、もうギスギスした空気は流れない、お互いが相手のことを本当に思いやっていると信じることが出来るから……。


 その年のクリスマス・イブ、ニューヨークは雪になった。
 しかし歩けないほどの雪でもない、俺達はいつものように公園へ向かおうとしたが、店のオーナーに呼び止められた。
「おい、この雪でもレッスンか?」
「ええ、そのつもりですが」
「今夜は俺に付き合ってもらえないかな? 店も忙しいからディナータイムも手伝ってもらいたいし……実は最近彼女に振られちゃってね、今年のクリスマスの予定は真っ白なんだ」
 オーナーは妻帯していない、ミュージカル俳優への夢を追いかけ、夢破れてからも料理の修業、店のオープン、店の拡大と結婚するヒマもなかったのだ。
 理解あるオーナーの頼み、しかも……現実的な問題として、俺達の食生活はかなり貧しい、必要最低限度と言っても良いくらいなのだ。
 何しろ理解してもらえるとは言ってもオーディションともなれば店を休まざるを得ない、それにレッスンの時間も必要だからランチタイムまでの勤務、夕方から夜にかけてのディナータイムは働いていないから収入は限られる、その中からでも勉強のために舞台を見に行く費用まで捻出しなければならないのだ。
 何かご馳走してもらえるのなら、それは確かにありがたいことだ。

 閉店後も店に残った俺達とオーナー、三人の前には店では最高級の料理……寿司と温かい茶碗蒸し、そして和牛のステーキが並んでいた。
 帰り際にシェフが用意して行ってくれたものだ。

「この時間になると開いている店もあまりないんでね」
 オーナーはそう言ったが、俺たちにとっては作ったり運んだりこそすれ、これまでは口に入ることのなかった料理だ。
「それで……どの辺まで行ってるんだ?」
「オフ・ブロードウェイなら合格まで指は届く所まで来ていると思うんです、指が掛かりさえすればなんとか這い上がれるんじゃないかと」
「ああ……俺が聞いたのはそっちじゃないんだが……」
 オーナーは微笑とも苦笑とも着かない笑みを俺達に向けた。
「まあ、いい、今は恋より夢ってところなんだな」
 
 実際、彼女が欲しい、彼女を抱きたいと言う気持ちはもちろんある、俺の思いあがりでなければ彼女も応じてくれるんじゃないかと思う。
 しかし、俺は敢えてそれを口にはしなかった。
 彼女が好きだ、一人の女性として愛している。
 しかし、夢を追うためのかけがえのないパートナーであり、彼女にとっての俺も同じ。
 二人ともステージに上がれる日が来たら、俺は彼女に『愛している』と告げ、彼女の全てを独り占めしたいと思っている。
 しかし、俺たちが追っている夢は二兎を追いながら掴めるようなものじゃない、それまでは封印しておく、そのつもりだったのだ。

「しかし、実際、この時期になると外は寒いだろう?」
「ええ、まあ、確かに……」
「もし良ければ閉店後の店を使っても良いぞ、もちろん掃除はしてもらうがね……給料も夜のシフトの方が少しだが高いしな」
 願ってもない申し出だった。
 俺達は顔を見合わせると、思わず軽くキスをかわした……オーナーの目の前だと言うことも忘れて……。

「それで良い……夢を追うことも大切だが、大事な人を見失うこともないようにな」
 俺達はオーナーに深々と頭を下げた。
「話はこれまでだ、せっかくのステーキが冷めちゃ台無しだからな」
 とろけるようなステーキと、久々の日本の味は、俺達に新たな活力を与えてくれた。


 三月の初め、俺達はオーディションを受けるために劇場にいた。
 同じステージ、採用されるのは男女一人づつだ。

 そしてこれは俺が受ける最後のオーディションになる。
 父親と約束した期日は三月末まで、このオーディションに落ちたらもう四月までオーディションはない。
 この三年……殊にこの一年でやれるだけのことはやった、今以上にレベルが上がることはないと思えるほどに。
 このオーディションで結果が出ないならば、少しぐらい引き伸ばした所で結果を出せるとも思えない。
 逆に言えば、俺はこのオーディションに合格できる実力を持っているという自負もある。
 これでダメならば運も持ち合わせていないということだ。

 オーディションは淡々と進み、俺と彼女はステップごとに名前を呼ばれ続けた。
 そして最後にステージに残ったのは男女二人づつ……。
 全てのテストを終え、舞台監督がマイクを握った。

「コウイチ、君の歌は素晴らしいな、声も良く通るから台詞も明瞭だし、良く台本を読み込んで役にもなりきっている、とても印象に残ったよ」
 好意的な評だ……。
「ジョン、君の歌も素晴らしい、コウイチは朗々と歌い上げるが、君には持って生まれたリズム感が備わっているな、甲乙つけがたいよ、しかし、台詞回しにはまだ改善の余地があると思う、少し勢いに任せて声を張り上げすぎる嫌いがあるな」
 ジョンは少しうつむいた……ここまでの評ならば俺の方が好意的だ。
「残るはダンスだ、コウイチは動きの隅々にまで神経が行き渡っている、対してジョンだが、歌でも発揮されたように君には天賦のリズム感を感じる、ダンスにもそれは生きているな」
 いよいよ最後の一言だ……、俺もジョンも固唾を飲む。
「現段階での完成度ならばコウイチが一枚上手だと思う、しかし、ジョンが持っているリズム感は魅力だ、初演までの伸び代に期待して我々はジョンを選ぶことにしたよ」

 終わった……。
 とうとう手は届かなかった……。
 しかし、舞台監督の評は的確だ、俺は自分が出来る限界まで自分を磨き上げることが出来たのだ、もちろん、彼女に支えられてだが……天賦の才に敗れ去るのならそれは明らかに俺の限界だ……惜しかった、本当に惜しい所まで来れた……しかし、俺はダイヤの原石ではなかった、そういうことだ……。