マフラー(~掌編集・今月のイラスト~)
「ケイコ、君のダンスは素晴らしかったよ、動きがダイナミックなのに隅々にまで神経が行き届いている、歌と演技にも充分に合格点を与えられるが、歌だけを取ればダイアナだ、アフリカ系特有の張りのある声には魅了されたよ、演技には少しまだ荒さが残るが、ダンスはケイコ以上にダイナミックだった、細やかさでは一歩譲るがね」
そして最後の一言……。
「この役にはソロダンスのパートがある、その見栄えに我々は注目した、ケイコ、この役は君のものだ」
やった!
恵子は俺の胸に飛び込んできた、俺は彼女を振り回し、そしてきつく、きつく抱きしめた。
俺が帰国する日、彼女は空港まで見送りに来てくれた。
三月とは言え、NYはまだまだ寒い、着たきり雀のカーキ色のジャンパーコート、その襟を立てている彼女に、俺は自分の首に巻いていたあのマフラーを託した。
公園のベンチに並んで腰掛けてハンバーガーを齧った時、演技やダンスを語りながら並んで歩いた時、食費を削って見た舞台の帰り道、今見てきたばかりの舞台を熱く語り合った時、同じ夢を抱く二人の首元を一緒に暖めてくれた長いマフラー。
腕を組み、一本のマフラーで繋がっている時、俺は腕を通して彼女の体温を、マフラーを通して熱い心を感じていた。
マフラーを彼女に託す時、俺は彼女に「俺の分までがんばってくれよ」とだけ言った。
愛しているとは言わなかった、思い返せば一度もその言葉を口にした事はなかった。
これが最後のチャンではあった……。
しかし、彼女はその時大きな夢を掴む為の小さなチャンスを得たばかり、迷いを生じさせたくはなかった、俺は彼女への想いを一人で日本に持ち帰ると決めていたのだ。
彼女の瞳が潤んでいるのを見た時、抱きしめてキスしたい衝動に駆られたが、俺はその気持ちをこらえ、ハイタッチだけを交わして彼女に背を向けた。
それから五年が過ぎた。
帰国した俺は程なく演劇専門誌の編集部に職を得て、舞台からではなく客席側から演劇に関わる形で地道に暮らしている。
当然、彼女が端役から脇役へ、準主役へとステップアップし、一年前には主役の座を掴んだ事は知っていた。
しかし、それはあくまでオフ・ブロードウェイでのこと、そこからブロードウェイの主役へとなれば大抜擢だ。
一躍シンデレラガールとなった彼女は日本でも話題となり、一般週刊誌にインタビュー記事が載るまでになったのだ。
写真の彼女は鮮やかな赤いコートを纏っている、くたびれたカーキ色のジャンパーコート姿しか知らない俺にはまぶしすぎるほどの…。
そして五年前は下ろしていた前髪も今はなく、まだ幼さが残る印象は消えて、凛とした大人の女優の顔がそこにあった。
しかし、彼女の首を包んでいるのは、紛れもなく俺が託したマフラー…。
一躍有名になったからと言って、東洋人がブロードウェイで成功し続けられると言う確証はない、大きなステップアップを果たしたことは間違いないが、まだまだ厳しい闘いが続いて行くことは俺よりも彼女がよく知っているはず。
俺と彼女の間でしか通じない、マフラーにこめた彼女のメッセージ。
それは……。
(あなたの分まで頑張ったわよ)と胸を張っているのか。
(まだまだ私は闘い続けるわ)と言う決意を表わしているのか。
マフラーから僅かに覗く彼女の唇が何を語ろうとしているのか、俺にもわからない。
しかし、(あなたを忘れてはいないわよ)と言うメッセージでもあると受け取るのは、俺の勝手な自惚れではないだろう……。
俺はグラビア写真に五年前、空港での彼女の面影を重ねながら、いつまでも眺めていた。
(終)
作品名:マフラー(~掌編集・今月のイラスト~) 作家名:ST