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マフラー(~掌編集・今月のイラスト~)

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「親の許可? そんなの無理に決まってる、あたしは田舎の小さな町の出なの、高校を卒業したら近くの町か、せいぜい最寄りの地方都市で腰掛みたいに就職して、良い人を見つけて結婚する、両親の頭にはそれしかなかったの、東京に出ることすら猛反対されたわ、だから家出同然だったな、片道の切符だけ持って上京したの、幸い十八歳の女の子ならアルバイトには事欠かなかったし……」
 アルバイトの内容はとても訊けなかった、何のスキルも持たない十八歳の娘が、すぐにでも必要な生活費を稼ぐ……出来る事は限られている。
「でも、暮らしていかなきゃならないし、俳優養成学校の授業料も必要だったから」
 それ以上語らないところから察すれば、意に染まない仕事だった事は想像に難くない。
 しかし、そうまでしても彼女は夢に賭けていた。
 親に大学まで行かせて貰い、どこか逃げ道を用意しながら夢を語る俺とは覚悟が違っていたのだ。
「養成学校では歌とダンスを学んだわ、でも主にダンスね、オーディションでまず必要なのはダンスのスキルだから」
 彼女は夢を掴み取るためのヴィジョンもしっかりと見据えていた、本場の舞台に立つ、それがどういうことなのか、それを実現するためにはどうしたら良いのかもしっかり考えていたのだ、いきなりスポットライトを浴びることを夢見ていた俺との違いは覚悟だけではなかった。
「え? 劇団に? だったら演技は勉強して来たのね? 歌もあたしとは段違い、発声からして違うもの」
 それでいて、彼女は俺の得意とするところを認めてくれた、俺と彼女は互いの弱点を補え合える……もちろん、彼女に女性としての魅力を感じなかったわけじゃない、しかし、それ以上に同志として、そして互いの教師として、俺達は互いを必要としていたのだ。

 
 スタジオを借りるような金があるはずもなく、俺達二人の相互レッスンはもっぱら公園のベンチでだった。
「それじゃ全然ダメ、振り付けは憶えましたってだけじゃない」
 彼女は中々手厳しいダンス教師だった。
 しかし確かにその通りだった、そもそも苦手意識が災いしてかダンスの練習が絶対的に不足していたことも否めない。
「歌と同じよ、歌詞とメロディを完全に憶えてからが本当の練習なんだって、あなたがいつも言ってることよ」
 確かに……彼女の台詞回しにも同じことを言ったっけ……。

 季節は春から夏に向かっていた。
 ニューヨークは街中に緑がほとんどない分、公園は広く緑豊かだ。
 俺達は思う存分練習することが出来た、そしてその成果も少しづつ現れて来た。
 俺は全体ダンスで最後まで残れないにせよ、真っ先にステージから降ろされる事はなくなって来た。
 あと少し、あと少しでソロを歌わせてもらえる、そこまで辿りつければ……。
 彼女もコーラスでステージを降ろされる事は滅多になくなった、ダンスはもとより得意、ソロでの歌唱力が認められさえすれば……。

 しかし、その『あと少し』がなかなか超えられない。
 オーディション開始時にはステージに溢れかえっていた受験者が十人程度とまばらになる、その中で選ばれるのは数人だ、そしてそこまで残って来たからにはレベルは高い、その中で目立てないと合格にはならないのだ。
 そして、俺と彼女にはもうひとつ大きな障壁があった。
 それは人種だ。
 差別と言うわけではない、単純に東洋人を求められる作品が少ないのだ。
 同じ位の実力ならば、あるいはこちらが少し勝っていたとしても、それが迷うレベルの差なら白人が、黒人が選ばれる、顔を白く塗って白人に見せかける、黒く塗って黒人の役をやらせる、それよりも最初から白人や黒人を選んでしまったほうが良い……自明の理だ。
 俺たちが役を掴むには、東洋人役があるならばその候補の中で一番にならなくてはいけないし、ないのであれば見た目に少々違和感があってもそれを吹き飛ばす実力、魅力を備えていなければならない。
 早い段階で落とされている時には気がつかなかったハンデ……しかしそれを理由に諦めるわけには行かない。
 焦燥感を、不安を吹き飛ばそうと、俺達は『もう少しだ』と励ましあいながら相互レッスンを続けた。
 
 ニューヨークに秋の訪れは早い。
 春から夏の間は夜になってもそこそこの人出があった公園も、落ち葉が舞うようになると人影もまばらになる。
 俺が持っている防寒着といえばMA-1タイプのジャンパーだけ、彼女はカーキ色のジャンパーコートだけ。
 公園のベンチでのレッスンには寒さが身に沁みるようになってくる、しかも『もう少し』はなかなか乗り越えられない。
 お互いの批評も自然と辛らつになって来る。
 『もう少し』を乗り越えるためには、そこをまず乗り越えなければならないことなどわかっている。
 俺は彼女の歌と演技を重箱の隅をつつくように批評したが、そこに自分自身へのもどかしさ、日に日に深まっていく寒さ、父親と約束した三年の期日が迫ってきていることへの焦りが混じっていなかったと言えば嘘になる。
 彼女は期日こそ区切られていないが、辛い思いには変わりはない、彼女も俺のダンスの隅々にまで細かい注文をつけてくる。
 秋が深まっていくにつれて、これまで二人三脚で頑張って来た俺達の間にも不協和音が響き始めていた。
 
 お互いにイライラを相手にぶつけるようになると、レッスンしても効果は上がらない、むしろやらないほうが良い位だ。
 それは結果に如実に現れた、次のオーディションでは二人とも早々にステージから降ろされてしまったのだ。
 
 オーディションの翌日、俺と彼女は揃って店に出ていたが、仕事上必要な言葉しか交わさなかった、当然相互レッスンもなし……。
 翌日も……そしてそのまた翌日も……。
 
 半ば意欲を失いかけてはいたが、一人でもレッスンしようと俺は重い足を引きずるようにいつもの公園に向かった。
 いつものベンチはそこにある、しかしいつも一緒だった女性の姿はそこにない。
 なんとか奮い立たせた意欲も萎えてしまい、俺は公園を当てもなくほっつき歩いた。
 
 そして気付いた。
 彼女はただ同じ夢を抱く同志と言うだけではない、既にもうかけがえのない存在になっていたことを……。
(今日はもう帰ろう……)
 そう思っていつもは通らない小路を歩いて行くと、フリーマーケットのグループに出くわした、もう店じまいしようと片付けている最中だったが、ある物が俺の眼に飛び込んで来た。
「店じまい?」
「ええ、そうよ、明日またやってるから、良かったら明日来て」
「そのマフラーだけ見せてもらえないかな」
「ええ、もちろんいいわ」
「……これ、いくら?」
「5ドルのつもりだったけど、今買ってくれるなら3ドルでいいわよ」
「ありがとう……貰うよ」

 そっけない薄いグレーのマフラーだったが、その大きさが気に入ったのだ、これがあればニューヨークの冬も乗り切れそうに思えるほどに大きい。
 3ドルを払い、それを首に巻くと少し元気が出て来た、もう三日もレッスンしていない、少しでもやって行かないと……そう思い直していつものベンチを目指して歩き始めた。

 ベンチが見えてきた……そして見慣れた後姿もそこにあった。

「どこほっつき歩いてたのよ」