紅艶(こうえん)
「隆、稔さんの子を身ごもった生徒のことを調べたか? それが判らなければこの事件の真相には辿りつけない」
亡くなった女生徒……それって……
振り返った僕に父は意味ありげに頷く。僕はその意味に気がつくのに時間はかからなかった。すぐにでも名前は調べられる……そう確信した。
「全てはそこから始まったんだ」
父の言葉が重くのしかかった……
僕はそれからもすぐにでも惺子先生に尋ねたかったのだが、学校の行事が色々とあり、纏まった時間が取れないので延び延びとなっていた。グズグズしている間にもう明日からゴールデンウイークという日になってしまった。
その日、僕は遂に惺子先生に言う決意をした。夕食後に離れに向い、声を掛けると
「隆さん、どうしましたか?」
そう言って先生は出て来てくれた。
「どうぞ上がって下さい」
僕は言われて六畳の部屋に案内される。かって何も無かった部屋は今では本棚や机と椅子があり、ちょっとした書斎の雰囲気が漂っていた。
惺子先生は今日はメガネを掛けていて、その姿も良く似合う。どうやら今日行った小テストの採点をしていたらしい。きっと返却は連休後になるのだろう。その後は中間試験がある。
「お仕事中すいません。どうしても訊いて欲しくて無理を言いました。これから僕が言う事で違っていたら指摘して下さい」
そう言うと惺子先生の表情が引き締まった。美しいメガネを掛けたその姿を僕は正直、そのままいつまでも眺めていたかった。でも今日は言わなくてはならない……
「まず、先生と父との関係です。先生が離れの物件を見に来た時のことですが、珍しく父がいました。僕はその時は深く考え無かったのですが、実は重大な事でした。
結論から言いますと、僕は「寿不動産」の車に乗って先生がウチに行くのを見ています。僕は海岸沿いを自転車で走っていました。車は僕を追い抜いて行ったのです。そして帰りですが、僕は海岸沿いのコンビニで漫画を読んでいた。その前を車が帰って行きましたが、その時は寿の小父さんだけでした。つまり、先生は乗っていなかった。なら何処に居たのか? 当然母屋でした。父は家に帰った僕を家に入れない様に、庭先に出て来て、離れに入居者が決まった事を言いました。そして掃除の事を言い出した。
僕は、まんまとその策略に乗り、その日から離れの掃除を始めました。父の計画通りでした。そしてその時先生は母屋の何処かに居たのです。何故か……それは、あるものを父から受け取る用事があったからです。それは稔さんの日記の様なものだったのですね」
惺子先生は大きく瞳を開き驚愕している。六畳の部屋からは月が顔を出していた。
「そこまで判っていたのですね。隆さん凄いですね……やはり私の勘は当たっていました」
僕は続きを言う
「父は、稔さんと親しかったのです。子供の頃から知っていたのでは無いですか? そして稔さんに釣りを教えたのは父だったのでしょう。父は惺子先生のお父様である佐伯教授と実は大学の同窓生だったのですね。二人は友達だったので、その縁で兄も同じ大学へ行き佐伯教授のゼミに入ったのです。
だから、父は稔さんが行方不明になった時に、事件が公になる前にすぐ、稔さんのアパートに赴き日記を持って来たのです。なぜならその日記には稔さんの交友関係が赤裸々に書いてありました。それよりも大事だったのは、惺子先生が頻繁に稔さんのアパートに来ていて、稔さんに色々と注意していたからです。それは教師としては公に出来ない行為だったのでは無いですか? その事実も書いてあった。当日あたりの記述にも東京から姉が来る。と書いてあったのでしょう。それを知っていた父はこの日記を隠す必要があったのです。万が一の事があれば大騒ぎになる、なぜなら事実は絶対に公にしてはならないからです。そしてあの日、あの現場に先生も居たからです!」
そこまで僕が言うと、惺子先生は下を向き、うなだれて聴いている。
「どうして私がこの地に何回も来ていると判ったのですか?」
惺子先生は苦しげに僕に問い正す。それに答えなくてはならない……
「初めて先生と会った時に先生は『桟先ヶ先』と言わないで「花ケ崎」と言いました。この名前は地元の人間で無ければ使わない名前です。そこで僕は実は何回も来た事があるのでは無いかと思いました。全てはそこから疑問を持ったのが始まりです」
この時は口にしなかったが、思えば初めて学校に一緒に行った時、惺子先生は僕よりも先に自転車を走らせていたし、あの日学校帰りにスーパーで買い物をして来た……あのスーパーは通学路からはかなり離れていて、この地に不慣れな人が気軽に寄れる場所にはなかったので、あの日に気がついても良かったのだ。
「そうでしたか、それが疑問を与えてしまったのですね」
「そして、先生は事実を知っていた。警察にも秘密にした事実を……先生はあの場所で稔さんと話をしていたのですね。あそこに居ました。父も居た。そしてもう一人の人もそこに居た。三人で稔さんを説得していました。自殺しないようにと……だが、そこで間違いが起こった。稔さんは崖から足を踏み外して海に転落してしまった。慌てた三人はすぐに下に降りてみたけど稔さんの体は海に流されてしまっていた。そこで、事故として、警察には届け出たのです。そうすれば、警察に詳しい事情を調べられたら困る事があったからです。それは……」
そこまで僕が言うと先生が
「そこから先は私が言います。弟は、ある女生徒を妊娠させて結果として、自殺に追い込んでいたのです。父や理事長の力で騒ぎが表沙汰にならない様にしたのです。私は二人を随分説得したのですが……
あの時も一人で「花ケ崎」に行くと言うので私は東京から来て、鈴目のお父様ともう一人の方と説得していたのです。それが……」
その先はまた僕が引き継ぐ
「表沙汰になると本人はともかく、学校にも迷惑が掛かる。父にとってもそれは由々しき問題でした。なぜなら誠明は父の信用金庫の上得意な顧客だったからです、この事が明らかになると、学校の評判が落ちて生徒が減るのは大問題だったからです。だから普通の事故扱いとして、学校には影響が及ばないようにした」
頷いた惺子先生に僕は決定的なことを言った。
「先生、その場に居たのは寿の小父さんで、その自殺した女生徒は、寿の小父さんの娘さんだったのですね」
「それを知っていたのですね……」
惺子先生は驚き、そして僕の次の言葉を待っていた。
「寿の小父さんの娘さん。貴子さんと言ったそうですが、実はこの貴子さんは稔さんや先生の兄弟だった……
僕の母や寿のおばさん、そして佐伯教授も含めて大学当時、グループで交際していたそうですね。六人は本当に仲が良かった。やがて、卒業して三組のカップルは結婚した。
順番は一番早かったのが佐伯教授、そして僕の両親、最後が実家の家業を継いだ寿の小父さんでした。佐伯教授と僕の両親には子供が生まれた。だが、寿の小父さん夫婦には生まれなかった。色々と調べたそうですが、当時の事ですから原因が良く判りませんでした。
そんな時に佐伯教授夫人が予定外の子供を身ごもった。佐伯教授としても当時は助手で家計は苦しかった。