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紅艶(こうえん)

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 そこで六人はある事を企んだのです。教授の知り合いの産科の医師を巻き込み、佐伯教授夫婦に生まれた女の子を寿の小父さん夫婦に生まれたことにしたのです。つまり、赤ん坊のあっせんです。寿夫婦も喜んだそうですね。
 18年という間は何事もありませんでした。でも事態は稔さんが誠明にやってきて大きく動き出しました。過去の事情を知らない二人は、いつの間にか交際をしていたのです。そして貴子さんは稔さんの子を身ごもった。
 当初は稔さんも喜び、二人は結婚の約束をしたそうです。でもそれを両方の両親に告げると顔色を変えた。当然です。二人は正真正銘の兄妹だったのですから……」

 離れの縁側から月の明かりに照らされて庭の木々が見えている。温かいこの地方なので皐や藤も咲いている。僕の目の前の人はその花にも負けないくらい綺麗な人だ。その人が顔を歪めている。
「二人から真実を聞いた時、目の前が真っ暗になりました。二人共苦しんでいました。私はせめてお腹の子だけでも堕ろすように説得しました。でも聞きいれてくれませんでした。
『どうしても一緒になりたい。子供も産みたい。戸籍上は問題無いのだから、産んで見なければ判らないし、不自由な子なら自分達が一生面倒を見る』そう言ったのです。
 当然、誰一人として賛成するものはいませんでした。それを悲観して貴子さんは自殺してしまったのです。
 あの日、弟も後を追って死ぬつもりで「花ケ崎」に行ったのです。私と鈴目のお父様と寿のお父様と三人で稔を説得していました。でも……弟は発作的に飛び込んでしまったのです」
「私は犯罪者です、罪に問われるべき人間です。すぐに警察に届け出れば捜索して貰えば見つかって助かったかも知れ無かったかも知れないのに、見捨てたのです。実の弟を……それまで、にも問題を起こして来ました。弟の尻拭いは何時も私がやって来ました。それは本当に私にとって嫌な事でしかありませんでした。でも、貴子さんとのことは真剣だったので、私も本当に困惑してしまったのです。結局助けられなかった私は酷い人間です。生きる価値の無い人間です」
 惺子先生はそう言うと涙を流し始めた。僕はハンカチを先生に差し出した。
「涙を拭いて下さい。今言った事は何の証拠もありません。確かに不作為の罪と言うのもあり得るかも知れませんが、例えば転落して即死だったらどうしようも無い訳ですし。稔さんが助かっていたという証拠が無い以上何も証明出来ませんよ先生」
 惺子先生は悲しそうな表情で、黙って僕の言う事を訊いていた。僕は先生に一つだけどうしても確かめたい事があった。
「先生、父と共謀してまで僕に事件を隠そうとしたのは何故ですか? それに途中から真相を解明して欲しいと言った理由を訊かせて下さい」
 僕としてはこの方が大事な事だった。先生は顔をあげると恥ずかしげな表情を浮かべて
「笑って下さい。私、隆さんが学校の成績も良く、しかも勘の鋭い人だと言う事を悟さんやお父様を通じて知っていました。そして実際二月に学校で拝見して見るとその通りだと思いました。そして私は思ったのです。この人が傍にいれば、何時かきっと事件の真相に気がついてしまう。知られてはならない事を知ってしまう……そうお父様と相談したのです。
 それで、私は、最初貴方を誘惑しようとしました。誘惑して貴方を私のものにしてしまえば良いと思ったのです。
 言い換えれば私の色香に迷わせ何でも言う事を聞く人間にしようとしたのです。もうお聞きでしょうが、私はあなたの名付け親です。赤ん坊の頃から貴方は可愛かった。天使だと思いました。だから今回、貴方の全てを私のものにしてしてしまう事は私にとっては本望だったのかも知れません。そうすれば怖いものは無くなり、全ては明らかになることは無いはずでした。
 もうお判りでしょうが、お風呂を戴いた時にわざと忘れ物をして、貴方に持って来て貰いました。私はパジャマのボタンを外して貴方に胸が良く見える様にし誘惑したのです。貴方は私の目論見通りになりそうでした」
 あの時にそんな思いがあったとは正直思わなかった。訊かなければよかった。あのまま誘惑されていれば幸せだった……
「それに、お茶を頼んだ時も実は私は着替えの最中で上半身は何も身につけていませんでした。あの時に隆さんが玄関に下がらなければ、私は貴方に裸身を晒そうと思っていました。あなたが私の裸を見てそれを脳裏に焼き付ければ、必ず貴方は私の意の侭になると思ったのです……私は汚い女なのです……でもどうしても誘惑出来ませんでした」
 先生は苦しそうに事実を言うが僕はどうすれば良かったのだろうか?
「じゃあ、その後で、どうして僕に解明を頼んだのですか?」
 僕としてはそこが訊きたかった。
「それは、あなたが既に事件のことに気が付き始めたと判ったからです。あなたを傍に置いておけば事件ことにどれだけ近づいたが判ります。そして何より、あなたに好意を持ってしまったからです。いいえ好意以上の感情です。おかしいでしょう、ここのつも年上の女がそんな感情を持つなんて……だから打算ずくでの身体の誘惑は出来なかったのです……心の底から貴方を好きになって仕舞ったのです。好きな方の前で汚い女にはなりたく無かったのです」
 惺子先生はメガネを外してその瞳からは大粒の涙を流している。
「一緒に解明してくれれば、少しでも隆さんとお話が出来る。逢う口実が出来る。隆さんが私の居る離れを訪れてくれる……そんな浅はかな考えだったのです。わたしが講師として働き出せば、きっと教師としてしか見てくれなくなる……それは嫌でした。ならば解明を頼む事で、隆さんを自分のものにしてしまいたい……その感情の延長でした」
 先生はうなだれてその場に座り込んでしまった。

 僕はここまで、この美しい人を困らせて、父の行為を暴き、過去の犯罪を暴き、家族を路頭に迷わせ、自分の母校を経営難に追い込み、それでも真実を暴いて、告発しなければならないのだろうか?
 そうでは無い、そうじゃ無いはずだ。真実だけが皆を幸せにすると言う事は無いはずだ……ならば、僕も腹をくくろう。そう最愛の人の為に、虜になったって良いじゃ無いか。僕は勇気を振り絞って告白する。
 「ちっともおかしくなんかありません。だって僕は、全てを知っても先生の事が好きなんです!」
 とうとう告白してしまった。まともに先生の顔さえ見る事が出来ない。心臓が苦しくなる。 僕は先生にお願いをした。
「当初の目的の通り、稔さんの代わりに誠明で講師をして下さい。それが供養になるんじゃ無いですか? あれは事故でした。釣りに行っての事故だったのです」
 恐らく割り切れない考えだと思うが今となっては仕方ないと思う。この先一生、先生はこの想いを持ったまま生きて行かなくてはならないだろう。例えそれが結果だけ見れば、惺子先生の目論見通りになろうとも僕は構わない。

「辛いかも知れませんが、それしか無いと想います。そしておこがましい様ですが、これからは僕が傍についています。そして僕も一生この事実を胸に仕舞って生きていきます。先生が望むならば……」
作品名:紅艶(こうえん) 作家名:まんぼう