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紅艶(こうえん)

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「お父さんが教授をしている大学じゃ無かったのですね」
 僕はそこで、兄の行ってる大学の名を出したが、そんな事情ならば僕でも変えたと思う。現に今だって僕は兄とは違う大学に行こうと思っているのだ。

 小道は林から抜けると一気に海が見えて来る。「ここから先は危険。自己責任で」と書かれた立て札が幾つも目につく。
 岬の先に立つと二百七十度、周りが海となる。絶景と言っても良いと思う。下を見ると断崖絶壁で、かなりの高さがあり、ここから落ちたらまず助からないと思った。
「高いですね。ここから落ちたのですね……もしかしたら、誰かに……いいえ今は言うべきではありませんね。弟が可哀想です」
 惺子先生の瞳が潤んでいた。海からの強い風に着ていたコートの裾がまくれ膝がむき出しになる。髪も風に流されている。
 その姿が僕の心をくすぐる。僕が惺子先生の彼氏とか恋人だったら迷わず抱きしめていただろう。だが、それは今は僕の役目ではない。
「ここで誰かと争ったと先生は考えているのですね?」
 じっと海を見つめていた惺子先生は僕の言葉に
「はい、そう思っています。そうでなければ弟はこんな場所に来はしません。ここに来て一層そう思いました。よしんば、誰かに突き落とされたのでは無いとしてもです……」
 惺子先生としてみれば、そう思いたいのだろうと僕は思った。

「帰りましょう隆さん」
 惺子先生は力なく言うと僕と一緒に帰りの小道を歩いていた。途中で釣り道具を持った人とすれ違った。僕はそのまま行こうと思ったが、気になることがあったので、惺子先生に
「ちょっと確認したい事がありますから、自転車の所で待っていて下さい」
 そう言い残すと取って返し、先程の釣り人に追いつき
「すいません。ちょっとお訊きしたい事があるのですが」
 そう言って歩く足を止めて貰った。
「なんだね?」
 釣りの黄色い帽子を被り、青いベストを着た小父さんは訝しげに僕を見て答えた。
「ここはつり場なんですか?」
 何とも形容しがたい質問だが、釣りをやらない僕にはそうとしか言いようがなかった。
「ああ、朝早くは駄目だが、今の時間あたりから潮の流れが変わるのでこの辺に今ぐらいから来るんだよ」
「そうなんですか、結構な数の方がいらっしゃいますか?」
「うーん、地元の人間だけかな。他所の土地の者は知らないだろうね」
「皆さん、あの突先で釣るのですか?」
「ああ、そうだよ。中には下に降りて行く者もいるけど危険だから上から釣るんだよ。だから潮の流れが需要なんだ」
「落ちた人なんて居るかも知れませんね」
 僕はそう言って恍けると小父さんは
「いたよ、一昨年だったかな若い子が落ちて死んだんだよ。可哀想な事件だったよ」
 小父さんはそう言って暗い顔をした。
「その時、その人は即死だったのですか?」
「さあ、何でも落ちて海に流れたそうだよ」
「そうですか、ありがとうございました」
 僕は小父さんに礼を言って惺子先生の元に急いだ。
「何を訊かれていたのですか?」
 惺子先生は訝しげな表情で僕を見つめている。その表情も堪らない。
「ええ、大した事じゃ無いです、何が釣れるかを訊いたのです」
 僕は返事を曖昧にした。それは未だ口に出しては言えない事だった。特に惺子先生の前では口にするのははばかられた……

 惺子先生の話によると弟さんが亡くなったのは春休みに入ってすぐだという。きちんと一年間の授業を終えた後だったそうだ。
「こちらに来る前に三回忌を済ませてきました」
 そうだったのかと、改めて思う。惺子先生にしてみれば辛い事ばかりだったのだと……
 自転車に乗って家に帰る方向に走って行くと、僕は先を行く惺子先生に
「せっかく此処まで来たのだから、この近くに美味しいコーヒーを飲ませる店があるんですよ。御案内しますからどうですか?」
 惺子先生としてみても、そう言う店の一つぐらいは知っていたほうがこちらでも生活が楽しくなるだろうと思ったのだ。それに先生には未だ尋ねたい事もあった。

 この辺りでは僕が屈指だと思うコーヒーを入れてくれる店は『花ヶ崎』から程無い距離にある。ブレンドも旨いがキリマジェロ等の品名で頼んでも、一級の味を提供してくれる僕のお気に入りの店だ。
 ガラスのはまった木の扉を押して入ると昼前なので幾人もお客はいなかったが、僕が連れて来た連れを見て他の男の客の口が「ほお〜」と動いていた。惺子先生はそれだけ注目を集める容姿なのだ。
「何にしますか?」
 店の奥まった席に座ると、テーブルの上にあったメニューを渡しながら尋ねる。
「そうですね。じゃあキリマンジャロにします」
 この時、惺子先生は実に嬉しそうな表情をした。
「私、キリマンジャロ好きなんです」
 僕の好みと同じだ。やはり僕はこの人に惹かれているのかも知れない。
「キリマンジェロ二つ」
 そう注文を取りに来たお姉さんに言うと顔見知りの彼女は小さな声をして僕の耳元で
「どうしたの? 凄い美人じゃ無い」
 そう言って笑って去って行った。正面の惺子先生を見ると何を言われたか判ったのだろう、何とも微妙な笑顔を見せた。

「美味しいです! さすが隆さんがお薦めのお店ですね。私も此処に来る様にしますね」
 ゆっくりとした動作でコーヒー、カップを口元に運ぶ仕草はそれだけで、一幅の絵になる様な感じだった。
「先生、先ほど弟さんが社交的な性格と言っていましたが、誠明で授業をしていたなら、女生徒から相当人気があったと思うのです。その辺はどう思いますか?」
 僕はコーヒーを飲む間に最初の疑問を尋ねてみた。惺子先生は言い難くそうだったが
「そうですね。詳しくは判りませんが、弟の事を追いかけていた女生徒がいたと言う事は聞いています。でもまさか、それで生き死にに関わる事になるなんて……」
 惺子先生の言う事は最もだと思うが、今の高校生なら判らないと思う。現に僕のクラスの生徒でも妊娠してしまった者がいて騒動になったぐらいだ。
「弟さんは3年も教えていたのですか?」
 ここが肝心だった。もし教えていたなら、3年生にその対象者が絞られると僕は思っていた。進路が決まった後ならば、開放感もあると思うのだ。僕がその時に開放感を味わうかは判らないが……
「はい、受け持ちは三年の文系のクラス三つと二年の文系クラスです。一年は違う先生が受け持っていたそうです。ああ、そういえば言っていませんでしたが、私も古文を教えます。私の場合は一年全部と二年の文系クラスだそうです。隆さんは文系ですか?」
 コーヒーを飲んだせいか、惺子先生が饒舌になってきた。僕としてはこの方が色々な事を訊きやすい。
「そうです。兄とは違う道を生きたいので文系にしました」
「そうですか、兄弟ならその方が良いかも知れませんね」
 そう言って惺子先生は悲しそうな目をしてコーヒーを飲んでいた。

 僕は今日「花ケ崎」の現場に行き、偶然釣り人の小父さんに会って、尋ねて、確信した事があった。
「先生、弟さんは釣りをなされますね? そしてその日はあそこに釣りをしに行っていた!? そうじゃありませんか?」
 僕の断言に惺子先生はうなだれて
作品名:紅艶(こうえん) 作家名:まんぼう