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紅艶(こうえん)

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「この先の『花ヶ崎』と呼ばれている突端です。あそこから落ちたのだそうです。結局海岸に流されて見つけられました。警察の調べでは事故扱いとなりました。でも私は泳ぎが出来ない弟がどうして、あんな危険な場所に行ったのか不思議でならないのです。何か訳があるのか? あるなら、どのような訳なのか、それが知りたいのです」
 惺子先生は僕を見つめながら一気にそこまで語り
「私が父に無理を言って、誠明の理事長にもお願いをして、講師として雇って貰ったのは、真実が知りたかったからです。最悪の場合、単純な事故では無い可能性もあるんじゃ無いかと実は思っています……ああ、ごめんなさい。隆さんには関係無い事でした……すいません」
 惺子先生はそう言ってから無理に笑おうとして、その美しい顔が返って悲しみにくれていた。僕はそんな先生の様子を眺めながらも『自分に出来る事は無いか?』と考え始めていた。

「先生、幾つか訊いてもいいですか?」
 今さっき訊いた事なのに失礼かとも思ったが、この先自分が何か出来るなら是非とも訊いておきたかった。
「はい、何でも訊いて下さい」
 惺子先生に冷静な表情が戻って来た。
「弟さんはこの街に土地勘があったのですか?」
 まずはこの質問だ。土地勘が無いのに『花ヶ崎』まで一人で行くとは思えなかったからだ。それに土地勘があれば、あんな危険な場所に一人で行くとも思えない。
「はい、弟は誠明の講師をしていました」
 驚くべき事実だと感じた。僕が知ってるこの一年では佐伯と言う講師は居ないと思った。続けて惺子先生は
「弟が亡くなったのは一昨年ですから、隆さんが入学する前の年なので、面識は無いと思います」
 「そうですか、じゃあ『花ヶ崎』が危険な場所だと言う事は知っていたのですね」
 ここが肝心な処だと思ったが、それに対して惺子先生は
「私も、そこまでは知らないんです。だからこの地に来て色々と調べてみたかったのです」
「弟さんと仲が良かったのですね」
 正直、姉弟とは言え、この美しい人にそこまで想われていたのが羨ましかった。
「先日来た姉などは、『寿命が無かったのね。足を滑らせるなんてねえ』と言っていましたが、私はどうしてもそう思えないんです」
 そこまで訊いて惺子先生の決意が僕にも伝わって来た。この上は一つしか無いと思った。
「先生、僕にもお手伝いさせて下さい! 頼り無いかも知れませんが、先生の手足ぐらいにはなります。先生のちからになりたいのです」
 一気に思いの丈を述べてしまった。惺子先生はじっと僕の顔を見つめ
「本当ですか? 私にちからを貸して下さいますか? ありがとうございます。嬉しいです」
 先生はそう言うと両手を出して僕の手をギュッと握った。柔らかく暖かい繊細な手だった。
 余りの心地よい感触に一瞬我を忘れた……

 こうして、僕は惺子先生の手伝いをしながら、先生の弟さんの死に関する事を調べて行く事になったのだ。
 その晩、夜遅く僕は兄に電話をした。今日の昼間に惺子先生と話した事を直接言ってみたのだ。すると兄は
「その通りだ。間違いは無い。俺が3年の時に古典の講師として赴任したんだ。二卵性の双子だったけど惺子お嬢様に良く似ていて、それは美男子だったぞ、俺は理系だから習った事は無かったが、確か家にも遊びに来たことも一度あったがな……お前は会った事が無かったか」
 兄はここまででも重要な事を幾つか言っていた。まず惺子先生が双子だったと言う事。それから美男子だったと言う事。家にも来た事があると言う事。
 ならば何故父はあの時、全くの初対面の様なそぶりをしたのだろう? それは惺子先生とは初対面だったかも知れないが、少なくとも兄弟とは面識があったはずだ。あのような言いようは少し変だとは思う……
 僕の思考を遮る様に兄の声が被る。
「おい、聞いてるか? 兎に角、惺子お嬢様の決意は相当なものだから、よろしく頼むな。惺子お嬢様は弟さんの代わりに誠明にやって来たんだ。誹謗や中傷から守ってやってくれよな」
 兄はそう言って通話を切った。
 僕は窓から離れを見ながら、今聞いた事を整理していた。兄は美男子と言ったが、惺子先生が男になった感じなら、相当の美男子だったと思う。そんな講師が授業をしていたら、我が校の女性徒が黙ってはいないだろうと思う。
 もしかしたら、男女間のもめごとがあったのだろうか? 兎に角、想像だけで決めつけては駄目だと思い、新学期、いいいや明日からでも情報を集めなくてはと思いその晩はベットに横になった。
 眠ろうとするが、頭には惺子先生の胸の谷間や白い二の腕が思い出されて眠れない。幾度か寝返りをしているうちに朝になった。

 朝、惺子先生が僕の部屋にいきなりやって来て
「隆さん。よかったら『花ヶ崎』に一緒に行って貰え無いでしょうか? もう一度ちゃんと見ておきたいし、隆さんを案内したいのです 」
 そう頼んで来たのだ。僕に断る理由は無い、それに家族のいない所で色々と訊きたい事もあった。
「いいですよ。歩きだと距離がありますから、自転車で行きましょう」
 『花ヶ崎』とは、この地域の人間が使う名前で、正式には『桟先ヶ先』と言うのだ。地図で見ると、岬は海岸線を柔らかくカーブさせていて、その突端が海に向かって延びているのだ。
 実際に来てみると、まるで海に向かって鼻が伸びている様な感じなので『鼻ヶ崎』と言われ、それが『花ヶ崎』となったのだ。だからこの名前は地元の人間しか使わない。

 二人で自転車を漕ぎながら岬を目指していると、春の海風にそよいだ惺子先生の髪の匂いが僕の鼻をくすぐる。弟さんの事を言う時は暗い表情になるが、それも美しさを際だたせるのだ。不謹慎だとは思うが、こんな人と恋人関係になったらどんなに良いかと想像してしまう。
 やがて道案内の看板が見えて来た。青地に白で「この先500メートル左折で桟先ヶ崎」と書かれている。
 惺子先生は後ろを振り返りながら僕に看板を指さす。僕はそれに答えて大きく頷く。
 
 岬に通じる道路を走って、柵で行き止まりの場所で自転車を降りてその先まで歩いて行く。林の中の小道を歩きながら僕は
「兄から昨夜、先生が弟さんとは二卵性の双生児だったと聞きました。何故昨日は僕に隠していたのですか?」
 いきなりだったとは言ってしまってから気がついたが、昨夜以来その事を訊こうと思っていたので、ついキツい口調になってしまった。
「隠すつもりは無かったのですが、何となく言いそびれてしまって……協力をお願いしてるのに隠し事はいけませんね。申し訳ありませんでした」
 僕は、別に責めるつもりがあった訳じゃ無いので、やはり言い方が不味かったかと反省をした。
「いいえ、責めるつもりなんて無いのですが、双子だったら、余計辛いのかな? と思いまして……」
「弟は私と顔は似ていましたが、性格は違っていまして、私よりも開放的で社交的でした。幼い頃から友達も沢山いまして、その……色々と派手で、ウワサは何時もつきまといました。だから私は中学から弟とは別の学校に通いました」
 そう言って惺子先生が名前を出したのはミッション系の有名な女子校で、確か小学校から大学まで揃っている学園だった。
作品名:紅艶(こうえん) 作家名:まんぼう