霞み桜 【後編】
何より影秋と兄はまだ十代の頃から同じ道場に通い、互いに切磋琢磨してきた無二の親友であった。その付き合いは兄が北町奉行となった現在も続いており、その影秋が紹介してくれた娘であれば、源一郎もそう無下には扱えない。兄の体面、更には長年の二人の友情に亀裂が入るようなことはけしてできなかった。
ゆえに、今日この日、約束の刻限を大幅に現れても姿を見せない相手を恨みたくもなってくるのは致し方ない。
事の起こりはそもそもひと月前であった。兄の別邸に呼ばれた源一郎を待ち受けていたのは兄夫婦だけでなく、当の堀田主永までもが顔を揃えていた。
あろうことか、主永は源一郎に見合いの話を持ってきたのである。相手の娘というのは影秋の妻里依(りえ)の姪に当たるという。里依の里方は現在、兄の新島右衛門助(えもんのすけ)博親が当主となっている。家格は千五百石と堀田家には及ばないが、こちらも由緒ある譜代の旗本だ。
相手の娘はその新島右衛門助の三女であった。右衛門助は亡くなった妻女との間に四人の子を儲け、その中の三番目が件(くだん)の娘というわけだ。歳は源一郎より六つ下の十八歳だという。
―どうだ、年の頃もそなたと釣り合う。何より、気立ての良い娘なのだ。四人姉弟妹(きょうだい)の真ん中ゆえか、辛抱強く気遣いもできる娘での、まあ、武家の妻女には打ってつけよ。難を言えば、いささか大人しすぎるほど大人しく口数も少ないところではあろうが、源一郎、そなたもあまり愛想が良い男とは言えぬゆえ、似合いの夫婦になるのではないか。
早くに両親に死に別れた源一郎は兄夫婦に引き取られて育てられた。つまり、兄と兄嫁が親代わりということでもある。子ができなかった兄は兄嫁とも相談の上、源一郎に北山家の家督を継がせることにし、幕府にも舎弟を正式な跡目にするとの届けは出してある。
兄の許で育った源一郎は必然的に北山家によく出入りしていた堀田主永とも顔見知りであった。主永もまた幼い源一郎に剣術の手合わせをしてくれたりと、実の兄のように可愛がってくれた。
そのせいか、源一郎が北町奉行所きっての腕利きの同心となった今も主永は遠慮会釈のない物言いをしてくる。
―幾ら主永どのといえども、聞き捨てなりません。俺のどこが愛想が悪いのですか!
むくれて言い返すのに、主永は呵々大笑した。
―些細なことでいちいち感情を露わにするとは、そなたもまだまだ蒼いな、源一郎。この頃、北町奉行所に若い怜悧な同心がいると専らの評判だそうだが、俺が見たところ、まだまだ、そなたも子どもだな。
もののふらしく豪気な主永は泰平の世の中ではあまりパッとしない。剣術は直心陰流の遣い手であり、道場では師範代を務めるほどであった。その癖、学問はからしき苦手で、そんなところは文武両道に秀でた兄源五とは相反している。沈着で能吏な源五と難しい政治向きのことは苦手な主永は性格が真反対であるからこそ、余計に仲が良かった。
主永のような男は戦国乱世であれば、さぞかし武功で立身できただろう。世が世なら一国一城の主(あるじ)にもなれたかもしれない。だが、東照公家康が幕府を開き長い年月が経ち、江戸も半ばを迎えようとしている今、必要とされるのは主永ではなく、兄のような政(まつりごと)に長けた人物であるのは言うまでもなかった。
主永は逼塞している堀田家や我が身を嘆くでも卑下するでもなく、飄々と生きている。髪も結ってはいるのだが、癖があるのか常にどこかしらからピンピンと飛び跳ねているし、鼻下から顎回りにかけてはやした髭が余計に彼をもっさりとした男に見せていて、その風貌は確かに今の世よりは戦国猛者というにふさわしい。
しかし、源一郎はそんな主永を子どもの頃から慕っていた。兄とは違う意味で―何ものにも媚びず己れの生き方をまっとうしようとする姿に敬意を抱いていた。
そんな主永だからこそ、言いたいことも言える。源一郎は主永にはっきりと断った。
―主永どの、折角ですが、俺はまだ妻を娶る気はないんです。
それであっさりと引き下がってくれると思っていたのがまずかった。主永は腕組みをし、わさわさと生やした顎髭をおもむろに撫でた。
―そこが子どもだと申しているのだ、源一郎。
弾かれるように面を上げた彼に、主永のいつになく真剣なまなざしが映った。
―お前、幾つになった?
―二十四にござりまする。
―その歳になって独り身というのは外聞にも関わるぞ?
―別に俺は外聞など、どうでも良い。
そこで、主永は溜息をついた。
―そなた、少しは兄者のことも考えてやれ。
源一郎は訝しげに主永を見た。
―源五がそなたを何故、養嗣子にしたかは判っておるであろう。
―それは―。
源一郎は口ごもった。主永はまた一つ、小さな息を吐き出した。
―源五が願うのは何も北山家の存続だけではない。何より、そなた自身の幸福を願うておるのだ。そなた、辛い恋をしたそうな。ゆえに、その心の傷が癒えるまで妻を娶るを無理強いするつもりはないと源五は申しておった。だが、源五も俺ももう四十だ。そろそろ本格的に後々のことを考えておかねばならん。
早うに妻を娶り子を儲け、兄者を安心させてやれ。
主永はいつになくしんみりとした口調でそう言った。
声もなくうなだれる源一郎に主永はまたこんなことも言った。
―俺はな源一郎、三十になるまで独り身であったのよ。どうせこの泰平の世には不向きな男ゆえ、出世にもとんと興味はなく生涯独り身でも良いとさえ思うていた。また、この通りの面体だから、女も寄ってこぬ。だが、武士と生まれたからには武功は立てずとも妻を迎えて後嗣を残すだけはせねばならぬでの、それゆえ、三十一のときにやむなく妻を迎えた。
その妻との間に現在は七人の子宝に恵まれている主永であった。
―妻とは見合いで知り合い、祝言の日までろくに顔も見たことがなかった。夫婦となってからも、燃えるような情熱など感じたことはない。好いた惚れたという感情はいまだに無縁。だがな、夫婦として連れ添う中に自ずと生まれる情というものもある。お前がどんな辛い恋をしたのか俺は知らんが、惚れた女と添い遂げるだけが人生ではないのだぞ。
その時、源一郎と二人だけで話がしたいという主永の意を汲んで、部屋には主永と二人だけであった。主永は表情を引き締めて言った。
―そなたも存じておろうが、源五は来年には寺社奉行に昇進するという話ではないか。これは源五の友として、そなたを我が弟とも思う兄同然の俺としての頼みだ。早く身を固めて北山家を盤石にしてやってはくれぬか。
主永の言うとおり、兄に昇進の話が出ているのは確かである。それは兄自身から聞かされた話であった。まだ内々ではあるけれど、幕閣では既に決まったことらしい。寺社奉行は三奉行の筆頭で、町奉行・勘定奉行が旗本なのに対し、一万石以上の大名から選ばれるのが通例だ。
現在、源五は三千石を賜っているが、これを八千石に加増し、?大名格?として寺社奉行に任ぜられるというところまで具体的になっているとのことだ。旗本でありながら寺社奉行に任じられるなど、稀有のことであり、兄がいかに老中や時の上さまから信頼されているかの証だ。そんな兄を持つ源一郎も誇らしい。