記憶、それは一夜限りの。
「今度、ホンモノを作ってやるよ」
言ってしまってから、気がついた。
今度、なんて。
「今度」はないんだ。こいつと一緒にいるのは、今夜だけなんだから。
「……へへっ。おにーさんはもしやバーテンさんなんですか?」
さつきもそれなりに思考してから口を開いたのかも知れなかった。
「……の、バイト経験アリってだけだけどな。少なくとも、下手な出来合いもんよりゃマシじゃねぇかな」
「…………」
「…………」
じゃあ、今度作ってくださいね。ホンモノのピーチツリー。
そう言い出さないだけ、彼女は俺よりも格段にオトナだった。
呑みながら他愛も無い身の上話をしているうちに、大阪の友人を訪ねるついでに一人でぶらぶらしていたさつきはフランス語専攻の外大生だということが判明した。
将来は通訳になりたいんだそうな。
俺からしたら、日本語以外を話せる奴は皆宇宙人だ。
てことでさつきも宇宙人決定。しかもフランス語ときた日には、少なくとも銀河系じゃねぇ。
そう言うと、けらけらと笑い転げた。
「おにーさんは?」
笑い疲れてはぁはぁと息を整えながら、訊き返すさつきに悪意は全く無い。
それは、判ってる。
「……ただの、リーマンだよ。何の変哲も夢も希望もない、ただのヒラ」
与えられた仕事をこなすだけの機械的な毎日。
人間関係も、表立った波風はないけれど円満と断言出来ないところが辛い。
自嘲気味に答えてしまってから、さぞかし反応しづらいだろうなと反省して顔を上げた。
さつきは少し複雑な顔をしていたが、すぐに微笑する。
「何もないなら、今から探すなり作るなりすればいいんですよ」
「そんな簡単に言いますけれどね、お嬢ちゃん」
それが出来ないから、いつまでも変わらないままでぐだぐだとしているんだ。
……いや、「出来ない」と言うより、「しない」の方が適切かも知れない。
「……でも、今の現状が嫌で、気分変えようと思って一人旅してるんじゃないんですか? 彼女もつれないで」
「それはまぁ、そう……かも知れないけど」
彼女、ねぇ。この状況でそんな話題になるのも妙な感じだった。
何が、と訊かれるとすぐさま答えられない程の曖昧さでしか定義出来ないものだけれども。
「別に焦らなくてもいいんじゃないですか? ――あ、でもまだ社会にも出てない小娘の言うことなんで、深く受け取らないでくださいね。きっとおにーさんにしたらすっごいぬるいこと言ってるかもなんで!」
俺は一気に酒を呷った。
「んにゃ……、ぬるいのは俺だよ」
参ったな。一回りも下の女の子に説教されちまった。
酔ったさつきが面白半分にAVチャンネルを回し出した。
最初はごくごく普通のもので、突っ込みを入れつつ笑いながら観ていたのだが、番組が切り替わりちょっとばかしディープな趣味を伴うようなものになった途端ぎこちなくなりだした。
……確かに、こりゃ、笑い飛ばすにはハードかもなぁ。俺もあんまり趣味じゃない。
俺は黙ってリモコンを手に取り、ザッピングを始めた。どれもつまらない深夜番組だ。
「何か、普段観てるよーなやつないの?」
「いいえー。もうこの時間は寝てるか予習してるかなんで、深夜番組には疎いんです。おにーさんこそ、別に、さっきのままで……」
「あほ」
一言だけ言って、備え付けのマニュアルをぱらぱらとめくる。
適当に映画が観れるらしいので、そのページを開いてさつきに示す。
「何がいい?」
「今から、まともに観れますかねぇ?」
「BGM代わりだよ。ないなら消すけど?」
会話が途切れたらちょっと厳しいとも思う。もし彼女が何も選ばなかったら、俺は無難に「マトリックス」にでもしようと思った。
迂闊に観たことのないものをチョイスしてしまうと、結局最後まで観てしまうことになりかねない。
「んーっと」
さつきはスプモーニを呑みながら、ページをめくる。
「じゃ、『マトリックス』で。わたし、実はまだ観てないんです」
おいおい。
そうくるか。
人知れずずっこけながらリモコン操作していると、さつきが思い出したように、
「おにーさん、シャワーなりお風呂なり……どうしますか?」
「んー、今日はもうこのまま寝るわ。明日の朝シャワーする」
「じゃあ、わたしが使っても構いません?」
「大丈夫かよ。酒入ってんのに」
「お互いの恥と外聞のこともありますから、酔って風呂場ですっ転んで頭打つような真似はしません。映画観てちょっと酔いを覚ましてからにしますんで。……だもんで、おにーさんは適当に寝てくださいね」
おい。
「マトリックス」は何時間あると思ってやがる? 2時間以上、今から本気で観る気か。
……朝になるぞ。
流石に途中で疲れてきたのか、さつきは半分くらい過ぎたところでシャワーします、と立ち上がった。
「続き、そのまま観てても結構ですけれど」
「んにゃ、いい。……先に寝るわ」
時計を見ると3時を回っている。いい加減寝ないと。寝過ごして延長料金取られたらばからしい。
適当にテーブルの上を片付けると俺はベッドに潜り込んだ。
途端に睡魔がものすごい勢いで襲い掛かってくる。せき止めていたダムが決壊するように。
無意識の間にそこまで眠気を我慢していたことに自分でも驚いた。
俺は壁際の右端に寄った。幸い枕は2つある。
「おやすみなさい、おにーさん」
それを聞いて、すぐに意識を手放した。
ん……?
何だ……?
何かが、俺の背中にくっついている。
きっとさつきがシャワーを終えてベッドの中に入ってきたんだろう。
なーんだ。
…………。
ん?
さつき?
なーんだ、じゃねぇよ俺っ!
一気に目が覚めた俺は振り向くにも振り向けずに声を上げる。
「おい……っ」
狼狽する俺に構わず、さつきは後ろからぴったりと身体をすり寄せてきた。
「おにーさん、あったかいね」
「やめろってば」
背中に触れるさつきだってあたたかい。
それがアルコール摂取の賜物なのか、シャワーを浴びた所為なのか、元々持っているものなのかなんて俺の知る由もない。
――いや、人肌はあったかくて当たり前なんだ。そういう風に出来ている。
「くっついてるだけですから、お気になさらず」
気にするなと言われてもな。
オマエ、いくら鈍感だとは言えその年で男の生理っちゅーもんを知らないとは言わせないぞ。
特に寝込みなんて襲われてみろ。理性より圧倒的に本能のウェイトの方が高いんだから、抑えるのに一苦労だ。
「…………」
あー……。くそ。
仕方、ないから。
「こっち」
さつきを反対側に転がして、俺がさつきの方を向いた。
さつきのちいさな背中から、腕を回す。丁度、さっきと正反対のポジションだ。
「手ぇ上げて」
「うにゃ?」
訳の判らないまま万歳するさつきの身体をぎゅっと抱き締める。
作品名:記憶、それは一夜限りの。 作家名:紅染響