記憶、それは一夜限りの。
記憶は。
記憶は、こんなにも簡単にすりかえられる。
捏造される。
改竄される。
自分の――自分だけに、都合のいいように。
*****
思い出す度に、少しずつ変化を加えられる記憶。
捻じ曲げられても尚沈黙する事実が、やがて雄弁な真実となり、それは不動のものとなる。
人間の記憶程、あてにならないものはない。
何ていい加減。
何て欠陥品。
何て――。
彼女の柔らかな身体。しなやかな身体。
その質感はまだ覚えてる。
俺の腕にすっぽりと収まってしまうサイズ。
その感触もまだ覚えてる。
でも。
絡みつく体温はこんなにも熱かっただろうか。
差し伸べられる腕はこんなにも積極的だっただろうか。
俺は――彼女を。
彼女を?
そこで、記憶は都合よく塗り替えられる。
*****
ご都合主義のドラマや小説でありがちな展開だろう、と思った。
さっき出逢ったばかりの女の子と、ホテルにいるなんて。
「――いやぁ、それにしても助かりました」
靴を脱いで勢いよくベッドにダイブした彼女は、にこにこと喋り出した。
対照的に、俺は少し離れたところに配置されたソファで頭を抱えている。
「まぁ、わたしは単なるボケですけどね。おにーさんは災難でしたね」
……どうにも単調な日常に閉塞感を感じてふらりと一人旅に出掛けたまでは、よかった。
旅と言っても土日を利用しただけのものだったけれど。
大阪に着いて予約した筈のホテルに行くと、ホテル側の手違いで部屋が取れてないと言う。
トドメに丁度観光シーズンの連休にぶち当たっていたらしく、びっしり団体客が入っていた。
当然文句をつけたが、つけたところでないものはないのだ。
――で、そんな俺の隣のカウンターで途方に暮れてたのが、このさつきと言う娘だった。
「え? インターネット予約した筈なんですけど……」
困ったようにがさがさとプリントアウトした用紙を出して――、
「あ」
背が高いもんで、俺は何の気なしに見てしまった。
思いっきり場所を間違えてる。同じ系列ホテルでも、それは確実にここじゃない。……と言うより、大阪じゃない。
「あー……」
困ったようにがさがさとプリントアウトした用紙を仕舞い込む。気まずい空気が何処からか生まれて、何処かへと流れていく。
「スミマセン……」
フロント係も気の毒そうな表情を作って見せるが、俺だって部屋は取れねぇんだ。この子だって今からチェックイン出来る筈もない。
何気に観察してしまっていた俺と、目に涙を溜めた彼女の目が、合った。
そして。
「おにーさんも宿無しなら、共同戦線張りませんか」
確かに、ラブホテルなら、部屋は空いていた。
大半はもう埋まった部屋のパネルから一番安いのを選ぶ。
……部屋に入ってから改めて我に返るなんて、俺は今まで酔っ払ってでもいたんだろうか。
どう考えても。
尋常じゃないだろう。
「あのさ」
頭を抱えたまま視線を上げて、ベッドの上で遊んでいるさつきを見遣った。
とてもじゃないけど、その上に覆い被さる気にはなれない。
「はい?」
「入っちゃった後で、こんなことゆーのも何だけど。……いつもこーゆーこと、してんの?」
失礼を承知で発言して、後悔する。そんなことならば、最初から言わなければいいのに。
つまり俺は自分の責任と、認めたくはないほんの僅かな下心を彼女の所為にしようとしている。
そうすることで、俺は悪くない、と俺自身に向かって弁明しようとしているのだ。
そこまで判っていて……なんてばかな確信犯なんだろう。
そんな俺には気付かないさつきは、きょとんと首を傾げて見せた。
「こーゆーこと、とは?」
「見ず知らずの男とホテル行って、その、……やっちゃってるのかってこと」
直球すぎる言い方だとは思ったが、どうやらさつきという娘はちょいと鈍感らしいきらいがあるので仕方がない。
すると案の定、さつきは本気で困った表情になった。しかしそれがいまいち自分の身に迫る事態だと捉えられていないような気がする。
「……おにーさんは、わたしとやっちゃいたいですか? ……やっぱ、そうなりますか……」
そう見えるのか。
「じゃ、なくって! 俺はいきなり見ず知らずの女の子食うつもりなんかねぇけど……」
自分で話を振っておいてちょっと傷付いてみたり。
今の状況でこのザマだ。
きっと最終的に「あわよくば」局面まで狙って女を口説いているときの俺はもっと下心丸出しに見えるんだろう。今度から気をつけねば。
「こんなのは今回が初めてですよ。……お互い宿無しだから、いい考えだと思ったんですけど……そうか、そうですよね。やっぱり覚悟決めないと、ダメですか?」
だから俺の話を聞け。
ベッドで飛び跳ねるのに飽きたのか、ずるずると床に落ちて来て俺の向かいに腰を下ろすと、テーブルの上に放置したままだったコンビニの袋をがしゃがしゃと賑やかな音を立てながら掲げて真剣な顔をした。
「身の危険を避ける為に話題を変えてみる。――袖擦る縁も何とやら、です。取り敢えず呑みましょうおにーさん」
本当に身の危険を感じている女の行動とは思えない。
酒を勧めるなんて逆効果を通り越してあからさまに誘っていると解釈されても文句は言えないんだぞ。
しかし、そこまでの説教は垂れない。何だか無駄っぽい予感がしたから。
「人の話聞いてる?」
「聞いてますよー。ちゃんと条件は提示して、お互い合意の上でラブホにチェックインしたんですから」
そう。
ここは、よりにもよってラブホテル。
部屋代は折半。
勿論、手出し無用。
泊まるところがなけりゃ、一晩中呑んでりゃよかったし、カプセルホテルでもよかったんだ。
……でも、大抵その手合いは男性専用だったりする訳で。
目の前の間抜けな女の子を放置するのも何だかなぁと思った訳で。
その。
……いや、俺が変な気を起こさなければ済む話なんだ。落ち着け落ち着け。
状況認識はさっきから何十回も繰り返して、同じ内容を何度も上書き保存する自分の記憶媒体がもういいだろういい加減にしろと逆ギレをかましている。
俺はさつきからコンビニ袋を受け取ると、中から缶ビールを取り出した。
彼女がポテトチップスだの、チーズだのを並べるのを見物しながら渇いた喉を湿す。
「おにーさん、もしかしてもしかしなくても強いですね?」
「ん……、人並み」
その答えがさつきの求めていたものなのかどうなのかはよく判らなかったが、少なくとも機嫌を損ねた訳ではないだろうから問題ないことにしておく。
「もうお布団もあるし、今日は安心して呑めます」
言いながら、甘ったるそうな出来合いカクテルのボトルを開ける。
「それって、美味いか? ちゃんと酒の味してる?」
コンビニで彼女がチョイスしたときからずっと気になっていたので、訊いてみることにした。
「……そう言われると厳しいものがありますが」
記憶は、こんなにも簡単にすりかえられる。
捏造される。
改竄される。
自分の――自分だけに、都合のいいように。
*****
思い出す度に、少しずつ変化を加えられる記憶。
捻じ曲げられても尚沈黙する事実が、やがて雄弁な真実となり、それは不動のものとなる。
人間の記憶程、あてにならないものはない。
何ていい加減。
何て欠陥品。
何て――。
彼女の柔らかな身体。しなやかな身体。
その質感はまだ覚えてる。
俺の腕にすっぽりと収まってしまうサイズ。
その感触もまだ覚えてる。
でも。
絡みつく体温はこんなにも熱かっただろうか。
差し伸べられる腕はこんなにも積極的だっただろうか。
俺は――彼女を。
彼女を?
そこで、記憶は都合よく塗り替えられる。
*****
ご都合主義のドラマや小説でありがちな展開だろう、と思った。
さっき出逢ったばかりの女の子と、ホテルにいるなんて。
「――いやぁ、それにしても助かりました」
靴を脱いで勢いよくベッドにダイブした彼女は、にこにこと喋り出した。
対照的に、俺は少し離れたところに配置されたソファで頭を抱えている。
「まぁ、わたしは単なるボケですけどね。おにーさんは災難でしたね」
……どうにも単調な日常に閉塞感を感じてふらりと一人旅に出掛けたまでは、よかった。
旅と言っても土日を利用しただけのものだったけれど。
大阪に着いて予約した筈のホテルに行くと、ホテル側の手違いで部屋が取れてないと言う。
トドメに丁度観光シーズンの連休にぶち当たっていたらしく、びっしり団体客が入っていた。
当然文句をつけたが、つけたところでないものはないのだ。
――で、そんな俺の隣のカウンターで途方に暮れてたのが、このさつきと言う娘だった。
「え? インターネット予約した筈なんですけど……」
困ったようにがさがさとプリントアウトした用紙を出して――、
「あ」
背が高いもんで、俺は何の気なしに見てしまった。
思いっきり場所を間違えてる。同じ系列ホテルでも、それは確実にここじゃない。……と言うより、大阪じゃない。
「あー……」
困ったようにがさがさとプリントアウトした用紙を仕舞い込む。気まずい空気が何処からか生まれて、何処かへと流れていく。
「スミマセン……」
フロント係も気の毒そうな表情を作って見せるが、俺だって部屋は取れねぇんだ。この子だって今からチェックイン出来る筈もない。
何気に観察してしまっていた俺と、目に涙を溜めた彼女の目が、合った。
そして。
「おにーさんも宿無しなら、共同戦線張りませんか」
確かに、ラブホテルなら、部屋は空いていた。
大半はもう埋まった部屋のパネルから一番安いのを選ぶ。
……部屋に入ってから改めて我に返るなんて、俺は今まで酔っ払ってでもいたんだろうか。
どう考えても。
尋常じゃないだろう。
「あのさ」
頭を抱えたまま視線を上げて、ベッドの上で遊んでいるさつきを見遣った。
とてもじゃないけど、その上に覆い被さる気にはなれない。
「はい?」
「入っちゃった後で、こんなことゆーのも何だけど。……いつもこーゆーこと、してんの?」
失礼を承知で発言して、後悔する。そんなことならば、最初から言わなければいいのに。
つまり俺は自分の責任と、認めたくはないほんの僅かな下心を彼女の所為にしようとしている。
そうすることで、俺は悪くない、と俺自身に向かって弁明しようとしているのだ。
そこまで判っていて……なんてばかな確信犯なんだろう。
そんな俺には気付かないさつきは、きょとんと首を傾げて見せた。
「こーゆーこと、とは?」
「見ず知らずの男とホテル行って、その、……やっちゃってるのかってこと」
直球すぎる言い方だとは思ったが、どうやらさつきという娘はちょいと鈍感らしいきらいがあるので仕方がない。
すると案の定、さつきは本気で困った表情になった。しかしそれがいまいち自分の身に迫る事態だと捉えられていないような気がする。
「……おにーさんは、わたしとやっちゃいたいですか? ……やっぱ、そうなりますか……」
そう見えるのか。
「じゃ、なくって! 俺はいきなり見ず知らずの女の子食うつもりなんかねぇけど……」
自分で話を振っておいてちょっと傷付いてみたり。
今の状況でこのザマだ。
きっと最終的に「あわよくば」局面まで狙って女を口説いているときの俺はもっと下心丸出しに見えるんだろう。今度から気をつけねば。
「こんなのは今回が初めてですよ。……お互い宿無しだから、いい考えだと思ったんですけど……そうか、そうですよね。やっぱり覚悟決めないと、ダメですか?」
だから俺の話を聞け。
ベッドで飛び跳ねるのに飽きたのか、ずるずると床に落ちて来て俺の向かいに腰を下ろすと、テーブルの上に放置したままだったコンビニの袋をがしゃがしゃと賑やかな音を立てながら掲げて真剣な顔をした。
「身の危険を避ける為に話題を変えてみる。――袖擦る縁も何とやら、です。取り敢えず呑みましょうおにーさん」
本当に身の危険を感じている女の行動とは思えない。
酒を勧めるなんて逆効果を通り越してあからさまに誘っていると解釈されても文句は言えないんだぞ。
しかし、そこまでの説教は垂れない。何だか無駄っぽい予感がしたから。
「人の話聞いてる?」
「聞いてますよー。ちゃんと条件は提示して、お互い合意の上でラブホにチェックインしたんですから」
そう。
ここは、よりにもよってラブホテル。
部屋代は折半。
勿論、手出し無用。
泊まるところがなけりゃ、一晩中呑んでりゃよかったし、カプセルホテルでもよかったんだ。
……でも、大抵その手合いは男性専用だったりする訳で。
目の前の間抜けな女の子を放置するのも何だかなぁと思った訳で。
その。
……いや、俺が変な気を起こさなければ済む話なんだ。落ち着け落ち着け。
状況認識はさっきから何十回も繰り返して、同じ内容を何度も上書き保存する自分の記憶媒体がもういいだろういい加減にしろと逆ギレをかましている。
俺はさつきからコンビニ袋を受け取ると、中から缶ビールを取り出した。
彼女がポテトチップスだの、チーズだのを並べるのを見物しながら渇いた喉を湿す。
「おにーさん、もしかしてもしかしなくても強いですね?」
「ん……、人並み」
その答えがさつきの求めていたものなのかどうなのかはよく判らなかったが、少なくとも機嫌を損ねた訳ではないだろうから問題ないことにしておく。
「もうお布団もあるし、今日は安心して呑めます」
言いながら、甘ったるそうな出来合いカクテルのボトルを開ける。
「それって、美味いか? ちゃんと酒の味してる?」
コンビニで彼女がチョイスしたときからずっと気になっていたので、訊いてみることにした。
「……そう言われると厳しいものがありますが」
作品名:記憶、それは一夜限りの。 作家名:紅染響