Hidden swivel
「いつもご飯前は我慢するのに、今日は食べるのか?」
野崎は口角を上げて笑うと、小さくうなずいた。警察時代は生き生きしていた瓦。『今とは違って』。その本体よりも短い言葉は、小さな楔になって、野崎の胃の奥のほうに沈み込んだ。
瓦が追うミラココアの後姿を見ながら、野崎は考えた。『警察時代と違って、生き生きしていない今』。もしかして、自分もその一部なのだろうかと。
しばらく田舎道を走った後、ミラココアは田んぼの真ん中で停まった。降り立った神沢と織島は、何かを話した後、一軒家の写真を何枚か撮り、今度はその隣に停められた古い車の写真を撮った。
「ギャランだな」
瓦が誰にともなく言うと、野崎が笑った。
「何それ?」
瓦も笑ったが、返事の代わりに野崎の持つスマートフォンを指差した。
「この場所、ピン落としといてくれ」
「はーい」
野崎はスマートフォンの地図アプリを開くと、現在地を登録した。
「何もない場所だね」
瓦はランドクルーザーをUターンさせながら、野崎の言葉を頭から追い払った。何かがあったから、あの二人はここに来た。それは間違いない。
車に戻った織島は、まだ震えている両手でハンドルを握り締めた。神沢は、服の生地が突然能力を失ったように、寒気に囚われていた。
「早く行こ」
織島は、神沢の返事を待つことなくミラココアを発進させた。国道に戻り、他の車に紛れて走り出しても、まだ寒気は収まらなかった。
「本当にさ、加世の行動力はすごいよね」
「はは……、ありがと」
織島は、自分の行動力が果たしていい方向に向かっているのか分からず、うなずきながら返した。あの、空き地に停まっているギャラン。織島はネットオークションで検索し、偶然特徴が一致する車を見つけた。バンパーの左側に書かれた『GSR』の文字や、白いボディカラーも記憶と同じだった。バックに写る山は頂上に特徴的な形の電波塔が立っていて、緑の切れ目に銅像の建っている展望台があった。それを基にまた検索し、場所が判明した。入札自体は、一年前に期限切れで締め切られていた。
「ほんと、ずっと探してたんだから」
織島は、涙声で笑いながら言った。
瓦は、静かになった野崎が寝ているのかと思い、隣を見た。野崎は起きていたが、スマートフォンの画面をじっと見つめて、何かに集中しているようだった。その細い指が画面の上を滑るのを見て、瓦は前に向き直った。中途半端な時間だったが、そろそろ野崎の胃袋問題を解決するべきだと考えながら、めぼしいレストランがないか、道路脇の建物を確認しながらランドクルーザーを走らせた。
警察時代を嫌でも思い出すのは、忘れることを頭が拒否しているからだと、瓦は理解していた。忘れようとしているという行為は、実際には真逆の効果を記憶にもたらす。地図に登録した場所は、これから調べていく必要があった。仕事の合間に当時の記録を辿り、かつて闇に葬られた事件に新しい角度で切り込む。現役時代に忌み嫌っていた週刊誌記者のように思えて、瓦は冷ややかに笑った。
「あった!」
野崎が声を上げた。その声には、いつもの退屈したような響きがなく、一瞬そこに、瓦は、見たこともない野崎の昔の面影を、垣間見た気になった。黒板を真っ直ぐ見据えて板書をしている学生のような、今の姿からは想像もできない熱意が感じられた。
「見つけた?」
「うん」
「じゃあ、そこに行こう」
瓦が言うと、野崎は声を上げて笑った。
「お店じゃないってば。あの花だよ。やっと思い出したの。アザミだった」
調べ物をしていたことがさらに意外で、瓦が言葉を失っていると、野崎は続けた。
「花言葉が怖ーい。報復だって」
瓦は急ブレーキを踏んで、ランドクルーザーを路肩に寄せた。
神沢は、六年前に中学生だった自分のことを、フロントガラスに映すように思い出していた。そして、それはすぐに、三ツ谷沙希の顔に変わった。織島は、ショッピングモールの駐車場にミラココアを入れて、地下の枠に停めた。色々な車が無数に並ぶ駐車場。大きく息をついて、今までと違ってその姿に恐怖を感じないということに、心が落ち着いていくのを感じた。
六年前の二月四日、大雪で電車が止まり、県内のあちこちで交通事故が発生した日。ほとんどの人はそう覚えている。三ツ谷沙希が行方不明になった日と覚えている人もいるだろう。織島は歯を食いしばった。自分と神沢の記憶は、そのどちらでもなかった。それは三人が、あのギャランと出会った日だった。
作品名:Hidden swivel 作家名:オオサカタロウ