小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

ヒトサシユビの森 5.ヒトサシユビ

INDEX|8ページ/15ページ|

次のページ前のページ
 


亮太が走り去ったすぐあとに安田を乗せた覆面パトカーが坂口土建に到着した。
事務の女性が応対に現れた。
「猟友会の事務所なら、左奥の機材置き場にあります。でも事務所のカギは預かっておりません」
安田は階段をのぼって猟友会事務所の扉を叩いた。いくら激しくノックしても返事はなかった。
安田を反動をつけてドアを蹴破った。
事務所は薄暗く中に人影はなかった。
安田は手探りで壁際の電灯のスイッチをONにした。天井照明が灯り、部屋の様子が一目できた。
安田の目に最初に飛びこんできたものは、白壁にべったりと貼りついた大量の血しぶきだった。



ほどなくして亮太の運転する軽トラックは稲荷神社大鳥居前を過ぎ、稲荷山と笹ヶ峰山麓を切り裂く県道を猛スピードで走り抜けた。
山小屋は天狗岳の笹ヶ峰寄りの麓に位置し、県道からの脇道が、小屋方面に伸びているところまで亮太は調べあげていた。
「いぶきがその小屋に?」
「ああ、多分」
亮太は車中でかざねに、いぶきが生きているであろうことだけを話した。
いずれこの事件の端緒であるレイプ事件も明るみに出るだろうが、それについて亮太は触れることをためらった。
軽トラックは県道から脇道に入り、凸凹した林道を半時間ほど走った。
道が途切れ、すり鉢状の崖に囲まれた空地に突き当たった。空地には先に一台の高級乗用車クラウンが停まっていた。
亮太はジャケットのポケットから携帯電話を取りだした。安田からの着信履歴があった。バイクに乗っている時刻が表示された。折り返しの電話をかけたが、電波状態が悪く、すぐに圏外になりつながらなかった。
「ちくしょう、もっと早く電話すればよかった」
「誰?」
「安田刑事」
「安田さん? 安田さん、この小屋の件、知ってるの?」
「小屋の話はした。でもそれがどこにあるかは言ってない」
かざねは亮太の手から携帯電話を取りあげて、通話ボタンを押した。しかし”圏外”が表示されるだけだった。
「仕方ない。俺たちだけで捜そう」
亮太とかざねはトラックから降りた。亮太はトラックの荷台に積んである道具箱から懐中電灯や小さいカマなど、
山を分け入って歩くのに役立ちそうなものを取りだした。
その間、かざねはクラウンを調べた。ガラスに顔を近づけて車内に人がいないか探った。
車内は新車のように整頓されていて私物ひとつなかった。
トランクのボディを叩き、耳をくっつけて様子をみたが、反応はなかった。
「蛭間の車だ」
「蛭間?」
「ああ、蛭間健市。うちの会社に乗ってくるのを見たことがる」
「たしか町会議員だった人?」
「今は県会議員だけどな。あいつがこんな悪人だったとは・・・」
亮太の声が最後のほうはかざねの耳に入らなかった。
蛭間健市に以前会ったことがある。会ったことがあるという曖昧な記憶しか想いだせなかった。
「かざね、山に入るけど、その靴で大丈夫か?」
亮太はかざねの足元を指さした。ヒールのついたパンプスだった。
「履き慣れてるから大丈夫。いざとなったらヒールを折るから」
亮太が懐中電灯で空地の周囲を照らすと
”この先、獣用の罠に注意”
という立札が目に飛びこんできた。
それは崖をのぼり下りできる階段状の径の脇に立っていた。
亮太とかざねはその径から天狗岳の麓を目指してのぼり始めた。
広大なススキの草原を渡った。ダケカンバの林を掻き分け、シラカバの森をのぼると小高い峠に出た。
視界が開けたため、亮太は地図とコンパスを取り出し、現在地を確かめた。
少し欠けた月の明かりが、眼下に広がる森を浮きたたせ、聳える天狗岳の切っ先を照らした。亮太はそれから地図を広げて小屋の位置を確認した。
目を凝らして実際の森林を見おろしたが、小屋らしきものは見えなかった。
ただ進路の方向に樹木の密集がそこだけ円形に拓けている個所があった。
あらためて地図と照らし合わせてみる。
すると地図に書き記した小屋の位置と符合した。
そこに何かがあることは間違いない。
そう確信した亮太とかざねはシラカバの森を抜け、急傾斜の山肌を滑りおりた。
平らな土壌に足を踏みいれたとき、亮太が悲鳴をあげた。
ガシャという鈍い金属音が亮太の足元で鳴り、亮太は足を跳ねあげて背中から倒れた。
アーチ状の金属の板が、亮太の左足首を両側から挟みこんでいた。
野性動物を捕えるのに使われる、いわゆるトラばさみだ。
かざねは亮太の傍らに駆け寄った。
「大丈夫、亮太?」
亮太は苦悶の表情でトラばさみに両手を掛けると、力を込めてを金属板を開き、足を抜いた。亮太の左足首にトラばさみが噛んだ痕がくっきりと残り、血が滴った。
「大丈夫、心配ない」
「罠があるって書いてあった」
「気をつけるよ」
亮太は率先して先へ進んだ。痛みを表情に出さないよう気丈を装った亮太だが、歩き方は明らかに左足を引きずっていた。
かざね自身の靴はすでにヒールがなかった。シラカバの森の途中で自ら折って捨てた。多少つま先に違和感を感じながらも、構わず歩きつづけた。
「もうこの近くだと思う」
亮太がかざねに振り向いてそう言ったとき、亮太の足が何かを踏んだ。
パチンと音がしてリング状のワイヤーが亮太の右足首を締めつけた。
獣捕獲用の罠だった。
いわゆるくくり罠であるが、通常のくくり罠と違ってその罠は、締めつけたものをさらに空中に引きあげて吊るす仕掛けになっていた。
アラカシの太い幹と枝を利用して仕掛けられた罠は、落葉をまき散らしながら亮太を瞬く間に地上5メートルの高さまで吊りあげた。その拍子に亮太の手から地図やカマが地面に投げだされ、亮太自身は頭を下にした宙吊り状態になった。
一瞬の出来事にかざねは声も出なかった。
「かざね~」
逆さにぶら下がった亮太はかざねに手を伸ばした。
かざねもその手に触れようとしたが、飛びあがって触るのがやっとの高さだった。
亮太が身体を揺すると足首に巻きついたワイヤーがさらに強く締まり、亮太に激しい痛みをもたらした。
「かざね、ここは俺がなんとかする。かざねは小屋へ急げ」
「亮太を置いていけない」
逆さにぶら下がった亮太をかざねは不憫な目で見あげた。
「急がないと、いぶきが・・・」
「ありがとう。亮太のことは決して忘れない」
かざねは地面に落ちた地図やカマを拾いあげると、木々の間を森深くへと入って行った。
「おいおい。俺はまだ死なないよ、かざね」
逆さになった亮太の言葉は、かざねに届く前に深い森に吸いこまれた。