小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

あなただけの歌

INDEX|2ページ/3ページ|

次のページ前のページ
 

「うん、今朝は熱は下がったみたいね。顔色も良いみたいだしよかったわ」
 ハッカから受け取った体温計を確認しながら看護師は言った。
 ハッカがエリスと出会ってから、一週間が経っていた。ハッカはまた彼女が病院へ来ているのではないかと思い外に出たがったが、熱が出てしまい叶わずにいた。
 彼女は歌が聞こえたら来てと言っていた。けれど病室から庭の大きな花壇までは少し距離がある。窓を開けていても聞こえるか分からないし、ここ数日は体調を崩していたので窓は閉め切ってしまっていた。
 ハッカは朝食を片づけに来た看護師に窓を開けてもらうようお願いをした。歌う少女と出会った日と同じように良い天気で、風がここち良かった。またあの歌が聞こえないだろうかと、頭の片隅に期待をうかべながら、いつものように歌うたいの少年と旅をする。
 初めは気のせいかと思った。けれど息を止めて耳を澄ませてみると、それは確かに聞こえた。
(エリスの歌だ)
 たった一度聴いただけだったが、絶対にそうだという確信がハッカにはあった。
 ハッカは車椅子に乗り、こっそりと一人病室を出た。ハッカは初めて、誰にも内緒で療養所を抜け出した。

 エリスは一週間前に出会った時と同じ、あの花壇の前で歌っていた。病室からここまで自ら車椅子を動かしてきたので、ハッカの息はあがっていた。
 キリのいいところで少女は歌を止めてハッカを見た。
「歌が、聞こえたから、来たよ」
 落ち着かない呼吸のままハッカは声をかけた。病弱であるとはいえハッカの息があがるほどの距離があるのだから、本来少女の歌声が病室まで聞こえるはずはないのだが、ハッカはそれを不思議に思うことすら忘れていた。エリスの歌声が聞こえたことが嬉しくて、忘れてしまっていたのだった。
「また、聴いていてもいい?」
 ハッカが尋ねると、エリスは微笑みうなずいた。
 ハッカは目を閉じて、エリスの歌声に耳を傾けた。美しい歌声を聴きながら、彼女が本当に天使だったらいいのにとハッカは思った。けして治ることのない病気を抱えて、ただ死を待つだけのこの魂を連れていってしまってほしい。見舞う者もなく、誰にも顧みられることのないこの体ごと連れていってほしいと思った。そうしてエリスの歌声だけを聴いていられたら、どんなに良いだろうか。
「ハッカ」
 いつの間にか歌は終わっていたようだ。エリスに呼ばれて目を開けると、彼女は心配そうにハッカを覗きこんでいた。
「大丈夫?苦しい?」
「え?」
「涙が……」
 ハッカは言われて初めて自分が泣いていることに気づいた。
「大丈夫、苦しくないよ」
 指で頬の涙を拭いながら、ハッカは答えた。
「本当にきれいな歌声だね。ずっと聴いていたい」
 誇張でもなく、ハッカは本心からそう思った。あまりにも真っすぐなハッカの言葉に、エリスは少し照れたような表情を見せた。
 エリスは恥ずかしさを隠すように切り出した。
「ハッカは、“骨導音”って知ってる?」
「コツドウオン?」
「そう。ハッカが聞いているわたしの歌声と、わたしが聞いている自分の歌声は少し違うのよ。自分にしか聞くことができない、自分だけの声を“骨導音”って言うの」
「そうなんだ……じゃあぼくの声も」
「そう、きっとわたしが聞いている声と違うのでしょうね」
 そう言ってエリスはハッカに笑いかけた。
「わたし、それを知った時自分だけの歌声があると知って優越感を覚えたけれど、でも同時に誰かに聞いてほしいって思ったの。わたしだけの歌を」
「エリスだけの歌……」
 それはとても魅力的な響きだった。彼女自身以外、誰も聞いたことのない歌声。
「ぼくも、聞いてみたいな」
 それが無理なことはハッカにも分かっていたが、けして冗談で言ったのではなく本当に心から聞きたいと思ったのだった。
 エリスはじっとハッカを見つめた。少女の緑色の瞳は少し悲しげな色をしていて、ハッカは不思議そうにそれを見つめ返す。
 ふと、エリスが口を開いた。
「あなたになら、いつか聞かせてあげられるかもしれない」
 彼女の目の色は変わらなかったが、その言葉を聞いてハッカの心は浮上した。たとえその言葉が嘘であったとして、聞かせたいと思ってくれたことが嬉しかった。
「じゃあその時がきたら必ず聞かせてね。絶対だよ」
 エリスは少し眉を寄せて微笑み、うなずいた。
作品名:あなただけの歌 作家名:ぱん