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赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま 21話から25話

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 玄如節のもう一つの大きな特徴は、歌詞が固定していないことだ。
そのつどに即興で歌詞が作られ、旋律に乗せて歌われる。
すべてが即興の場合もあるが、繰り返しみんなによって歌われてきた
歌詞がある。
それらがストックされ、蓄積されている。
膨大なストックの中から、臨機応変に歌詞を選び、使う場合が多い。
一般的な民謡とは異なり、歌詞の順番が決っていない。

 昭和の初期。玄如節について、こんな記録が残っている。

 『若い頃こくぞう様で、玄如節の歌と踊りを見たことがある。
柳津にお篭りにいった時のことで、七日堂の裸祭りのときにお篭りした。
9月30日にも行った。玄如節をやっているのを 見たことがある。
ほっかぶりしたり、尻をまくったりして踊っていた。
戦後にも見た。 老人達が玄如節を歌い踊っているのを、
若者だったころ一人で見ていた。

 栗や柿などが 振舞われると、それを歌詞に歌い込んで
「栗づくし」や「柿づくし」をした。
かなり長く続いた。60才に近い人が集まっていた。
間でみんなが休んでいるときに、長持ち歌などの民謡を歌わせてもらった。
自分では玄如節はしなかったが、柳津のお堂にある回廊 のようなところで
マイクを立てて、民謡を歌った。
聞く人たちは下に座ったり立ったり して見ていた。
本来玄如節は、特定の寺院や神社の行事に結びついたものではなく、
人が集まれば興がのって、どこでもおこなったものらしい』


 エンヤー会津磐梯山は 宝の山よ 笹に黄金が エーマタなり下がる
の歌いだしで始まる『会津磐梯山』は、福島県を代表する民謡。
明治の初め。新潟県西蒲原郡や五箇浜地方から、会津に出稼ぎに来ていた
職人たちの唄と、会津古来の「玄如節(げんじょぶし)」が混交して、
創作の歌詞が付け加えられ、今日の原型が完成した。


 昭和9年。この曲に、日本ビクターの長田幹彦が作詞した。
売れっ子芸者歌手の小唄勝太郎に歌わせて、大ヒットした経緯がある。
しかし。昔から伝わってきた地元の「会津磐梯山」とは、大きく異なっていた。
あまりにも異なるため、会津民謡会は『郷土芸術を冒涜するもの』と同社に
猛抗議した。
そんな過去のいきさつも残っている。
地元が認める『正調会津磐梯山』は、会津盆踊り唄として、全162番まで
歌詞のある、たいへん長い民謡だ。