赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま 21話から25話
1 移り住む人は閉鎖的で頑固さから、よそ者扱いされて泣く。
2 しばらくすると心の優しさと、底知れぬ人情に触れて泣く。
3 最後に会津を去る時には、別れがつらく、離れがたくて泣く。
ある新聞社の記者が、これを自分になぞらえました。
1.辺鄙な土地に行かなければならないことで泣いたが、
2.赴任してみると、徐々に会津の人たちの温かい人情に触れ、
うれし泣きをし、
3.数年後に会津から転勤で去る時には、去りがたくて泣いた。
と、記事に書いたそうです。
湯西川からやって来た小春も、慣れない土地でずいぶん泣きました。
日陰に落ちてしまった種のようなものです。
でも持ち前の明るさと、精一杯の頑張りで立派に会津の地に根を張りました。
いまでは見事な、大輪の花を咲かせています。
清子ちゃん。
あなたのお姉さん芸妓の小春は、そうした年月を経て会津に根付いたのです。
あら。そんなことを長々と話しているあいだに、小春がやって来たようです。
小春はもう、東山温泉に欠かすことのできない、鳴り物の第一人者です」
『遅くなりました』と、小春が障子の向こうから声をかける。
『什の掟 (じゅうのおきて)の披露が好評で、少々、時間が
伸びてしまいました。』
笑顔の小春が、三味線を携えて障子から現れる。
会津藩の男子は、10歳になると藩校の「日新館」に入る。
入学前の6歳から9歳までの子供たちは各自の家に集まり、心構えを勉強する。
その際に学ぶのが、「什の掟」。
「やっていけない事は理屈ではなく、してはいけない」と教わる。
一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三、虚言をいふ事はなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことは ならぬものですと『什の掟』は締めくくる。
これを元に東山芸妓が『なりませぬ節』として、歌詞を現代風にアレンジした。
さらに踊りを添えて、お座敷で披露する。
軽快なテンポの伴奏に乗り、会津人気質の「什の掟」を歌い上げる。
東山温泉という独特の場所柄もあり、多少の色っぽさが歌詞に
つけ加わえられてある。
作品名:赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま 21話から25話 作家名:落合順平