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てっしゅう
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「歴女先生教えて~」 第三十七話

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高木が言った、「ワルは柳沢吉保だ」ということに美穂は良い指摘だと笑顔で答えた。

「柳沢吉保は先祖を甲斐の武田信玄に持つ一族だと言われているの。お爺さんが徳川家康に仕えていたこともあって、父親の家督を継いだ後は館林藩主だった徳川綱吉に仕えていたの。綱吉には兄の綱重が居たのだけど四代将軍家綱が死去した時には亡くなっていたから、弟の綱吉が第五代将軍となった。それに合わせて吉保も江戸城に入城した」

「では、先生。浅野内匠頭に問答無用の切腹を言いつけた綱吉の背後に側近の吉保の助言があったということが考えられますね」

「うん、そうね、きっとそうよ。でも彼はね、綱吉の文治政治に恭順させるため、多くの儒者を集めて儒学の発展に貢献した。江戸時代も家光の時代ぐらいまでは不穏な空気も流れていて、小競り合いがあった。綱吉が政権をとると武士のむやみな殺生を禁じるためにあの生類憐みの令を出したの。もちろん吉保の助言もあったと思うわ。犬や猫、そして蚊ですら殺すと罰せられるのだから、まして人間を殺したらそれこそ一族みんな獄中に入れられてしまうとの恐怖も手伝って、世の中から殺人がなくなっていったの。侍は町人を切り捨て御免!と言って刀の試し切りをすることはご法度になったっていう訳」

「身分が卑しい町民には何をしても許された武士の特権が奪われたという訳ですね」

「高木くん、そう言うことになるわね。綱吉が死ぬまでの29年間は武士の儒教への躾も手伝って平和な世の中になっていたの。腰抜けになってしまった武士たちを見て嘆かわしいと感じていた庶民には、仇討を果たした大石たち浅野家の家臣に拍手喝采だったのよね。綱吉はそうした市井の声に応じるように大石たちに死罪ではなく、切腹という武士としての責任の取り方を選択させた。つまり喧嘩両成敗としたのね。この後吉良家も取り潰しになった。大石の子供は許されて浅野家の再興を果たし、綱吉の死後吉良家も再興された」

「生類憐みの令だけをとって綱吉を語ることは間違いなんですね?」

「そうね、何事も片方だけ見て判断するのは良くないと思うわ。政治家は庶民のために良かれと思うことを行っても、利益を阻害された相手からは恨まれる。お金儲けが世の中の発展につながるというシステムが無かったから、江戸時代までは特権階級だけが良い思いをしていた。そしてその利益を世の中にではなく官僚や主君にだけ還元していたから貧富の差は続いていた。儒教の普及でお金儲けは卑しい行為だと教えられていたから、武士たちは体質を変えられなかったのね。それが根本原因で明治維新を迎えてしまうの」

「今では働かざるもの食うべからず、ですよね先生?」