貴方に逢えて
5
恋をして麻衣は
確実に綺麗になった
なのに
鏡に映る表情は
いつも憂鬱
知らず知らず
気を抜いてしまう
家族の前では
憂鬱のまま
過ごしてしまうせいか
他愛ない母の話すら
聞き流してしまうほど
鬱陶しい態度を
取っていたのでしょう
母は暢気な人で
朗らかな性格だ
若干 天然ボケで
テレビを見ている時も
意味不明な勘違いをしては
家族の笑い誘う
麻衣も反抗期の頃は
母の有り得ない勘違いに
うんざりした事もあったが
知的障害のある
兄の世話を
何ひとつ愚痴る事なく
兄の失態も我侭も
「あらあらあら」
表情ひとつ変えず
朗らかな顔のまま
微笑む母の姿を見せられ
麻衣は 母の偉大さに
打ちのめされた事がある
それから麻衣は
あまり我侭を
言わなくなった
母の手助けをしようなどと
恐れ多くて 出来はしないが
少しでも 母に負担が掛からぬよう
麻衣は 出来る限り
自分の事は
自分でやるようにしていた
母に甘えたい年頃も
母を困らせたい年頃も
物分り良く
聞き分けのいい娘でいようと
心掛けてきた
勿論 母に言われた事ではなく
ただ 麻衣自身が
そうしていたかったのだ
それでも母は
麻衣が想うより
遥かに雄大な人で
憂鬱な麻衣の姿を
見逃す事もなく
つまらない勘違いをしては
麻衣の笑顔を
引き出そうとする
母は 何も聞かないが
恋する年頃の娘が
何に悩み
何に迷っているのか
見透かしているようで
母の気遣いが
心に染み込んでくる
このまま
彼女のいる”恭一”を想い
憂鬱な顔を
家族に見せ続けても
いいものだろうかと
母に話せない片想いが
麻衣の心に
ブレーキを掛け始めていた
恋焦がれる程
麻衣自身も
恭一が好きなのかも
解らなくなってくる
ただ親しみ易い
単なる職場の後輩にすら
想えてくる
最初から 恋など
していなかった
そんな気にも
なってくる
母の他愛ない
くだらない笑い話に
耳を傾け
大袈裟に笑い転げてみたが
心の格闘は持続し
母の前では
気丈な娘を振舞っても
隠した心の奥底で
泣いてしまいたくなった
神様の悪戯は
そんな麻衣を救うように
手を差し伸べてくる
会社から
支店移動の話が
舞い込んだのだ
恭一と離れた支店へ
配属が決まれば
毎日 顔を合わせなくて済む
好きなのかも
嫌いなのかも曖昧のまま
複雑な心境で仕事をするより
先輩後輩として
同じ会社の中で
別々の支店に配属された方が
気が楽になる
小さな引越し会社
支店と言っても
大規模な地域を
占めている訳でもなく
ただ自転車で通う距離が
マイカー通勤になるだけの距離
独身者の正社員となれば
会社の方も転勤辞令を
出し易かったのだろう
麻衣は
そんな軽い気持ちで
職場の事情も何も知らずに
会社の方針に従い
ひとつ返事で
了承していた