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circulation【4話】緑の丘

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 八年ほど前、日も落ちきった頃、連絡も無しに突然この家を訪問した私と父に、フローラさんもクロスさんも、とても驚いたらしい。

 その父は、私をこの家の玄関先に入れると踵を返して旅立つ始末で、一人置き去りにされた私は、どろどろの服のまま、玄関の隅っこに座り込んだっきり。
「もう、ご飯も食べてくれないし、着替えだけでもさせようとするんだけど、あちこち引っかかれちゃって大変だったのよ~」
 大変だったと言うフローラさんは、大変だというよりも、おかしくて仕方がないという風に話している。

 ああ、穴があったら入りたいというのはこういう時か……。

「せめて、クロスさんが居てくれれば、ラズちゃんをひょいっと抱えてお風呂に連れて行ったりも出来たんでしょうけれどね~……。あの人、ダニさんを追いかけて行っちゃったのよね~」
「あ、ダニさんって言うのはラズちゃんのお父さんね」とフローラさんが慌ててフォルテに補足する。

 それには、確かに覚えがある。

 両親が若い頃同じパーティーだったという、クロスさんとフローラさんの住むこの家には
 それまでにも何度か遊びに来ることがあった。
 いつも優しい笑顔の、クロスおじさんとフローラおばさん。
 私より年上で面倒見の良いデュナお姉ちゃん。
 ちょっと恐いけど、一緒によく遊んでくれたスカイ君。

 あれ、なんだか今とはスカイの印象が違ったんだなぁ……。
 当時十四歳だったデュナに比べて、十一歳だったスカイには、まだまだ子供っぽさがあちこちに残っていた気がする。

 ともかく、私の中でクロスさんはいつも爽やかな笑顔を纏った、穏やかな人だった。
 そんな人が、凄い剣幕で父と怒鳴り合いをするものだから、私は迂闊にも、私を置いて行こうとする父に縋る隙を失ってしまった。

『敵討ちだなんて、馬鹿な真似はよせ!』
『そんなこと言ってねぇだろ!!』
『じゃあどうして、こんな状態のラズちゃんを置いて出て行こうとする!?』

 結局、皆の制止を振り切って出て行く父を、クロスさんが追って行ってしまったのだが、もしあの時、頭に血が上ってどうしようもない父だけが旅に出ていたのだとしたら、今頃私は両親共に失っていたのかも知れない。

 いや……今思えば、復讐に我を忘れそうな父が、私をここに置いて行ってくれた事自体が奇跡的な気がしなくもないのだが、当時の私には“母さんを奪った私を、父さんは捨てて行った”みたいに感じたんだ……。

「途端に家は女子供だけでしょ? しかも、二人が戻ってきた時には、パーティー再結成の話が固まっちゃってたのよね~」

 うぐ。

 デュナとスカイは、冒険者の両親を持つにしては珍しく、生まれてこの方この家から地元の子達と変わらず、学校に通って生活していた。
 それは、小さい子達を危険な旅に連れて行くべきでないというクロスさんの考え方によるものだった。
 そうは言っても、基本的に冒険者というのは、継ぐような家業もなく他に仕事もないような者が、仕方無しになる者が少なくなかったし、むしろ家すらないような者も珍しくなかった。
 そんな中で、結婚を機に家を建て、落ち着けるだけの財産を蓄えられたクロスさん達の実力はかなりのものだろう。
 それでも、一生分というほどの蓄えには達していなかったのか、それとも、フローラさんの壊滅的な家事による出費が予想を上回ったのか……。
 ともあれ、クロスさんは元々デュナ達がそれなりの歳になったら、もう一度冒険者に復帰するつもりだったらしい。

 そのきっかけが、どうやら突発的な私の父との旅だったようだ。
 なんだか、それが、まるで私の父がデュナ達の父親を連れて行ってしまったように思えて、あの頃の私には、いや、今の私にとっても、酷く申し訳なかった。

「ラズ……お母さん、いなかったの……?」
 ぽつり。とフォルテのか細い声。
 ハッとそちらを見ると、フォルテはそのラズベリー色の瞳を僅かに滲ませていた。
 そういえば……フォルテには私の母が亡くなっていた事を話していたっけ……?
 確か、以前に両親の事を聞かれた時には
「親は、クロスさんと一緒にクエしてるよ」という返事で済ませてしまった気がする。
 じっとこちらを伺う大きな瞳。
「う、うん……」
 ぎくしゃくと返事をして頷く。
 か、隠していたわけじゃないんだけど……なんだろう。この罪悪感は……。
「今のフォルテちゃんより二つくらい小さい時にね。ファシーは……と、ラズちゃんのお母さんは、ラズちゃんの事を守って……」
 いつもふわふわと話すフローラさんが、珍しく声のトーンを落とす。

 私を守って母は死んだ。それは間違いではない言い方だろう。
 しかし、それはつまり、だ。
 私を守らなければ、私という荷物がなければ、母は死ななかったという事でもあった。

 ぐらり。と頭の隅で何かが揺れる。
 反射的に、部屋を見渡す。
 何を探しているんだろう。私は……。

 何を探していたのかは分からないけれど、
 目当てのものがなかったということだけは分かって、そっとテーブルに視線を落とす。
 手元では、赤いスープがまだほんの少しだけ湯気をのぼらせていた。

 **********

 布団の端を引き寄せる。
 久しぶりに自室で過ごす夜。

 硬い地面の上で寝ることにも慣れてはいたけれど、やっぱり、ベッドはふかふかで気持ちがいい。
 ここしばらく、私はフォルテの部屋の床で寝ていた。
 最初はフォルテの体調が心配で、看病のつもりだったのだが、そのうちそれは、フォルテを一人にしてしまうと、一晩中泣いて過ごしてしまうのではないかという心配に変わっていた。

 夕食時のフローラさんの説法……途中まで思い出話だったそれは、ふと気付けば、世の中にはもっと大変な子がいっぱいいるんだとかそういう話になっていて、最後には
『無い物を数えようとしても、キリがないんだから。
 人はね。今あるものに感謝して生きないといけないのよ』
 と、聖職者らしい説法でまとめられていた。

 確かに、フローラさんが無い物を数え始めたら……って、そうではなくて。
 ふんわりとしたフローラさんの微笑と共に、
『フォルテちゃんには、私も、ラズちゃんも、デュナもスカイもついてるでしょう?』
 と、その大きな瞳を覗き込まれたフォルテの顔色が、あの瞬間、確かに変わった。

 ハッと、何かに気付いたような顔をして固まってしまったフォルテを、フローラさんが満足そうに眺める。

 フォルテが、辛い記憶より私達の事を選んでくれたのだと、私達は気付いていたけれど
 それは、フォルテにとって意識的なことではなかったようだ。
 人に言われて初めて、失った物から今傍にあるものへ目を向けられたのだろう。
 フォルテがそうっとこちらを見上げる。
 困ったような、どこか縋るような目に見つめられて、私はその小さな頭を優しく撫でた。

 夕食の後片付けには、フォルテは食器を集めて、私の洗った食器を拭いて……と、お手伝いをしてくれた。
 昨日や一昨日のように、ふいに固まったり、どこか遠くを見ていたりということもほとんど無く。
 それを見て、今夜は自室で寝てもいいかな、と判断した。