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circulation【4話】緑の丘

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1.スープ



 クツクツと、お鍋が音を立てている。
 刻んだじゃがいもをそうっと鍋に入れてから、ちょっと考える。

 三人でこの量はちょっと多かったかな……。

 デュナとスカイを見送ってから、まだ三日しか経っていない。
 にもかかわらず、なんだかもう随分長いこと二人の顔を見ていないような気がしてくる。

 台所には私一人。

 フローラさんには、裏の庭でパセリを取ってきてくれるようにお願いしてある。
 立場上、私がフローラさんを使うのはおかしな気もするのだが、こうでもしないと、彼女は大人しくしていてくれなかったし、何より、何かを頼まれたときのフローラさんは本当に嬉しそうにするのだった。

「ラズちゃん~、葉っぱ取って来たわよ~♪」

 フローラさんがうきうきと戻ってくる。
 葉っぱと言われると、何だか雑草みたいだなと思いつつその葉を受け取る。
 それはパセリではなかった。

 ああ、うん。確かに葉っぱだ……。

「どう? それで合ってるかしら??」
 フローラさんがふんわりと微笑む。
 ぱあっと周囲を華やかに包む笑顔を前に、どう返事をしたものか一瞬迷う。
 自分で取りに行く方が早くて確実ではあったが、夕飯の準備が終わるまでもう少しかかる。
 それなら、もう一度お願いしておく方が、夕食の支度完了までフローラさんを足止めできるかな……。
「え、ええと……この葉っぱの、もうちょっと右の方に、葉の部分がこう、もしゃもしゃっとした草がありませんでした?」
「まあ……。これじゃなかったのねぇ……」
 あからさまにしょんぼりとしてしまったフローラさんに、掛ける言葉を探していると
 彼女はパッと顔を上げた。

「待っててね、ラズちゃん、すぐ取ってくるわね~♪」

 元気良く出かけて行こうとするフローラさんの背に
「あ、そんな急がなくていいですよっ、ゆっくり行って来て下さいーっ」
 と、慌てて声を掛ける。
 パセリは、料理の最後に刻んでパラパラとかけるだけのつもりだし、食事の支度が完了した後で十分間に合う。
 むしろ、その方が嬉しいくらいだ。
 フローラさんが戻る前にとテーブルセッティングに取り掛かる。
 いつもなら、こういったことはフォルテにお願いしてしまうのだが、フォルテはあれ以来、部屋に篭りがちだった。

 こういう時って、どうするのが一番いいんだろう……。

 フォルテの傍に居る方がいいのか、それとも一人にしておくほうがいいのか、私には分からなかった。
 フォルテは、傍に居てとも一人にしてとも言わないし、なるべく、私達の前ではいつも通りに振舞おうとしているようだった。
 そんな風に無理をさせるのがいい事なのかどうか。
 フォルテが泣きたいのか、泣きたくないのかという肝心の所が分からない。

 食卓に料理を並べる。
 野菜たっぷりのミネストローネを注ぎ分けて、やはり作った量が多すぎたことに気付く。
 明日はこれでリゾットかパスタにしよう……。

 フォルテを呼びに行き、部屋の扉をノックしようと、軽く手を握り構えた時
 扉の向こうからかすかな嗚咽が聞こえた。

 ……やっぱり、一人だと泣くんだ……。

 そういえば、私もこの家に来てすぐの頃は毎日泣いてばっかりで
 フローラさん達を随分困らせてしまったっけ……。

 あの時はどうだったかなぁ。
 泣きたくて泣いていたのか、泣きたくないのに泣いていたのか。

 まったく思い出せないや……。

 八年ほど前の出来事が、今の私には果てしなく遠い昔に思えていた。

 しばしの躊躇の後、聞こえなかったフリをして、夕食に呼ぶ。
「フォルテー、ご飯だよー」
 幸い、フォルテは私達の前ではいつも通りに振舞おうとしてくれるので、ご飯を食べないということはなかった。
 食欲は……やはり落ちているけれど、なるべく食べるよう努力してくれている。
「……はーい」
 一拍おいて、扉の向こうから、声の震えを精一杯押し殺したような、小さな返事が聞こえた。
「今フローラさんがパセリを取りに行ってくれてるから、ゆっくり降りておいで」
 なるべく普段と変わらない調子で声を掛けて、階段を下りる。
 台所へ入ろうとしたところでフローラさんと鉢合わせる。
「ラズちゃん、これかしら~♪」
 フローラさんの掲げた草は、やはりパセリではなかった。
「い、一緒に取りに行きましょうか」
「あらまあ……これも違ったのねぇ……」
 パセリとは似ても似つかない雑草を手に、しょんぼりとうなだれるフローラさんを促して、裏口から庭へ出る。
 普段、フローラさんはパセリをパセリと認識することなく食べているのだろうか……?
 これがパセリですよ。と裏庭を出てすぐに見つけたパセリを摘んで、軽く説明をしてから家に戻ると、フォルテがそろりと降りてきたところだった。

 三人で囲む食卓。

 摘みたてのパセリの香りが漂うミネストローネには、粉チーズもたっぷり振り掛けてある。
 まだ湯気のあがるそれは、フォルテやフローラさんが好む、甘めの味付けにしてあった。
 しかし、スープを口にしたフォルテから感想が出ることはなかった。
「まあ、ラズちゃん、このスープおいしいわねぇ~♪」
 フローラさんからはいつも通りの反応。
 彼女は、例え料理が大失敗していても、美味しい美味しいと喜んで食べてくれる。
 最初はお世辞なのかなと思っていたのだが、どうやら味が分かっ…………ええと、その、寛容な味覚をお持ちのようだった。

 それにしても、フォルテの目が赤い。
 瞼もぽってりと腫れて痛々しかった。
「フォルテちゃん、おめめが真っ赤ね~。うさぎさんみたいよ?」
 フローラさんに指摘されて、フォルテがビクッと顔を上げる。
 ここまで、精一杯気付かないフリをしていた私の努力は水泡に帰した。
「一人で泣いてたの?」
 フローラさんの口調は咎めるでもなく、ただ優しく問いかけていた。
 しばらく困ったようにふよふよと視線をさまよわせていたフォルテだったが、観念したのかコクリと小さく頷く。
 俯いたまま頷いたフォルテのふわふわのプラチナブロンドが
 スープの中に浸かりそうになる。
「ふふっ。こうしてると、昔のラズちゃんを思い出すわねぇ」

 え、私!?

 慌ててフォルテからフローラさんに視線を移すと、フローラさんは遠い目をして、なにやら楽しそうに微笑んでいる。
「もうね、家に来た時は酷かったのよ~?」
 クスクスと笑いをこぼしながら……いや、それってどうなんだろう。
 笑われてるのは……昔の私? 今の私……??
「わぁぁ、わ、忘れて下さいーっっ!」
 私は、この家に来てすぐの頃の事を良く覚えていなかった。
 とにかく頭の中がぐちゃぐちゃで、周りが何も見えていなかったことだけはわかっているのだが、……一体どんな事をやらかしていたのだろう。
 覚えていないという事が、余計に恐ろしい。

「あれはもう……八年くらい前のことねぇ……」

 話し始めてしまったフローラさんを止めきれず、止む無く小さな私の失態を聞く覚悟をする。せめて、フォルテの励ましになりますように……と祈りつつ。