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circulation【4話】緑の丘

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 続いて私の口から漏れる、潰れたような声。
 ガクンと音が聞こえそうなほど、急激に動きが止まった私の首には、二人分の体重がかかっていた。
「ふぅ。何とか間に合ったか……」
 スカイが私のマントを掴んだまま、後ろで呟く。
 待って、ごめん、今これ首すっごい絞まってるから、ホッとする前に何とか――……。
 言い返そうにも、強烈に絞まった首元に気道を完全に塞がれて声も出せない。
 目前に、急斜面。足元は依然として自分よりも高くて、このまま手を離されては顔面で斜面を滑り落ちるしかない気はするが、このままマントを掴まれていると、確実に死にそうだ。
「……実は、俺もこの体勢を保つのが精一杯なんだが、このままマントを思い切り引いてもいいか?」
 いやいや、ダメだよ!!
 今ですら首も背骨も限界なのに、そんなの、引っ張られた途端に首骨も背骨も私の意識も終わるよ。
 額に浮かぶ大粒の脂汗。
「ラズ、顔、黒くて紫だよぅ……」
 腕の中から、ラズベリー色の瞳がどこか怯えるように私を見つめる。
「以上の構成を実行!」
 デュナの凛とした声が丘に響く。
 その声に、全員がホッとする。
 急激に発生した局地的な上昇気流が、私の嫌な汗を吹き飛ばしながら舞い上がった。
 ドサッと、フォルテを抱いたまま後ろに倒れ込む。
 背に受ける衝撃をそれなりに覚悟していたのだが、実際はスカイが下敷きになってくれたおかげでそうでもなかった。

 はぁ……。吃驚した……。
 一時はどうなることかと……。
 帽子は家に置いてきたけど、マントだけでも着けてきてよか……った、の、かなぁ……?
 私の上にうつぶせになったフォルテがぴょこんと跳ね起きる。
 その気配に、ゆっくり目を開くと、遠近感が掴めないほどの真っ青な空が視界いっぱいに広がっていた。

「おい、ラズ、大丈夫か?」
 地面から、私に潰されたままのスカイが心配そうに声をかけてくる。
 うん。と返事をしようとして、途端に咳き込む。
 咳に合わせて、首も背中も軋むような音を立てている。
 うう、起き上がるの辛いだろうなぁ……。

 絞められた前側も痛かったが、それより、グキッとなった後ろ側が強烈だった。
 起きて、治癒かけないと……。
 と、起き上がるべくお腹と首に力を入れかけた時、ふんわりとした笑顔で、フローラさんが視界に現れた。
「ラズちゃん、そのままでいいわよ~。首痛めちゃったでしょう……?」
 すらりと細い指を揃えて、フローラさんが私の首に手をかざす。
「あ、でもスカイが……」
 起き上がれないから、と続けようとした言葉が咳に変わる。
「スカイなら大丈夫よ」
 と断言するデュナの声。
「おう、ラズくらい軽いもんだ」
 それに返事をするように、背中から明るい声がする。
 そうかなぁ。あんまり軽いほうじゃない気がするんだけど……。
 ふと、スカイに背負われてこの丘に登った日の事を思い出す。
 そっか。もう八年も前に、スカイは私を背負えたんだっけ。

 なんだか急に、心配する必要がなくなった気がして、私はそのまま大人しく祝詞の終わりを待つ事にする。
 デュナの声にほんの少しだけ首を傾けたせいか、真っ青な視界の端に今はチラチラと黒い布が見えていた。

 スカイのバンダナ……クロマルの尻尾の部分だろう。
「……その聖なる御手を翳し、傷つきし者に救いと安らぎを」
 治癒術はフローラさんの十八番なだけあって、流石にスラスラだ。
 冒険者を辞めてからも、なぜか毎日あちこち怪我をするフローラさん。
 その治癒術の腕は鈍りようがなかった。
 私よりもずっと多い回復量で、首の痛みが一度で綺麗に消え去る。
「ありがとうございますっ」
 咳き込まず話せることにホッとしつつ、体を起こそうとするも、今度は背の痛みに固まる。
「あらまあ、背中も痛めちゃったのかしら。今治すわね、じっとしててね~♪」
 フローラさんが続けて祝詞を唱え始める。
 横目で見たその表情は、とてもイキイキとしている。
 ちなみに、私の今の体勢は半うつ伏せというか、
 横を向いているようなうつ伏せているような形で、
 先ほどの動作で足こそ下ろしたものの、上半身はまだスカイの体の上だった。
 スカイが、恥ずかしいのか顔を背けているので、自然とその後頭部が目に入る。
 つぶらな瞳が描かれているはずの、真っ黒いバンダナにそっと顔を寄せてみる。
 あの日、ペンキの臭いを漂わせていたクジラからは、今、スカイの匂いがした。

 今年もきっと、もう少しすれば、優しい雨の日に、空から子クジラ達の卵が降って来るだろう。
 空クジラが卵から生まれるという点は、海のクジラ達と明確に違う部分だった。

 眼前で硬直している黒いバンダナが、遠い日に出会ったあの子クジラの姿と重なる。
「クロマル……」
 私の微かな呟きに重なったフローラさんの声が、はっきりと祝詞の終わりを告げる。
「……傷つきし者に救いと安らぎを」
 白い光に包まれて、背中がミシミシと疼く。
 すうっと光が消えてゆくのに合わせて、背の痛みも消え去った。
 よいしょと起き上がり、フローラさんにお礼を言うべく口を開いたその時、背後でスカイが「キュイー」と無理そうな高音で鳴いた。
「…………」
 お礼を言ってもらうのが生きがいと言っても過言ではないようなフローラさんの、期待に満ちたニコニコ笑顔が、キョトンとした表情に変わる。

 振り返れば、フォルテも吃驚したような不思議そうな顔で、デュナに至っては呆れ返ったような半眼で、皆スカイを見つめていた。

 皆の視線を一身に受けたスカイが、その視線から逃れるように俯く。
「……なん、だよ……」
 耳まで赤くして、照れ隠しにもならないような言葉を呟くスカイは、あの頃の少年のままに思えた。

 普段、恥ずかしい台詞も平気で言うくせに、こんな風に注目されるのは相変わらず苦手なのかな……。
 それでも、声を荒げないところや、眉間を押さえるその薬指は、ここで交わした私との約束があったからだろう。
 そう思うと、懐かしいような、くすぐったいような思いがした。
 苦笑しながらスカイに言う。
「もうクロマルも子供じゃないんだから、そんなに可愛く鳴かないでしょ」
 無理な声を出したスカイが、皆に見つめられて可哀相に見えるのは、その鳴き声が可愛過ぎたからじゃないだろうか。

 思えば、あの頃も私がクロマルの名を口にすると、スカイが慌てて鳴いていたけれど、それが不自然じゃなかったのは、きっとまだスカイが小さな少年だったからだ。
「お、大人クジラ……って、なんて鳴くんだ?」
「さあ……」
 スカイに真剣に聞き返されて、私も返事に詰まる。
 いや、別に、大人の鳴き声で鳴けというつもりではないんだけど……。
 スカイが、頼れる姉に助けを求める。
「ねーちゃんねーちゃん、大人のクジラって……」
「パオーンて鳴くんじゃない?」
 間髪入れずにデュナがすぱっと返事をする。
 ……それって、クジラの鳴き声だっけ?
「ぱ…………ぱおーん」
 神妙な顔で、なるべくそれらしく鳴いてみるスカイに、お腹を抱えて爆笑するデュナ。
 抱えていたバスケットを慌てて隣に降ろしている。