赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま 16話から20話
「実態はわからないのですか・・・ふぅ~ん。
では、歌の中で作られた架空の人物なのですか、小原庄助さんと
いう人物は?」
「何人か、モデルの言い伝えがあります。
最初に登場する庄助さんは、唄の中の飲みっぷりががぴったりの人。
江戸時代。ご城下にあった「丸正」という屋号の商人が材木で大儲けします。
東山温泉で連夜、豪遊をしています。
『小判釣り』というお座敷の遊びをしたと言うから、豪快です。
唄の文句のように、身上をつぶすほど遊んだらしいのですが、
それで身上をつぶしたかどうかは、記録に残っていません」
「身上を潰さなかったのなら、小原庄助ではありませんねぇ。うふふ」
「その次の庄助さんの先祖は、会津藩の藩祖といわれる保科正之公とともに、
信州の高遠から会津にやってきたお人です。
この方が会津へ赴任したのは、1643年のこと。
それから200年あまりの時が下り、幕末に小原庄助なる人物が登場します。
苗字帯刀を許された郷頭という身分で、戊辰戦役の際、西軍と壮絶な
戦いを繰りひろげます。
勇猛果敢に戦った末、戦死したと伝わっています。
お墓は会津若松市内の秀安寺に、残っています。
まさに同名の、小原庄助さんそのものです。
ですが果たしてこの人物が、唄の中の庄助さんかどうかは、
いまだに解明されていません」
「あら。同名の方が居たのですか。でもそのお方とは違うようですねぇ。
大酒のみでもないし、朝からお風呂に入っていませんねぇ・・・」
「もうひとり、庄助さんがいます。会津漆器の塗り師で、久五郎なる人物。
彼はめっぽう酒が強かったようで、晩年、会津から少し離れた白河の友人宅で
客死したと言われています。
その方のお墓は、白河市の皇徳寺に、今も残されています。
墓石のカタチは猪口と徳利。戒名は『米汁呑了信士』。
庄助さんのイメージに、ぴったりでしょう。
時世の句が、『朝によし昼なおよし晩によし飯前飯後その間もよし』
と結局、何時呑んでも酒は旨いと詠っています。
お墓の石を削って飲むと、下戸でも酒が飲めるようになったと
いう言い伝えがあるほどの、大酒豪です」
作品名:赤襟の清ちゃんと、三毛猫のたま 16話から20話 作家名:落合順平