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銀の錬時術師と黒い狼_魔の島

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 その質問に応える前に、ガイルはもう一杯、水差しから茶碗に水を注ぎ、時間をかけて飲み干した。窓から射しこむ月光に顔を向け、まぶしそうに目を細める。
「そういえば今夜は満月でしたな。ということは、あなたがたは……いや、無粋な話題はよしましょう。私には関係のないことです」
 リンの眉がピクリと動く。レギウスはギリッと奥歯をかみしめた。
(こいつ、そんなことまで知ってるのか……)
「ターロン殿には恋人がいました。そう、恋人といってもいいでしょう。三爵閣下のお許しがあれば、いずれふたりは結婚していたでしょうからな」
 ガイルはからになった茶碗に、急に興味を持ったかのように、手のなかで逆さまにひっくり返して、ためつすがめつながめた。
「〈英雄の記念碑〉の町の司統官(しとうかん)にはふたりの娘──姉のラシーカ殿と妹のフィリア殿がいましてね。フィリア殿とターロン殿は恋仲だったんですよ。とてもおきれいで聡明な、将来を嘱望されたお嬢さんでした」
 レギウスはガイルが過去形を使ったことに気づいた。その理由を、ガイルは次に続くセリフで明かす。
「五年前、このあたりで竜皮病(りゅうひびょう)が流行しました。流行そのものはすぐに下火になったのですが、〈英雄の記念碑〉の町でも五十人近い犠牲者が出ました。そのとき、運悪くラシーカ殿とフィリア殿の姉妹も竜皮病にかかりましてね。三爵閣下は王都から国内最高の名医を呼び寄せて、おふたりの治療にあたったんですが……残念ながら発症から四日目に姉妹は亡くなりました。ターロン殿が出家して〈統合教会〉の僧になる、と言いだしたのはフィリア殿が亡くなった直後ですよ。閣下は思いとどまらせようと何度も説得したのですが、ターロン殿を翻意させることはできませんでした」
「つまり、三爵のご子息は恋人を亡くした絶望から俗世を離れて出家しようと思い立ったんですか?」
 リンの問いかけにガイルはすぐに答えなかった。ためらう素振りを見せたあと、手のなかの茶碗に視点を落とし、抑揚にとぼしい声で言を継ぐ。
「……それもあったでしょう。フィリア殿を亡くした悲しみのあまり、しばらくのあいだ自室に引きこもっていましたからね。五柱の神々のご慈悲におすがりするのが自分に残された最善の道だ──そう思ったのかもしれません。ただ、錬時術師になりたいという願いのほうは、私には理解不能でした。ターロン殿になにか考えがあったのだと思いますが、私にはわかりかねます」
 レギウスはガイルを注意深く観察した。表情にはなにも表れていない。本当にわからないのかもしれない。けれども、この男の言うことを額面どおりに受け止める気にはなれなかった。〈統合教会〉の裏をかいて錬時術師をひそかに雇い入れようと画策している人物なのだ。都合の悪いことまでペラペラとしゃべるとは思えない。
(……なんか隠してるな、こいつは。おれたちがそれを知ったら仕事を断られるとでも思ってんのか?)
「ターロンの行方について心当たりはねえのか?」
「ありません。こればかりは〈統合教会〉のなかでも至爵(ししゃく)位にある高僧しか知らない機密事項になってましてね。私の情報収集力ではそこまで探れませんでしたよ」
 ガイルが力のない笑みを浮かべる。いまのは嘘偽りのない事実なのだろう。
「〈統合教会〉のほうでも動きがあるようですね。七人もの僧兵を殺されたんです。教会もこのまま黙っていませんよ」
「それはつまり、この仕事を引き受けたら〈統合教会〉が邪魔をしてくるかもしれない、ということですか?」
 リンの言葉は質問というよりも確認に近かった。ガイルは陰気な顔で首を縦に振る。
「そう思っていただいてもいいでしょう。もっとも、あなたたちでしたらどんな問題が起きても対処できるはずです」
「そうですか。ずいぶんとわたしたちを買ってくれてるみたいですね」
「あなたは南方五王国──いや、新大陸で最強の錬時術師ですよ、リンさま」
 ガイルは真顔で断言した。
「正直、ここであなたに出会えたのは運命以上のものを感じますな。これも五柱の神々の思し召しでしょう」
 そう言って、またもや印を切った。
 リンはかたちのよい眉を逆立て、ガイルをにらみつけている。きっとレギウスと同じことを思っているのだろう。
(ああ、そうだよ。おれたちをここへ導いたのは月の女王だ。偶然なんかじゃない)
 リンの険しい眼差しに気づいていたとしても、ガイルはそれを無視するだけの胆力を持ち合わせていた。
「それでは、お返事をお聞かせください。キシロ三爵閣下からの仕事を引き受けてもらえますか?」
 リンは目をつぶった。迷っているわけではない。返答はもう決まっている。ただ、〈統合教会〉とやりあうことになるかもしれないとわかって、気分が悪いだけなのだろう。
 ややあって目を開け、ガイルに返事をしたときのリンの声は、天気でも語るときのようにそっけなかった。
「……わかりました。この仕事、お引き受けします」