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銀の錬時術師と黒い狼_魔の島

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 ガイルは五柱の神々を讃える聖句を唱え、すばやく印を切った。水しかありませんが、と面目(めんぼく)なさそうに断って、別の玻璃樹の茶碗に水を手ずから注ぎ、リンとレギウスに勧める。
 レギウスは茶碗に口をつける。ただの水じゃなく、口に含むと白イチゴの酸味が舌を刺した。
「わたしたちのことはよくご存知のようですね?」
 と、リンが水を向ける。
「ええ、知っていますとも。私たち〈統合教会〉の僧官のあいだでは有名ですからね。〈銀の錬時術師〉のリン──それとも、〈双頭の帝国〉のローラン皇女殿下とお呼びしたほうがいいですかな?」
 とたんにリンの顔がこわばった。
「その名でわたしを呼ばないでください。わたしはもう皇女なんかじゃありません」
「そうでしたね。あなたはかの旧帝国から追放された元皇女だ。どうして追放されたのかは知りませんが……おっと、怒らないでくださいよ。私は自分が知ってることを口にしてるだけなんですから」
「……で、おれのことも知ってるのか?」
 レギウスはガイルを真っ正面から見据える。ガイルは臆することなく、レギウスの視線をがっちりと受け止めて、
「〈銀の錬時術師〉の護衛士──〈黒い狼〉。もっともあなたが〈黒い狼〉と呼ばれるようになったのは〈光の軍団〉にいたときからのようですな。最後は僧佐(そうさ)の僧位にまで昇進したとか。私とあなたでは所属する教会こそ違いますが、五神教徒の聖職者であることは同じです」
 レギウスはしなびた苦笑を洩らす。
「おれは〈光の軍団〉から破門された賞金首の叛逆僧だ。もう聖職者じゃないさ」
「五柱の神々を崇拝する気持ちがあるかぎり、あなたはいまでも聖職者ですよ。私はそう思います」
 それは違う、と言いかけてレギウスは口をつぐむ。
(五柱の神々を崇拝する気持ち……そんなものがまだおれのなかに残ってるんだろうか?)
「それで、あなたが身分を偽ってまでこんなところにいるのはどうしてなんですか?」
 と、リンが当然の疑問を口にする。
 ガイルは「フム」とつぶやいて席を立ち、床に置かれた長櫃(ながびつ)のなかから人間の頭よりも少し小さい、白っぽい球を取りだしてテーブルの上に置いた。
 封時球(ふうじきゅう)だ。光や音を閉じこめる雪水晶(ゆきすいしょう)の性質を利用してつくられた、メッセージを運ぶための媒体。これを移動速度の速い鳥獣に運ばせて情報のやりとりを行っている国や組織は数多くある。
「まずはこれを見てもらいましょうか。私の主君、キシロ三爵閣下のメッセージをこのなかに封入してあります」
 ガイルがメッセージ起動のための簡単な第二種術式文字を空中に描く。封時球の表面にくっきりとした映像が浮かんだ。
 どこかの一室であるらしかった。背後に書物のぎっしりとつまった背の高い書棚が見える。書棚の前に置かれた長椅子に中年の男女が腰かけていた。いかつい顔立ちの、肩幅の広い男がおそらくキシロ三爵そのひとだろう。女性は三爵の夫人か。
 画面のなかの男が口を開いた。
「私はキシロ三爵家の当主、ハマン……そして、私の横にいるのがわが妻、セレナだ。このメッセージを見ている錬時術師の貴公に私から仕事を依頼したい。報酬は前金で通商金貨三百枚、成功すればさらに五百枚を支払う」
 金額を聞いてリンの顔がパッと輝く。破格の報酬だ。本来なら一年以上は悠々自適の生活を送れるだけの大金なのだが、リンの胃袋を満足させるとなると、とたんに金貨の寿命が短くなる。まあ、それでも数ヶ月はもつだろう。
 逆にいえば──
(……とんでもない仕事だな、こいつは)
 レギウスのイヤな予感はまたしても的中した。
「仕事の内容は……」
 三爵が言いよどむ。隣に座る夫人が身じろぎする。涙をこらえているのが画面からもわかった。
「仕事の内容はわが息子、ユドルの行方をつきとめることだ。ユドルは五年前に出家して、いまは〈統合教会〉に所属する錬時術師となっている。〈統合教会〉での法名は〈星の写本師〉房(ぼう)のターロン──法名を剥奪されていなければ、いまでもターロンと名乗ってるはずだ。息子の行方がわかったら……」
 三爵はそこで深呼吸した。こらえきれなくなった夫人が静かに泣きだした。一語一語を区切るような言い方で、三爵は言葉をしぼりだした。
「息子を……殺してほしい。それが貴公に依頼する仕事だ」
 三爵が床にひざまずき、五神教徒の印を切ってこうべを垂れた。その横で夫人が床にひれ伏し、苦しげな嗚咽(おえつ)を洩らした。三爵が悲痛な声で叫ぶ。
「おお、五柱の神々よ! 愚かな私を……わが子の死を望む私の罪をお赦しください。願わくは、わが子に安らかなる死を賜らんことを。冥界の王よ、御身(おんみ)の……御身のご慈悲を……少しだけでもわが子に……」
 映像はそこで終わっていた。
 リンもレギウスも二の句が継げない。ガイルは無言で暗くなった封時球をながめていた。
 不自然な静寂を打ち破ったのはリンだった。声が少し震えている。
「依頼主の息子を探しだして……殺せというのですか?」
「いま聞いてもらったとおりですよ。三爵閣下の意志はきわめて明白です。私からもお願いしましょう。ターロン殿の行方をつきとめ、あのお方を冥界の王のしろしめす永遠(とこしえ)の王国へ送り届けてもらいたい。仕事を引き受けていただけるのなら、いまこの場で通商金貨三百枚をお支払いします」
 ガイルはテーブルに額をついて頭を下げた。
「…………」
 常軌を逸した依頼の内容に、リンが珍しく言葉につまっている。
 レギウスはフンと鼻を鳴らした。
「だからあんたは交易商人に身をやつしてたんだな。三爵の息子とはいえ、そいつは〈統合教会〉の坊主なんだろ? 坊主の殺害の依頼なんて、教会が絶対に認めるはずはねえからな」
「私も全部が全部、納得してるわけではありませんよ。三爵閣下のお気持ちを忖度(そんたく)した上で行動してるんです」
「父親が殺したいと思うなんて、いったいなにをしでかしたんだ、その坊やは?」
「〈統合教会〉は詳しく教えてくれませんでした。何度訊いても、ターロン殿が〈僧城(そうじょう)〉から脱走した、の一点張りでしてね」
「脱走?」
 リンのオウム返しの言葉にガイルは小さくうなずいて、
「貴族に仕える身とはいえ、私も〈統合教会〉のなかでは教爵の僧位を得た人間です。この国の教会の中枢部にはそれなりの人脈もあります。それで、伝手(つて)をたどって裏の事情を探ってみました。その結果、わかったことなんですが、どうやらターロン殿は〈僧城〉を脱走する際、七人の僧兵を殺したらしい。七日前のことですよ」
「僧兵を七人も殺したですって?」
 リンが驚きに目を丸くする。
「確かな情報ですよ。〈統合教会〉は緘口令(かんこうれい)をしいてこの事件を外部に伏せていますけれどね。それと、ターロン殿には協力者がいたようです。若い尼僧がターロン殿といっしょに脱走したとか……」
「そのターロンとかいう男、錬時術師だったようだな」
 レギウスはキシロ三爵の言葉を思いだした。
「どうして〈統合教会〉の坊主に……それも錬時術師になりたいだなんて思ったんだ、そいつは?」