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銀の錬時術師と黒い狼_魔の島

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第二話 貴族からの依頼


 リンが錬時術を使って、自分とレギウスの頭上の時間を止める。雨滴が空中で凝り固まった。おかげでふたりはどんなにひどい雨でも濡れることがない。
 一方、傭兵たちはずぶ濡れだった。馬車の御者席にふたり、ガイルの身辺警護にふたりが馬車に乗りこみ、先頭に立ったトマとその他の三人は乗馬の背中で滝のような雨を全身に浴びている。
 みんな不機嫌そうな顔。自然と会話は途絶える。
 リンとレギウスは行列の最後尾についていた。リンはたったいま手に入れた大陸金貨三十枚をほくほく顔で観察している。
 南方五王国でしか流通していない通商金貨は含有される金の純度が高く、大きさも大陸金貨にくらべたら指の関節の半分ぐらい大きい。大陸金貨は新大陸のどこでも──南方五王国だけではなく、中原七王国や大陸北部の〈凍月(いてづき)の帝国〉でも通用する通貨だ。だが、粗悪品が多いため、価値としては通商金貨の半分ほどしかない。
 それでも、カネはカネだ。きっとこの一枚でどれだけの食べ物が買えるのだろう、とリンは夢想しているのに違いない。だらしなく緩んだ口許を見ただけで、彼女の考えていることが容易に想像できた。
 ちなみに、今朝がたまで滞在していた町でリンが好んで食した珍味の食用ネズミは、一匹で大陸金貨五枚分の値段がした。たかだかネズミのくせに、とレギウスは苦々しく思い起こす。
 浪費の目立つリンに資金を預けたりせず、カネの管理はレギウスが一手に引き受けたいのだが、なかなかそうもいかない。そういうときにかぎって、リンは自分の立場を強調する。わたしはあなたの「主人」なんですからね、と。切り札を出されると彼女の護衛士であるレギウスは無条件に服従するしかない。
 それよりも、いまいちばん気になるのは──
「リン」
 小声で呼びかけると、リンが馬上で身体ごとレギウスのほうに向きなおる。左右で色の違う双眸(そうぼう)がスッと細められた。
「リン、気をつけろ。あのガイルって男は交易商人なんかじゃない。あいつは……」
「〈統合教会〉の僧官ですね。それも法爵(ほうしゃく)か教爵(きょうしゃく)の僧位にある有爵僧だと思います」
「……気がついてたのか?」
「五神教徒の印を切っていましたから。あの印のかたちは〈統合教会〉の高位僧官独特のものです」
「で、ヤツが〈統合教会〉の坊主だとわかってるのについてくのか?」
「なにか教会にも知られたくない事情があるのでしょう。でなければあんな偽装はしていません。すぐに見破られる下手な偽装ですけれどね。それに……」
 リンは言葉を切り、雨にけぶる前方の馬車をじっと見つめる。
「それに、〈統合教会〉のすべての僧官がわたしたちを忌み嫌ってるわけじゃありません。わたしだって五柱の神々の信徒なんですから」
「そんな理屈が通じるんだったら、五神教徒と六神教徒は殺し合ってなんかいねえよ」
 リンは答えなかった。不用意な言葉でレギウスを刺激したくなかったのかもしれない。レギウスも押し黙る。
 灰色に塗りこめられた空を金色の稲妻が駆け抜けた。重苦しい雷鳴があたりの空気を震わせる。
 リンが空を仰ぐ。ポツリとつぶやいた。
「……今夜は満月ですね」
 ややあって、レギウスは「ああ」とぶっきらぼうな口調で応じた。

 日が暮れる前に一行は〈飢狼(がろう)の城塞〉の町にたどり着いた。しのつく雨も町に着くころにはだいぶ小降りになっていた。
 町の名前の由来となった城塞はここから少し北寄りのところに鎮座している。ただし、城塞としての機能はとっくの昔に喪失していて、いまは崩れ落ちた城壁とボロボロに朽ちた廃墟が残っているだけだ。
 ガイルは町の中心部からやや外れた位置にある宿屋へと一行を誘導した。宿屋の主人とは懇意であるらしい。ガイルの顔を認めると、主人は一般客とは別の建物へ案内した。
 リンが森のなかで採ってきたキノコは「食べられない」と主人に調理を断られ、あっけなくゴミ捨て場に捨てられた。リン、涙目。それでも、たくさんの温かい食べ物にありつけて本人はしごくご満悦の体(てい)だ。
 根菜と三角羊の肉を煮こんだ濃厚なスープ、香草で包んだ風船魚の塩焼き、赤麦を混ぜたご飯、蜂蜜で漬けた甘露樹の葉、白イチゴに金砂糖をまぶした焼き菓子。場末の宿屋にしてはなかなかどうして、どれも絶品の料理だった。
 リンの旺盛な食欲を目(ま)の当たりにしてガイルが目を丸くしている。酒精の濃度が高い甘露酒を何杯も立て続けに呑み干したときは、トマでさえ感嘆のうなり声を洩らした。もちろん、食事代は全額ガイルの負担だ。だからレギウスも遠慮せず、ひさびさに腹いっぱい食べた。
 腹の突きでた吟遊詩人の下手くそな歌を聞くともなしに聞いていると、ガイルが食堂の奥のほうへと顎をしゃくった。
「どうですかな? そろそろあちらで話し合いませんか?」
 リンがうなずく。あれだけ酒を呑んでもまるで酔っていない。もっとも、レギウスはリンが酔っているところを見たことがない。
 レギウス自身も酒に酔わなかった。というより、いまは酔えない体質なのだ。リンと結んだ護衛士の絆が酒に酔うことを許さない。護衛士はいつでも体調を完璧に整えておく必要があるのだ。なので、どんなに酒杯を傾けても酒精はたちまち体外へ排出されてしまう。
 ガイルが先に立って食堂の外へ出ていく。トマがあとを追おうとしたが、ガイルが手で押しとどめる。
「大丈夫だ、おまえがいなくてもレギウスさんがいる」
 トマはあからさまな不審の目をふたりに向けたが、なにも言わなかった。
 ガイルが案内したのは自分の部屋だった。質素なつくりの部屋だ。調度品は必要最低限のものしかそろっていない。壁に寄せられた寝台、小さなテーブルと背もたれのない椅子が数脚、それに服や道具をしまう長櫃(ながびつ)があるだけだ。壁の灯台に置かれた蛍光樹が青白い光を放ち、室内をぼんやりと照らしだしていた。細長い窓からは冴えた銀色の月光が斜めに射しこんでいる。
 今夜は満月だ。
 それをレギウスは強く意識する。満月の夜はリンとレギウスにとって特別の夜だった。
 ガイルはテーブルの上に置いてあった水差しから玻璃樹(はりじゅ)の茶碗に水を注ぎ、ひと息に飲み干した。大きく息をつき、椅子を引き寄せてどっかりと腰を落とす。リンとレギウスに対面の席に座るよう身振りで促した。
 テーブルに両肘をつき、指で三角形の山をつくると、ガイルはおもむろに口を切った。
「錬時術師を探してたんですよ。あなたたちに仕事を依頼したい。私の話だけでも聞いてもらえませんか?」
「その前に、なぜあなたが身分を偽ってるのか、その理由をお聞かせいただけませんか?」
 リンの直截(ちょくせつ)な物言いにガイルは面食らったような顔をした。すぐに落ち着きはらった態度を取り戻すと、肩を揺すって愉快そうに笑う。
「なるほど、わかっていましたか。まあ、私の演技力などたかが知れてますからな。では、あらためて名乗らせていただきましょう。私は〈新しき誓約者〉房(ぼう)のガイルと申します。このあたりの領主であるキシロ三爵家の家僧(かそう)を務めています。普段はキシロ家の居城のなかの小さな聖堂を切り盛りしてる、しがない僧官ですよ」