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銀の錬時術師と黒い狼_魔の島

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 フィリアは謎めかした微笑を浮かべる。なんだか妙だ、とレギウスは思う。目の前の少女に巨神が宿っているのならば、答えをはぐらかすような言い方はしないだろう。
(巨神とは違うのか? だったら、この女はいったい……)
 リンは眉間に皺を刻んで、
「フィリアさんはどうなったんですか?」
「もうどこにもいないわ。あの方の永遠(とこしえ)の王国にもね。あの女の魂も食べてしまったから。どうあってもフィリアを生き返らせるわけにはいかなかったの。そんなの、絶対に許せない」
 フィリアは生まれたときと同じ姿の自分の身体を見下ろして、陶然と目をうるませる。
「イヤなあの女の身体だけど、大切に使わせてもらうわ。この身体だったら、ターロンさまはわたしを愛してくれるはずよ。ターロンさまはわたしだけのものになるの」
「……ターロンに愛されたいのなら、どうして彼を殺したんですか?」
「殺したんじゃないわ。あの方のもとへいったん送り届けただけよ。ターロンさまの役目はもう終わったの」
「なんですって?」
「もうすぐターロンさまは戻ってくる。〈黄昏の回廊〉が開放されたら、すぐにでもね。この身体はあなたみたいな化け物なんかよりもよほど神に近いのよ。老いることも、死ぬこともない。ターロンさまもわたしと同じ身体になるの。わたしたちは地上の神になって永遠に生きるのよ」
 フィリアは優雅な物腰でくるりと一回転してみせた。赤味を帯びた金髪がふわりとなびいて、彼女の繊細な肢体を優しく包みこむ。フィリアが軽やかな声をあげて笑う。
 狂ってる、とレギウスは思った。彼女は完全に狂ってる。
「それが……彼との取引で得た報酬ですか?」
 リンの口調には怒りがにじんでいた。
「すばらしいでしょ? フィリアの肉体を再生するときの術式に干渉してつくりあげたのよ。人間の身体なんて脆弱すぎるわ。短命だし、力を行使しようとするとすぐに壊れてしまう。この身体だったらなんでもできる。あの方のお望みどおり、〈黄昏の回廊〉をこじ開けるのだって造作ないわ」
「それがヤツの狙いか! あんたは最初から自分で〈黄昏の回廊〉の封印を壊すつもりだったんだな!」
「いまごろ気づいてももう遅いわ。見て、ついにこのときが来たのよ!」
 フィリアが右腕を上げて真上を指さす。
 レギウスは振り仰いだ。うめき声をあげる。
 灰色の壁の向こうにある太陽はそのほとんどを侵食されていた。光が届かなくなり、あたりには急速にねっとりとした闇が満ちていく。術式陣に描かれた第二種術式文字の白い光だけが、しだいに濃くなっていく闇のなかで輝きを失わずにいた。
 しぼんでいく太陽の影を見上げてフィリアが愉快げに微笑む。しなやかな指が泳いで、空中に複雑な金色の軌跡を描いていく。
 第二種術式文字じゃない。それよりももっと力が強い、神だけが操ることのできる文字。
 すなわち、第一種術式文字。
 人間には決して制御のできないそれを、死の世界からよみがえった少女が流れるような所作でつむぎだしていく。
「結式──時をにぎりて、門を開く!」
 神の文字に反応して術式陣がこれまで以上に強い光輝を放つ。
 空気が揺れ動いた。
 レギウスはとっさにリンの前に立ちふさがる。押し寄せてきた烈風がレギウスの頬を引っかいた。白い光に満ちた空間の向こうで、フィリアの調子外れた笑い声が殷々(いんいん)と響く。
「〈黄昏の回廊〉が開くわ! 神が──八千年ものあいだ閉じこめられてたこの世界の創造主が降臨するのよ! 祝福しなさい! 世界は変わるの!」
「あんたは誰だ!」
 レギウスは吹きつけてくる強い風から背後のリンをかばいながら、
「あんたはフィリアじゃない! カミアでもない! 巨神でもないんだろ! 誰なんだ!」
「そこにいる女に訊いてみることね!」
 術式陣の縁に沿って高く立ちあがった光の幕の向こう側からフィリアの甲高い声が届く。
「双子の姉をあやめたその女なら、わたしの気持ちがわかるはずだわ!」
「どういう意味……」
「……ラシーカ」
 風のうなりを割って、リンのつぶやく声が聞こえた。レギウスは後ろを振り向く。
 リンの顔は血の気を失って真っ青だった。
「ラシーカ?」
 その名前が記憶の奥底から浮上してきた。仕事を依頼してきたキシロ三爵の家僧のガイルが彼女の名前を口にしていた。フィリアの姉、と。確か、竜皮病で五年前に妹ともどもいのちを落としたはずだ。
「そうよ、わたしの本当の名前はラシーカ! あなたとわたしは同類なのよ、〈銀の錬時術師〉!」
「わたしは……」
「わたしはフィリアよりも劣ってなんかいないわ! どうしてわたしじゃなくてフィリアなの? ターロンさまはわたしだけのものよ! フィリアなんかに渡してたまるもんですか!」
 そういうことか、とレギウスはことの真相を理解する。
 ターロンの禁忌の錬時術で復活したのはフィリアではなく、姉のラシーカのほうだったのだ。
 ガイルはわざわざ言及していなかった──それとも故意に事実を伏せていたのかもしれない──が、ターロンをめぐって姉妹は深刻な対立におちいっていたのだ。勝者は妹のフィリアだった。恋の闘争に敗れた姉のラシーカがどんな気持ちで妹のことを見ていたのか、レギウスには想像もつかない。
 リンはラシーカの境遇に共感を覚えるのだろうか。碧眼(へきがん)を持つ、自分と同じ顔をした双子の少女を手にかけた──らしいのだが、レギウスにはいまひとつ確信が持てない──リンには。
 リンは唇をきつくかみしめた。一回、深呼吸。感情をまじえない平坦な声音で言う。
「それであなたは勝ったつもりなんですか?」
「なんですって?」
「愛するひとを独占できれば、それで勝ったと思ってるんですか? あなたはまちがっています。そんなことにも気づかないから、かの神の手駒にされるんです。わたしはあなたと違います!」
「フン。どうでもいいわ、そんなこと。あなたもあなたの護衛士ももうすぐ死ぬのよ。あの方に受け入れてもらうよう、いまからお祈りでもしておくのね」
「わたしがあなたを止めてみせます。絶対に!」
 レギウスの後ろでリンが立ちあがる。押し寄せる風に立ち向かい、指を動かす。
 軌跡が金色に光る。青じゃない。金色の文字は、神のみが使う文字。
 第一種術式文字に対抗するには──
 同じ力を持つ第一種術式文字を。
 フィリア──いや、妹の再生された肉体に宿ったラシーカが驚きの声をあげる。
「……な? どうしてあなたがそれを!」
「結式──」
 鋭い声でリンが唱える。
「崩輪(ほうりん)!」
 リンの編んだ金色の文字が光の幕に向かって突進し、表面にしがみついた。物質的な壁のようにも見える光の幕に亀裂が生じる。リンの金色の文字が亀裂を溶かし、グイグイと横に押し広げていく。人間ひとりが通れるだけの隙間ができた。
「レギウス!」
 強烈な風に銀髪を振り乱しながら、リンが叫ぶ。
「行って! ラシーカを止めて!」
 レギウスはリンと視線を交わす。リンは歯を喰いしばり、目でレギウスを強く促す。
 レギウスは大きくうなずいた。〈神の骨〉をかまえたまま、風に逆らって少しずつ術式陣に接近する。肩の力を抜いて、光の幕の裂け目からなかへと踏みこむ。