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銀の錬時術師と黒い狼_魔の島

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第十八話 神々のゲーム


 なだらかな丘の稜線を越えると、黒ずんだ建物が目に入った。その建物を目指してリンとレギウスは丘の斜面を駆け足で下っていく。
 太陽がにじんでいる。すでに日食が始まったのかもしれない。確かめようがなかった。結界の壁は分厚い雲のように金色の球体をその背後に隠している。
 建物に近づいてみると、そこは寺院のあとだとわかった。
 半分崩れ落ちた屋根、焦げて折れた柱、床に散らばる陶器の破片。首や手足のなくなった木像の群れが、脱色した闇の底でうずくまっている。
 壊れた祭壇の前に男が膝をつき、胸の前に指を組んで祈りを捧げていた。扉がなくなった戸口に寄りかかって立っているのは、さきほどの少女だった。不機嫌そうな面持ちで下唇を指でつまみ、近づいてくるふたりをじっと見つめている。
 リンとレギウスが寺院の廃墟の近くまで来ると、少女は寄りかかっていた戸口から離れ、ふたりに向かって大きく一歩を踏みだした。
 レギウスは無意識のうちに〈神の骨〉の柄に手を伸ばした。
「……まさか蛮獣兵に打ち勝つとは思っていませんでした。竜ですら勝てなかったのに」
 と、苦々しげな口調で、少女。紫色の瞳が物憂げに翳った。
 竜……ジスラの友人のティレスという名の竜のことか、とレギウスは気づく。とすると、ティレスは少女が召喚した蛮獣兵に殺されたのだ。
「しかたがありません。あなたたちの相手はわたしが……」
「やめるんだ、カミア。おまえは戦うためにここにいるんじゃない」
 後ろを振り向きもせずに男が鋭い声でたしなめる。カミアと呼ばれた少女は口許をわずかにゆがめ、油断のない目つきでふたりを観察している。
 男が優雅な仕草で立ちあがる。身体ごと向きなおった。岩を削りだしたような荒削りの面立ちには微笑が浮かんでいた。作り笑いでさえももう少し人間味があるだろうと思わせるような、喜びも温かさも感じられない、無機質な笑みだった。
 名乗らなくてもこの男が何者なのかはわかりきっていた。
 ターロン。
 キシロ三爵が殺害を依頼してきた、彼の息子。
 禁忌の錬時術で死んだ恋人をよみがえらせようと画策している男。
「こんなところまでなにしに来た?」
「あなたを止めるために来ました」
 リンは感情をまじえない淡々とした口調で、
「あなたがやろうとしてることは……」
「私がなにをしようとしてるのか、いちいち説明してもらう必要はない。私には全部、わかってるんだからな」
 ターロンは陰気な笑みをこぼす。両手で床に描かれた複雑な線描を示す。第二種術式文字の術式陣だ。彼はその術式陣の中心に立っていた。
「見たまえ。私の術式は間もなく完成する。あとはそのときが来るのを待つだけだ」
 ターロンは足元に置いた小さな木箱を陶然とした表情で見つめた。それから、戸口のそばにたたずむカミアに焦げつくような視線を送って、
「フィリアはもうすぐ復活する……その女の肉体を使って、な」
「……なにをたくらんでる?」
 レギウスはターロンとカミアを見比べた。
 カミアが術式陣の内側に足を踏み入れた。ターロンのすぐそばに寄る。
 ターロンはカミアの腰を引き寄せ、愛おしそうに彼女の身体をなでまわした。
 カミアがおもむろに自分の服を脱ぎだす。少女の突飛(とっぴ)な行動に、レギウスはあっけにとられた。リンも目を丸くして見守っている。
 ターロンが腰をかがめ、木箱の蓋を慎重な手つきで取り外す。
 木箱のなかにつまっていたものを、ターロンは手にとって頬ずりした。
 それは、人間の骨だった。きれいに漂白され、まるで真珠のようなつやめいた光沢を放つ、右手首から先の完全な骨格。
「きれいだろ? フィリアの手の骨だ」
 ターロンがうっとりとした口調で、
「でも、これだけじゃ不充分だ。足りない分はその女が材料を提供する」
 ターロンがなにを言っているのか、語られていない部分をレギウスは推測して補った。
 ターロンの目的は死んだ恋人であるフィリアを生き返らせること。錬時術で時間を逆流させて、手の骨からフィリアを再生させるのだろう。フィリアの肉体を構成する血や肉の材料となるのがカミアだ。カミアは、フィリアを生き返らせるための生贄(いけにえ)になろうとしている。
「死ぬ気か?」
 レギウスの口をついてでたつぶやきに、カミアがうっすらと笑みを浮かべる。
「もとより承知の上です」
 カミアはターロンに寄り添い、彼の首に細い腕を回した。
「ターロンさまのお役に立つのなら、わたしはそれで満足です。このいのち、少しも惜しくはありません」
 それがカミア本人の言なのか、それとも彼女に憑依している巨神の言なのか、レギウスには判然としなかった。あるいは、その両方なのかもしれない。カミアの魂と人格は荒ぶる魔神にむしばまれ、人間(ひと)ならざる存在と融合しているのだ。
 灰色の陽射しが不意に翳った。レギウスはハッとして顔を仰向ける。
 太陽が身悶えていた。
 分厚い灰色の天井を透かしてでも、金色の円盤が浸食されていくのがわかった。
 日食が始まっている。
 地獄へと通じる門が開きかけている。
 ターロンは空を見上げ、血色の悪い唇をゆがめてほくそ笑んだ。フィリアの手の骨をカミアに預ける。カミアはそれを裸の胸に抱きかかえ、自分の心臓の上に白骨の指先を置いた。
 ターロンが衣服の内懐(うちふところ)に手を伸ばし、透明な容器を取りだす。容器には銀色の液体がいっぱいつまっている。
 時晶だ。竜を殺して手に入れた、液体化した時間そのもの。
 ターロンが狂ったようにけたたましく笑う。容器の蓋を開け、中身を周囲にぶちまけた。カミアにも時晶をかける。銀色の液体が少女の浅く陽に焼けた肌を濡らし、彼女の汗と混じりあった。
 術式陣に向かって一歩前へ踏みこんだリンにターロンの鋭い声が飛んだ。
「ムダだ! もうなにをしたところで私の術式を止めることはできない!」
 リンはなにも言い返さない。ただ、悲しげな目で狂乱する男を見つめている。
「私はこのために錬時術師になったんだ! フィリアを取り戻すためにな! おまえたちなんかに邪魔をさせるもんか!」
 時晶を吸った術式陣が白く輝いた。第二種術式文字のひとつひとつが脈動し、歓喜の賛歌を高らかに口ずさむ。力を生みだす文字の波動を浴びて、ターロンとカミアの姿が灰色の薄闇のなかにくっきりと浮かびあがった。
「そんなにフィリアさんのことが好きだったんですか?」
 リンは一語一語を区切るように言葉を押しだす。まぶしくひかり輝く術式陣に足をずり寄せて少しずつ近づいた。
 リンを拒絶するかのように、術式陣の外縁で白い火花が音をたてて弾けた。思わず制止しようとしたレギウスを、リンは硬い表情で振り払う。
 リンはターロンをにらみつけた。
「そこまでしてフィリアさんを生き返らせたいんですか?」
「フィリアは私のすべてだ!」
 ターロンが歯ぎしりしながら答える。
「あなたは冥界の王に利用されてるだけです。彼は〈黄昏(たそがれ)の回廊〉の封印を破壊して、この地上に巨神を解き放とうと画策しています。この世界が再び神々の戦場となってもいいんですか?」
「だからどうだというのだ? フィリアがいない世界など、私にはどうだっていい」