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銀の錬時術師と黒い狼_魔の島

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 ターロンは目を細める。丘のふもとをざっと見渡すが、ここからはなにも見えない。
「どんな連中だ、そいつらは?」
「全身、黒い装束で身を固めています。詳細はわかりませんが、兵士のようなものではないかと……」
「人数は?」
「三十人ほどです」
 ターロンは口のなかでクツクツと笑う。ずいぶんと賭け金があがったもんだ、と思う。最初は七人の僧兵、次は錬時術の師匠であるヨオウ、そして今度は三十人の敵だ。
 黒い装束、という彼らの身なりで敵の正体の想像はついた。〈統合教会〉ではその存在すら厳重に秘匿(ひとく)されている特殊部隊だ。が、どちらかといえばヨオウよりもくみしやすい。
 どうしたものかとターロンは思案に暮れる。
 カミアが平坦な口調で提案する。
「わたしが対処しましょうか?」
「……そうしてくれるか。私にはやらなければならないことがあるからな」
「かしこまりました」
 カミアは一礼する。なにかを期待するかのように、彼女の紫色の瞳がわずかに見開かれる。
 ターロンは苦笑する。カミアのそばまで近寄り、彼女の華奢な身体をたぐり寄せる。
 カミアのおとがいに指をかけて顔を仰向かせ、彼女に口づけた。
 カミアが吐息を洩らす。その美貌に浮かんだ笑みは、ごく自然なものだった。

 男たちは総勢三十二人。
 常時、四人一組で行動する。作戦の規模にもよるが、事態を重視した〈統合教会〉の上層部は、東部方面の現有戦力のほぼ半分と四人の錬時術師を投入することとした。
 男たちはひとり残らず、頭から爪先までを黒ずくめの装束ですっぽりと覆い、針のように細い剣を腰にたずさえている。
 錬時術の結界に閉ざされた〈嵐の島〉に上陸するのは簡単ではなかった。だが、それをいうなら、いままでに彼らの任務が容易であったためしはない。困難は想定の範囲内だ。
 錬時術師たちが苦労して結界のほころびを見つけ、そこから内部へと侵入する。時間の流れが止まった海面は普通の地面と変わらない。歩いてそこを渡った。
 全員が上陸すると、結界の外まで彼らを運んできた揚陸艇は沖を目指して引き返していった。生存者がいれば二日後に迎えに来る。生還はもはや予定のうちになかった。
 隊長の合図で二列縦隊の隊伍を組み、まばらに草の生えた傾斜地を横切っていく。
 地面のあちこちに白いものが転がっている。それは風雨にさらされて真っ白になった人骨だった。
 黒装束の男たちは白骨に目もくれず、黙々と歩を進める。
 先頭を行く隊長の足が止まる。この島の流刑者たちが建てたとおぼしき掘建て小屋の陰から、ひとりの女が歩みでてきた。金褐色の長い髪に紫色のけぶるような瞳の美少女──その少女は、彼らが斃(たお)すべき目標のひとりだった。あとひとり──叛逆の錬時術師の姿が見当たらない。どこかに隠れているのだろうか。
「……あなたたちが噂に聞く暗殺僧ですね」
 と、少女──カミアは黒装束の一団をながめやって、
「ヨオウ先生でも勝てなかったのに、どうしてあなたたちがわたしたちに勝てるとでも?」
 隊長が手を振ると、男たちはサッと左右に散開した。
 カミアを半包囲する。
 相手はか弱い少女ひとりだ。これでは戦いにすらならない。
 それでも男たちは警戒を緩めず、全身から抑制された殺気を放っている。
「申し訳ありません。ターロンさまはいま忙しくて手が放せないのです。代わりにわたしがあなたたちの相手をします」
 カミアが指を鳴らすと、彼女の周辺で空気が揺れ動き、そこから濃厚な闇がはみだしてきた。

 寺院の廃墟──炭化した祭壇の前の、なかば朽ちかけた羽目板の床には、第二種術式文字を連ねた複雑な術式陣が、黒々とした太い線で描かれていた。
 術式陣の真ん中でターロンはひざまずき、彼の手作りになる四角い木箱をそっと安置した。
 いつも肌身離さず持ち歩いていた木箱だ。装飾はいっさいなく、塗装もされていない。左右の側面の留め金を外すと蓋が開く仕組みになっている。蓋には彼にとって忘れえぬ名前が浅く刻まれていた。
 このなかには希望が──世界のすべてと引き換えにしても手に入れたいものがつまっている。
 ひとの気配を察して、ターロンが振り向く。
 カミアが凝然と立っていた。
 目顔で首尾を問うターロンにカミアは大きくうなずいて、力のない笑みを浮かべる。
「よくやってくれた。これでもう邪魔は入らないだろう」
「まだ敵が残っています」
「ほう? いったい、誰のことだ? 〈統合教会〉はもう手出しできまい」
「〈銀の錬時術師〉と〈黒い狼〉。新大陸で最強とうたわれる錬時術師です」
 カミアは淡々とした口調で告げる。
「あの方の警告を忘れたのですか、ターロンさま?」
「忘れたわけじゃないが、果たして間に合うかな、そいつらは? 日食は五時間後だ」
 術式陣のなかへと足を踏み入れたカミアは細い眉をピクリと動かした。
 ターロンは薄く笑って、
「術式の力で時間の流れが乱れているんだ。おまえには居心地が悪いかもしれないな」
 カミアは線が描かれていない場所にそっと腰を下ろした。思案げな顔つきで自分の下唇を指でつまんでいる。暮色を閉じこめた瞳が空疎な光を映しこんでターロンを射すくめた。
 ターロンはすっくと立ちあがり、赤錆色(あかさびいろ)の服を左右に揺らしてカミアのそばへと近づく。
 ターロンはカミアを見下ろす。内懐(うちふところ)から時晶のつまった玻璃樹(はりじゅ)の容器を取りだし、くるくると回して指先でもてあそぶ。
「五時間後だ」
 と、ターロンは繰り返す。カミアは鷹揚(おうよう)にうなずいた。表情に変化はない。
 ターロンの心に本人にも意想外な気まぐれが生じた。いまカミアがなにを考えているのか、それを知りたいと思ったのだ。
「こわくないのか?」
「いいえ」
 簡潔にカミアは答える。つかみどころのない薄笑いを口許にちらつかせた。
「おまえの肉体も魂も消滅するのだぞ。あの方でさえ、おまえを救いあげることはできまい」
「あなたさまのお役に立つことができるのでしたら、わたしはなにもいといません」
「なぜそこまで私につくす?」
 カミアは心持ち顎をあげ、上目遣いにターロンを見返す。
「あなたさまをお慕い申し上げているからです」
「わからんな。本当のところ、おまえはなにを考えてるのだ?」
「わたしの気持ちをお疑いですか?」
「あの方が依代(よりしろ)に選んだ巫女だ。疑ってはいない」
 ターロンのささいな嘘を、カミアは見抜いたのかどうか──
 若い尼僧の吸いこまれそうな双眸(そうぼう)の奥に冷たい光がよぎるのを、ターロンは目にしたように思った。
「心の底からあなたさまを愛しております、ターロンさま」
 急におかしくなって、ターロンは声をあげて笑う。カミアは笑わない。表情を消して、廃墟の床に描かれた第二種術式文字の術式陣を、その真ん中に置かれた小さな木箱を、食い入るように見つめる。
「ターロンさま、最後にひとつ、わがままを申し上げてもよろしいですか?」
「なんだ? 言ってみるがいい」
「わたしを抱いてください。神々の御前(ごぜん)で」
 ターロンは眉をつりあげた。カミアの顔をのぞきこむ。もとより冗談を口にする女じゃない。本気なのだろう。