小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

銀の錬時術師と黒い狼_魔の島

INDEX|55ページ/74ページ|

次のページ前のページ
 

 ダガスから「船室から出るな」と言い含められていたが、それを律儀に守ることはできなかった。
「……すまん。もうムリだ。甲板に出る」
「わたしも付き合います」
 扉を押し開け、蛍光樹に照らされた薄暗い通路を歩く。リンがレギウスの肩を支える。通路の突き当たりの階段を昇って、甲板に出る。太めの月が薄い雲の向こうで輝いていた。闇の底に沈んだ黒銀色の海面が四方に広がっている。潮を含んだ風が頬をなぶっていく。
 レギウスは危機を感じて船縁に駆け寄る。
 間一髪、間に合った。
 ようやく胃袋が落ち着いて、安堵の息をつく。
 半分雲に隠れた夜空を見上げる。なにかがおかしい、と気づく。
「リン、〈嵐の島〉は東の方向にあるんだよな?」
「はい。正確には〈乱鴉(らんあ)の塔〉の町からですと北東の方角になります」
「……この船、南に向かってるぞ」
「え?」
 リンは空を振り仰ぐ。天の北極に輝く〈神の眼〉は背後にあった。船が進む方向には青白い星の群れ──南の空でひときわ目を惹く〈若き狩人〉の堂々たる星座が雲間に見え隠れしている。
「そんな……どうして南に?」
「〈嵐の島〉に行く気なんかさらさらないからさ」
 誰にともなく投げかけたリンの問いかけに応えたのは、しゃがれた男の声だった。
 レギウスは声のしたほうを振り向いた。
 雲の隙間から月が顔をのぞかせ、甲板にわだかまる闇のかけらを払いのけていく。闇から分離した人影が前へ進みでた。人影は、ダガス船長だった。獰猛な表情。濁った眼でリンとレギウスを射すくめる。
 ダガス船長の周囲で複数の影がうごめいた。この船の船乗りたちだ。全員、剣や斧で武装している。鋼鉄の刃を淡白な月の光がなめとる。
「なんのマネだ、船長?」
「見てのとおりだよ、異端者の飼い犬め」
 レギウスは眉をひそめる。「異端者」というのは〈統合教会〉の僧官が敵対的な異教徒をののしるときによく使われる罵倒語だ。つまり、ダガスはリンを〈統合教会〉の敵だとみなしているのだ。
(リンが吸血鬼だと知ってんのか? ……いや、そうと知ってたら、こいつらのことだ、おれたちを絶対に船に乗せたりしねえはずだ)
 リンの外見から彼女が旧帝国の支配層の一員だと見抜くのは不可能に近いが、左右で瞳の色の違う彼女の特徴をあらかじめ知っていれば、実際に会ったことがなくても見極めるのはたやすい。
 ということは──
「きさまがリンか」
 ダガスの背後からほっそりとした男が現れた。
 暗闇に溶けこむかのような風合いの装束、ツルツルにそりあげた頭、酷薄そうな薄い唇。
 レギウスは瞬時に悟った。
 この男は〈統合教会〉の異端審問庁に属する僧官だ、と。
 男の両隣に、さらにふたりの異端審問官が並ぶ。リンとレギウスを半包囲するかたちで男たちが取り囲んだ。
 悪意のこもった視線がリンに注がれる。リンは唇をかんで男たちの視線に耐えている。
「われらから逃げ切れると思ったのか? 〈太陽の都〉のグザン殿からきさまらのことを警告されたのだ。きさまらは〈乱鴉の塔〉の町に現れるはずだ、とな。もう少し到着が遅くなると思っていたが、化け物には化け物なりの抜け道があるらしいな」
 リーダー格らしい真ん中の僧官が薄ら笑いを浮かべる。
 雲の裏に月が隠れ、三人の異端審問官と、その横に陣取るダガス船長以下の船乗りたちを銀色の闇に塗りこめていく。
 国土の真ん中に位置する〈太陽の都〉から、東南端の〈乱鴉の塔〉まで人間が移動するのに最低でも五日はかかる。だが、情報はそれ以上の速さで伝達する手段がある。
 キシロ三爵が仕事を依頼するときにも使用した封時球(ふうじきゅう)──メッセージを伝達する雪水晶の媒体だ。声だけを再生するのであれば、封時球の大きさはかなり小さいものにできる。指の先ほどの大きさにすれば封時球を多翼獣──竜よりも速く空を飛ぶ、世界最速の生き物──の脚にくくりつけて運ぶことも可能だ。
 〈光の軍団〉は多翼獣と封時球を組み合わせた、南方五王国にまたがる情報網を構築していた。当然、〈統合教会〉も同じ規模の情報網を保持している。
 グザンはリンとレギウスの目的地を知っていた。〈嵐の島〉へ渡る船を調達するため、〈乱鴉の塔〉の町にふたりが現れる、と予測するのは造作ない。
 執念深いグザンは、獲物をあきらめたわけではなかったのだ。
 おそらく、グザンから知らせを受け取った現地の異端審問官は、船乗り全員にリンとレギウスの人相を周知したのだろう。そうやって網にかかるのを待っていたのだ。
 ダガスは最初からこちらの依頼に聞く耳なんか持っていなかった。だから、あんなにもあっさりと〈嵐の島〉へ行くのを承知したのだ。
(うかつだったな。〈統合教会〉の組織力を甘くみていた……)
 レギウスはいつも肌身離さない〈神の骨〉の柄に指を置く。抜刀のかまえを目にして、異端審問官たちが色めき立つ。
「抵抗するんじゃない。おとなしくしてもらおうか。きさまらには訊きたいことがある」
「またそうやってリンを拷問するつもりか? ふざけんな。てめえらにリンは渡さねえ」
「レギウス……落ち着いてください」
「おまえがなんと言おうと、こいつらがおまえを連れ去ろうとすればおれは戦う。同じような失敗を繰り返すつもりはねえからな」
 異端審問官の周囲で傍観していた船乗りたちが口々に下卑た笑い声をたてた。揶揄(やゆ)する声が飛ぶ。バルクマンがまたもや腰を前後に振って、みんなの笑いをさそう。
「そこをどけ、狂犬め! われらの任務を邪魔するな!」
「てめえらこそ、おれたちの邪魔をするんじゃねえよ。おれたちには神さまから授かった使命があるんだ」
「〈嵐の島〉に逃げこんだ造反者のことか? 安心しろ。われらとは別の部隊が処罰に向かってる。きさまらの出る幕はないぞ」
「関係ないね。てめえらの命令は受けねえよ」
「ならば、しかたあるまい。神になり代わって、われらがきさまらに神罰を下してやる」
 異端審問官が残忍な笑みを浮かべる。三人が同時に指を動かした。闇のなかに青い軌跡がほとばしる。
 第二種術式文字。
 異端審問庁が送りこんできた僧官は、同時に錬時術師でもあった。
 レギウスは深く息を吸う。〈神の骨〉を抜こうと腕に力をこめた。
 リンが悲痛な声で叫ぶ。
「やめて、レギウス!」
 リンの声はレギウスの心に届かない。もとより、リンの指図を受けるつもりは毛頭なかった。
 後悔したくなかったのだ。
 リンを守れなかったことで、おのれの存在意義まで失いたくなかった。
 空中に描かれた青い文字の列が拍動する。
 鞘から〈神の骨〉の白い刀身がすべりだし──
 雲間から抜けだした月が地上を淡く照らしだした。
 レギウスは背筋に冷たい感覚を覚える。
 リンのあえぎ声。
 天上からひと筋の光の柱が降ってきて、レギウスの背後──リンの立ち位置に音もなく落ちた。
 空気が振動する。凍りつくような波紋が押し寄せてくる。
 レギウスは唾を飲んで、後ろを振り向いた。
 目をむく。
 リンの全身が銀色の光を帯びていた。彼女と目が合う。左右で色の異なるはずのその瞳はいま、どちらも芽吹いたばかりの若葉と同じ色をしていた。
「……な?」