銀の錬時術師と黒い狼_魔の島
第十四話 〈無敵の将軍〉号
船長のダガスが自分の船に案内してくれた。
船名は〈無敵の将軍〉号。ずいぶんとおおげさな船名だ。命名したのはダガス自身らしい。
スピードよりも積載量を重視したずんぐりむっくりの箱形の平底船に、旧大陸と新大陸とのあいだに横たわる〈翡翠海(ひすいかい)〉を渡る能力はない。近隣の都市との沿岸交易に特化した中型の貨物船だ。
船長のあとについていくと、銀色の月光に濡れそぼつ船体が、まるで惰眠(だみん)をむさぼる巨人のように、ゴミの散乱する埠頭の奥に横たわっていた。
もう深夜だ。周囲に人影はなく、こんな時間に出港する船もない。
静かだった。埠頭に打ち寄せる波のつぶやきしか聞こえてこない。
不揃いな屋根の連なりの向こうに、この町の名前の由来となった真っ黒な四角い塔の輪郭が、雲のかかった星空を背景にそびえ立っていた。
新大陸の東南端に位置するこの〈乱鴉(らんあ)の塔〉の町は、大小さまざまの交易船が各地から集まる、東海岸でも有数の港町だ。喫水線の深い大型船も停泊できる天然の入江が多いことから軍港としての利便性も高く、この国の海軍の基地が町の中央に置かれている。町には船乗りだけではなく、海軍の水兵の姿もよく見かける。旧大陸の交易船の寄港地でもあるので、町中では銀髪の旧帝国出身の人間も珍しくない。
ダガス配下の乗組員はあらかた集まっていた。全部で二十人。居酒屋にいた連中のほかに、娼館に繰りだしていた男たちも急遽(きゅうきょ)呼び戻されていた。みんな休暇を中断されて不満そうな顔だ。出港が真夜中というのも気に入らない理由のひとつだろう。
雇い主が銀髪の美少女だと知って、仏頂面だった船乗りたちの顔が期待にほころぶ。卑猥なセリフを吐いた水夫がダガスの一喝を浴びて委縮する。
「このお嬢さんは大事なお客さまだ。粗相は赦さないからな。ヘマをしたヤツは切り刻んでサメのエサにしてやる!」
ダガスなら本当に実行しかねないな、とレギウスは思った。ダガスの配下の船乗りも船長の気質は身にしみてわかっているらしく、ひと言も抗弁を洩らさない。ダガスが号令をかけると、船乗りたちはそそくさと働きだした。
船乗りたちの活動を叱咤(しった)しつつ、ダガスはうなるような口調で言った。
「で、いい加減に教えてもらおうじゃないか。あんたらの行きたいところはどこだ?」
レギウスの目配せを受けて、リンが小さな声で打ち明ける。
「〈嵐の島〉です」
ダガスの悪相に驚きの表情が広がっていく。喉の奥からしぼりだされた声は怒りにかすれていた。
「……なるほどな。居酒屋なんかで口にできるわけがない。死にたいのか、あんたら? 近づくことも上陸することもできない、魔の島だぞ。〈統合教会〉の坊主どもが島ごと封印したからな」
「なにも島に上陸してください、とは言いません。そばまで近寄ってくれればけっこうです。あとは島に向かうためのボートを貸してもらえれば充分ですから」
「あんなところになんの用があるんだ?」
「あんたに話す義理はねえな。あんたはおれたちを〈嵐の島〉の近くまで送ってくれればいいんだ」
ダガスは怒りに満ちた眼でレギウスをねめつけた。
「気に入らないな。やりかたが汚いぞ」
「あんたに気に入ってもらう必要はないさ。こっちはそれだけの報酬を支払ったんだ。報酬分の仕事をしてもらおうか」
ダガスは盛大に鼻を鳴らした。ペッと唾を吐き捨てる。
「バルクマン、お客さまを船室に案内しろ」
居酒屋でさかんに腰を振っていた小男を呼び止めて、ダガスが厳しい声で命じる。リンとレギウスに向かって、
「あんたらはなるべく船室から出ないでもらおうか。あんたらになにかあっても身の安全は保証できないぞ」
「わかったよ、船長」
バルクマンと呼ばれた小男の案内で、リンとレギウスは〈無敵の将軍〉号に乗りこんだ。
ふたりにあてがわれた船室は下甲板の突き当たりで船倉の隣だった。部屋の奥行きと幅は十歩ほどでそれほど広くない。置いてある調度品も床に固定された狭い寝台がふたつと小さなテーブルだけだ。壁にかかったひとつきりの灯台で、寿命のつきかけた蛍光樹が苦しげな光を投げかけている。
バルクマンはいやらしい目つきでリンの全身をなめまわすと、「もうすぐ出港する」と言い置いて退出した。
レギウスはホッと息をつき、背中の荷物を床に下ろした。寝台にどさりと腰かける。耳ざわりな音がして板がたわんだ。
リンが物憂げな表情で扉の向こうを見つめている。「どうした?」とレギウスが声をかけると、リンは唇をとがらせた。
「ダガス船長、やけにあっさりと〈嵐の島〉に向かうことに同意してくれましたね。もっと抵抗されるだろうと思っていました」
「通商金貨で百二十枚の仕事なんだ。文句はないだろうさ」
「船乗りは迷信深いと聞いたことがあります。〈嵐の島〉は彼らにとって最大の禁忌のはずですが……」
「カネのためだったらなんでもする連中だ。どうせこの船だってまともな交易船なんかじゃねえぞ。密輸でたんまりと稼いでいるに違いないからな」
「それはそうかもしれませんけど……」
リンの言葉は歯切れが悪い。レギウスの向かいの寝台にストンと腰を落とす。まだ納得のいかない様子だ。
レギウスは頭の後ろに手を組んで寝台に寝転がった。とたんにあくびが出てくる。
「順調に行けば明日の午後遅くには〈嵐の島〉の近くに着くはずだ。少しでも寝ておいたほうがいいぜ」
「レギウス、寝る前に……」
「わかってる。ヤツらがいなくなってからだ」
レギウスは扉のほうを顎でしゃくって、
「おい! いつまでもそんなところに張りついてるんじゃねえぞ!」
扉のすぐ外で息を呑む音がした。のぞき見しようとしていた水夫──たぶん、あのバルクマンとかいう小男だろう──が、こっそりと立ち去る足音がする。レギウスは舌打ちする。油断も隙もあったもんじゃない。しばらくのあいだは警戒が必要だった。
「おまえの錬時術で結界を張っておいたほうがいいな。この部屋に踏みこんだら一気に老けこんで死んじまう罠でも仕掛けておけよ」
「この船を動かしてるのは水夫ですよ? そんなことはできません」
「じゃあ、時間が止まるように細工しておくんだな。それならかまわんだろう」
「そうします。ところで、レギウス」
「なんだよ?」
「お土産、いまここで食べてもいいですか?」
「……どうぞ」
船が動きだすと、想定外の事態が出来(しゅったい)した。
レギウスはほとんど船に乗ったことがない。〈光の軍団〉の士官だったとき、大河を行き来する小さな帆船にのんびりと揺られた経験が数回あるぐらいだ。だから快適な乗り心地など求められるべくもない貨物船に身を任せて大海原(おおうなばら)へ乗りだすのは、今回が初めてだった。
揺れる。船が、右に、左に、ときには上下に揺れる。
たちまちレギウスの胃袋がひっくり返った。
酒には酔わない体質なのだが、船酔いは別らしい。
リンとの絆を強める行動をあれこれと思案している場合じゃない。絶体絶命のピンチだ。
「レギウス、顔色がとても悪いですよ?」
「ウプッ……もうガマンできねえ」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫なように見えるのか?」
「いいえ、ちっとも」
作品名:銀の錬時術師と黒い狼_魔の島 作家名:那由他