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銀の錬時術師と黒い狼_魔の島

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「休暇は終わりだ! ほかの店にいる連中を呼び戻してこい! 二時間後に船を出すぞ!」
 船長の号令でにわかに動きが活発になった。船乗りたちは不平をこぼしながらも、テーブルに残った酒や料理を口につめこむだけつめこむと、一列縦隊になってゾロゾロと店を出ていく。
 お楽しみを中断されてレギウスとすれ違いざまに憎々しげににらんでくる男もいたが、リンの存在は休暇返上を補ってあまりあるものらしく、船乗りの大半は陽気な声で彼女にあいさつした。
 リンの身体に触れようと近寄ってきた無思慮な男が、殺意のこもったレギウスの視線とぶつかって、あわてて手を引っこめる。ダガスが男をどやしつけ、店の外に追いだす。
 あっという間に店内は誰もいなくなった。
 商売を邪魔されたハゲ頭のオヤジと給仕の女の子が不機嫌な顔つきでリンとレギウスをながめやる。謝罪する必要はないのだが、ひと言詫びておこうと思い、レギウスは口を開きかけた。
 しかし、その必要はなかった。リンが明るい口調でオヤジにこう申し出たのである。
「あの……お腹が空いたのでなにか食べさせてもらえませんか?」
 レギウスは天井を仰ぐ。
 リンのお腹が派手な音をたてて鳴った。

 食べまくる。
 ハゲ頭のオヤジが目をむいて驚くほど、リンは食べまくる。
 そんなに食べて大丈夫なのかとオヤジは心配している。もちろん、なんてことはない。リンの食欲に限界はないのだ。
 給仕の女の子が目を丸くしている。最初はリンの旺盛な食欲に興味を持ち、それに飽きてくると、今度は黒衣の青年剣士に関心が移った。レギウスの発散する「おれに触れたらケガをするぞ」という危険な雰囲気にゾクゾクするみたいだ。
 女の子が色目を使ってレギウスの注意を惹こうとする。するとリンが食べながらこわい顔をする。器用だな、とレギウスは思う。口のなかに食べ物がいっぱいつまっているのに、無理にしゃべろうとして息をつまらせ、顔を真っ赤にしているリンは、年相応の少女にしか見えない。
 〈破鏡の道〉で目にしてきたリンの過去をレギウスは思い浮かべる。リンと同じ顔をした双子の姉妹、彼女と親しそうにしていた銀髪の美青年、ひとりで戦う血まみれのリン、そしてブトウと愛を交わすリン……彼女に尋ねたいことはいくつもあった。けれども、それを口にするだけの蛮勇はいまのレギウスにない。
(気にしてもしかたがない。いずれは話してくれるさ……)
 ハゲ頭のオヤジに「皿洗いを手伝え」と呼ばれて、ようやく給仕の女の子が退散する。
 最後のデザートの、蜂蜜で甘く煮詰めた大砲樹の果実を、幸せそうな顔で頬張るリンをながめながら、レギウスはおのれの胸のうちに沈殿する感情をこねくりまわす。リンの過去を知りたくないと言えば嘘になる。彼女がこれまでどういう人生を送ってきたのか、レギウスと出会う前の空白を埋めてみたいという気持ちは依然として強い。
(おれは嫉妬してるのか……名前も知らない皇女時代の男や……ブトウのことで)
 わからない。
 それでもブトウとリンが裸で抱き合う場面が脳裏にちらついて離れない。
 いらだちを覚える。それが表情に出ていたのだろう、さっきから食事に手をつけようとしないレギウスを上目遣いに見て、リンが小首をかしげる。
「なんだか顔がこわいですよ?」
「ほっとけ」
「それ、食べないんですか?」
「食欲がねえんだよ。おまえと違ってな」
「だったら、わたしが食べていいですか?」
 レギウスは嘆息する。魚介類をたっぷりと盛りつけたスープの深皿をリンのほうへ押しやった。リンは心底うれしそうな表情。さっそくスープをすする。デザートで終わりのはずだったのに、彼女の胃袋にはまだ余裕があるようだ。
「レギウス、いやらしいことを考えてたでしょ?」
「……は?」
 意表をつかれたレギウスは目をパチクリさせる。丸ごとスープにつかった小魚をリンは箸でつまんで、どこから食べようかと思案顔になる。
「レギウスとの絆が薄くなっています。もうそろそろわたしの血の効果が切れるはずです」
 言われて、いつの間にかリンの存在が遠のいていることに気づく。
 レギウスの視線がリンの深くえぐれた巫女装束の襟元に吸い寄せられる。箸を持った姿勢のせいでますます深度を増した胸の谷間がいやおうなくレギウスの情欲をあおった。
 リンが小魚にパクつく。ムシャムシャと咀嚼(そしゃく)して、
「今夜のうちに絆を強めることをしなければなりませんね。これからなにが起きるのか、予想もつきませんから、できるだけの準備は整えていたほうがいいでしょう」
「おれも同感だが、今夜のうちって、まさか船の上でか?」
「島に上陸してからではそんな時間はないと思いますよ?」
「それはそうだが……船の上よりも、この居酒屋の部屋を借りたほうがいいような気がするけど……」
「そんなにいますぐ絆を強めたいんですか?」
「ちょうど船が出港するまで時間が少し空くからな」
「とことんスケベですね、レギウスは」
「おまえだって一度はその気になってたじゃねえか!」
「レギウスには死んでほしくないんです」
 その口調があまりにも真剣だったので、レギウスは言葉に窮した。
「わたしとの契りがイヤでしたら、せめてわたしの血を飲んでください」
「どうしておれがイヤがると思うんだ?」
「肝心なときに役に立ってくれませんでしたからね」
「ひょっとして、まだ怒ってる?」
「怒ってます」
 きっぱりと、リン。レギウスはたじろぐ。
「……おまえを拒んだわけじゃない。それだけはわかってくれ」
 リンは箸を止めて、レギウスの顔をじっと見つめた。渋い表情をつくる。
「ときどきあなたという人間がわからなくなります」
 しゃべりつつ、リンはせっせと箸を口許に運ぶ。てのひらほどの大きさのある真っ黒な竜骨貝に小さな牙を立ててかぶりつく。
「出会ったころはもっと粗暴なひとだと思ってました。あなたはわたしが思ってたよりもずっと複雑な人間です」
「ブトウよりもか?」
 死んだ護衛士の名前を投げつけられてもリンは表情を動かさない。スープを最後の一滴まできれいに飲み干し、「ごちそうさまでした」と箸を置く。正面からレギウスの眼をのぞきこんだ。左右で色の違う妖瞳が、眼の窓を通してレギウスの魂の奥底をまさぐる。
「ブトウよりも、です。彼はもっと単純で、直情径行(ちょくじょうけいこう)でした」
 だから、ヤツはおまえを一途(いちず)に愛したのか、と言いかけて、レギウスは口をつぐむ。
 おれは複雑な人間なのか、と自問し、レギウスは微苦笑を洩らす。
(おまえみたいな女と出会ったことがないから、おれはいまだに混乱してるんだよ)
「わが生命(いのち)はわがきみのもの……」
 護衛士となったときに口にした誓句をつぶやく。
 降ってわいたような言葉に、リンがキョトンとする。
(リンに殺されてもいい。護衛士になったとき、おれはそう思った……)
「レギウス」
 リンがそっと呼びかける。
 レギウスはハッとして、無意識のうちに伏せていた顔をあわてて起こす。
 リンが微笑んでいる。優しく、純粋で、演出なんかではない、自然なままの笑顔。