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銀の錬時術師と黒い狼_魔の島

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 筋骨たくましい髭面の男がニヤニヤしながら、
「おれたちといっしょに呑まねえか? そんなガキみたいな兄ちゃんよりも、おれのほうが何倍も楽しませてやれるぜ」
 口を開けてゲラゲラと笑う。男がリンになにを期待しているのかは、いやらしい目つきで一目瞭然だった。日常茶飯事の反応とはいえ、不愉快であることはかわりない。リンは柳眉(りゅうび)を逆立てる。自然と声もとげとげしい調子になった。
「あなたたちに頼みたいことがあります」
「あー、なんだって? 聞こえねえよ。もっと大きな声で言え!」
「あなた、たちに、頼みたい、ことが、あります!」
 リンは精一杯の大声を張りあげて、
「あなたたちの船に乗せてください!」
「おう、おれだったらいつでも姉ちゃんを乗っけてやるぜ!」
 鼻のひしゃげた粗野な男が酒杯を高く掲げて舌なめずりをする。自分の冗談に腹を抱えて笑った。つられて周りの男たちが笑いだす。中腰になった小男が腰を前後に振る。リンの声音をまねて卑猥なセリフを吐く。爆笑の渦。給仕の女の子や、カウンターにいるハゲ頭のオヤジもいっしょになって笑っている。
 リンの顔が見る見る赤くなっていく。レギウスは眉間を親指の腹でもんで、ため息をつく。言葉が喉につまって黙りこんでしまったリンになり代わり、レギウスがよく響く声で男たちに呼びかける。
「おれたちを船に乗せてくれ! いますぐだ!」
 とたんに酒場の喧騒(けんそう)がピタリとやんだ。険悪な視線がレギウスに集まる。さきほどの髭面の男が酒杯をテーブルにたたきつけるようにして置き、のっそりと立ちあがる。立つと、レギウスよりも頭ひとつ分背が高い。筋肉の量は倍ほども違う。シミの目立つ船員服の袖からはみだした腕には、胸の大きな裸の美女の刺青がまとわりついていた。
「てめえは姉ちゃんの護衛か? 野郎に用はねえんだよ。外で待ってろ」
「聞こえなかったのか? おれたちを船に乗せてくれ。ちゃんと報酬は払う」
「ハッ! おれたちを雇うっていうのか?」
「そうだ。おれたちをあるところまで連れていってもらいたい」
「どこなんだよ、そこは?」
「こんなところじゃ言えない。交渉が成立したら話す」
「ふざけんな!」
 男が怒鳴る。ズカズカと酒場を大股で横切り、レギウスの目の前に立った。背を丸めてレギウスに顔を近づける。男の酒臭い息がレギウスの頬をなぶった。ほかの船乗りたちは興味深げな顔で成り行きを見守っている。この男はこれでも上級船員なのだろう。誰もヤジを飛ばさず、ケンカ腰の男をたしなめる者もいなかった。
「カネなんか持ってんのかよ? 見せてみろ!」
 レギウスは男をにらむ。レギウスの危険な眼光に気づいた男が首をすくめて鼻白む。黒衣の青年の眼をのぞきこんだ給仕の女の子が「ヒッ!」と短い悲鳴をあげた。
「ハナシを聞く気がないならいいさ。ほかをあたるまでだ。行こう、リン」
「ま、待て!」
 立ち去ろうとしたレギウスを男があわてて引き留める。
「そんなにあせるんじゃねえよ。ハナシだけだったら耳を貸してやってもいいぜ」
 レギウスは男を値踏みする。男はさきほどまでの威圧的な態度を引っこめて、できそこないの愛想笑いを唇の端にちらつかせた。リンは困惑気味にレギウスと男とを見比べている。よけいな口出しは控えている。実に賢明な態度だな、とレギウスは思う。
「船長はおまえか?」
「いや、おれは甲板長だ。おれたちの船の船長はダガスっていう男だ。おい!」
 背後のテーブルに陣取っている仲間に向かって、男は振り向きもせずに、
「船長を呼んでこい! おれたちは……」
「なんだ? おれならここにいるぞ」
 髭面の男の後ろから野太い声が響く。男はビクリと背筋を震わせて、肩越しにサッと振り返った。
 レギウスは男の身体越しに店内の奥をのぞく。赤ら顔の中年の男が厨房に通じる仕切りの扉を押し開けて、テーブルのあいだをこちらへと歩いてくるところだった。肩や肘に金色の刺繍を散らした船員服は上質な生地で仕立てられたものだが、いかんせん汚れやほつれがひどく目立つ。薄くなりかけた鉄灰色(てつはいいろ)の頭髪はモジャモジャともつれたまま、耳の横に無造作に垂れさがっていた。充血した両眼。顔の真ん中で寝そべった鼻。口を開くと、前歯が二本欠けていた。
(こいつが船長のダガスか……)
 レギウスの第一印象は「悪人面」だった。船乗りというよりも海賊を生業(なりわい)としていそうな、不敵な面構えの男だ。
「……船長」
 髭面の男が目をしばたたく。ダガスはうるさそうに手を振って髭面の甲板長を押しのけ、リンとレギウスの前に立った。部下の甲板長にくらべるとずいぶん背が低い。リンよりも上背がない。自然と心持ち顔を仰向けて、リンとレギウスを見上げるかたちとなる。それでも小さな体格を意識させないのは、身にまとった威厳のおかげだろう。
 荒くれ者の船乗りを束ねる立場にふさわしい、触れたらかみつかれそうな雰囲気をこの男は発散していた。
「ここいらじゃ見かけない顔だな」
 レギウスの黒髪黒瞳をジロジロとながめて、ダガスは目を細める。それからリンに目をやり、彼女の美貌に嘆声を洩らしたあと、眉を物思わしげにピクリと動かした。
「……そちらのお嬢さんのお名前は?」
「わたしはリンといいます。彼はわたしの護衛士のレギウス……」
「用向きをうかがおうか? おれたちになにをしてほしいんだ?」
 リンとレギウスは視線を交わす。レギウスは単刀直入に申し出た。
「いますぐにおれたちを船に乗せて、ある場所まで連れていってほしい」
 髭面の甲板長が横から口をはさんだ。
「船長、行き先は交渉が成立してから話すらしいですぜ」
「ほう。どうしてこの場で言えないのかな?」
「こちらの事情だ。その分、報酬は上乗せして払う」
「当然だな。通商金貨で三百枚だ」
「冗談だろ? せいぜい八十枚がいいところだ」
「二百五十枚」
「百枚。この町には船乗りなんか掃いて捨てるほどいるんだぜ?」
「フン。あんたらみたいな行き先を告げようとしない客を乗せていってもいいと思うような船長がどれだけいるかな? どうだ、二百枚で手を打とうじゃないか」
「百二十枚」
「急いでいるんじゃないのか? 百八十枚。これ以上は譲れないぞ」
「百二十枚だ。納得いかないんだったらほかを探す」
 ダガスはレギウスをにらみつけた。レギウスも負けじと船長をにらみ返す。
 ダガスの真っ赤に充血した両眼がせわしなく動いて、リンをチラッと盗み見る。舌打ちして両手を挙げ、降参のポーズをとる。
「わかったよ。百二十枚だ。交渉成立だな」
「船長、こんなヤツらを……」
 抗議しかけた髭面の甲板長を、ダガスはひとにらみで黙らせた。
「おれの船は人間の客を乗せて運ぶような船じゃないんだ。悪いが、快適な船旅は約束できないぞ」
「かまわない。おれたちを目的地へ連れていってくれればそれでけっこうだ」
「出港は?」
「早ければ早いほどいい。今夜のうちに出港したい」
「ったく、せっかくの休暇が台無しじゃないか」
 ダガスはブツブツと口のなかでぼやく。やおら振り返って、船長とレギウスのやりとりを傍観していた船乗りたちに怒鳴り声で命じる。