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銀の錬時術師と黒い狼_魔の島

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第十二話 死者たちの逆襲


 時間がない世界──その意味を、レギウスは痛感する。
 昼や夜という区分がないだけじゃなかった。時間の流れそのものを感じとることができない。
 道ともつかない道を歩いているうちに腹は減ってくるし、疲労がしだいに蓄積していくのを自覚する。けれども、どのぐらいのあいだ〈破鏡の道〉をさまよっているのか、もはや見当もつかない。数時間かもしれないし、一日なのかもしれないし、あるいは数日なのかもしれない。
 リンのつくった結界のなかでは正常な時間の流れがあるはずだが、体内の生理的な時計を正しく機能させる効果はないようだった。
 疲労がつのるにつれて猛烈な眠気が襲ってきた。気を抜くと一瞬、視野がふっと暗くなって意識が遠のく。足がもつれてハッとする。開きっぱなしのまぶたがピクピクとひきつった。
 途中、行軍を止めてリンが休憩を宣言した。交代で仮眠をとった。まずは体力の消耗の激しいレギウスが眠る。目をつぶると、リンとの絆が意識下で脈打つのを感じた。温かいものが絆を通して流れこんでくる。それを抱きとめているうちに意識が薄れ、目覚めたときにはすっかり体力が回復していた。
 リンと見張りを交代する。リンが地面に丸くなって寝息をたてる。レギウスはウロウロと彼女の周囲をうろついた。リンの張った結界から外へは出られないから、どうしても行動範囲は限定されてしまう。行ったり来たりを繰り返しているうちに、時間的感覚が消失していく。少女の姿をした案内人は無表情でレギウスを傍観していた。
 リンが寝ていた時間を推し量るすべはなかった。彼女の穏やかな寝顔をながめていたのは数時間のようにも思えるし、まる一日寝ていたようにも思える。時間にもはや意味はない。
 背中にしょった荷物から携帯食糧を取りだし、水といっしょに飲み下す。量は足りないが、ひとまず空腹感をまぎらわすことはできる。リンは情けない顔をして残り少ない食糧の束を数える。でも、「お腹が空きました」とは言わない。ガマンするしかないのだ。
 休憩を終えて出発する。先頭は案内人の少女。レギウスがその後ろ、リンが最後尾。
 一定の距離を置いて前を歩く小さな白い少女の後ろ姿を、レギウスは目で追いかける。
 過去の光景を投げかける鏡の窓がなんの脈絡もなく周囲を乱舞する。その大半はふたりにまったく関係のない、とある場所、とある時代の人々の生活の切片だったが、ときたまリンかレギウス、どちらかの過ぎ去った人生をありありと現出させ、行軍をしばし中断させた。
 二十年ほどでしかないレギウスの人生にくらべればその四倍の長さがあるリンの人生のほうが物語の題材に富んでいた。
 旧帝国の皇女として暮らしていた遠い過去の日々。そのなかにはあのリンにうりふたつな銀髪の少女もたびたび顔をのぞかせた。銀髪の美青年の影がちらつくたびにリンは苦しげな顔をした。
 一度だけ、リンと銀髪の美青年が噴水のそばで語り合っている場面が映しだされた。楽しげなふたり。リン──その当時はローラン皇女であった彼女の、屈託のない笑顔。
 肩越しに振り向くと、リンは泣くのをこらえるような顔つきでその情景を見つめていた。左手が、空の色を染みこませた左眼をそっと押さえる。
 口を開きかけてなにも言葉が浮かばず、レギウスはもどかしさに唇をかみしめる。
 リンの過去は、レギウス自身の過去と同じく、手の届かない記憶の迷宮の奥深くに埋没していた。
 ひとりで地上をさまようリン。
 広大無辺な海をゆく船の上で、縹緲(ひょうびょう)たる草原にそびえる大木のそばで、霧の立ちこめる高山の岩肌で、リンは前を向き、顔をあげて歩を進め、大地を踏みしめた。
 戦っている。第二種術式文字を描き、結式句を唱え、おのれの血を流しながら、あるいは返り血を浴びながら、襲いかかってくる敵と戦い、勝利を手にして、死体のかたわらに悄然と立ちつくす。
 そんな場面を何度、目にしたことか。
 旧帝国を追放されたあとのリンの過去は、苦闘と苦痛と、大量の血に彩られていた。
 トウモロコシの髭のような淡い黄褐色の髪をした青年がリンに付き添っている場面もあった。青年とリンが背中を合わせて包囲する敵と戦っている。青年が手にしている武器は〈神の骨〉──いまレギウスが柄に指を置いている妖刀だった。
 ひと目で誰だかわかった。ブトウだ。
 陽気な笑みを浮かべる背の高い青年の容姿は、〈第二図書館〉でレギウスが見た彼の幻影と寸分も違わなかった。
 ブトウが立ちまわる。動きが早い。流れるような動作、剣のさばき、鋭い眼光。リンの護衛士を務めるだけのことはあった。卓越した技量の持ち主だ。いまのレギウスが一対一でこの男と戦ったら勝てる自信がまるでない。
(強い。おれの師匠以上だ、こいつは……)
 鏡の映しだす過去のかけらがスッと流れる。
 レギウスはひるんだ。
 ブトウとリンが裸で抱き合っていた。リンの白い柔肌(にこはだ)をブトウの無骨な指がまさぐる。筋肉の盛りあがった男の背中にリンが爪を立てる。ふたりの身体がからみ合い、男の顔や胸からしたたり落ちる汗が女のそれと混ざってへそのくぼみにたまっていく。
 押し殺した嗚咽(おえつ)がレギウスの背後から聞こえてきた。レギウスは振り向く勇気がなかった。歯を喰いしばって、前を行く白い少女の背中に視線を据える。
 愛し合う男女の情景が消え去ったあともしばらくのあいだ、リンの嗚咽は続いた。
 行軍のあいだにさまざまな敵が襲ってきた。
 死者の仮面をかぶった影の群れが闇のなかから現れる。レギウスは自分が殺してきた死者を何度も斬り捨てた。初めのうちはひるむこともあったが、そのうちに感情が麻痺してきて無感動に刀を振るった。
 リンはレギウス以上に徹底していた。眉ひとつ動かさずに錬時術を操って影たちを粉砕する。自分と同じ顔をした碧眼(へきがん)の少女も、優しい笑みを張りつけた銀髪の美青年も、レギウスが知らない人間も、いっしょくたにして猛り狂った時間の流れの彼方へと突き飛ばす。死者たちは耳が凍りつくような絶叫を残して消えていく。
 ブトウの幻影をまとった影が現れるとリンは喉の奥から低いうめき声を洩らした。レギウスは発狂した男の影を頭のてっぺんから両断した。傑出した戦士であったはずの男のまがいものは、まったく抵抗することなくきれいに真っ二つにされ、朝陽を浴びて溶ける夜霧のようにあえなく蒸発した。
 レギウスはチラリとリンをかえりみる。リンは自分の肩を抱いて震えていた。顔色が真っ青だ。声をかけようとすると、弱々しく首を横に振る。
「……もう大丈夫です。わたしは惑わされたりしませんから」
 その言葉を、レギウスは無条件に信じる気にはなれない。いや、信じられないのは自分自身なのではないか、とも思う。
 影たちは執拗で、執念深く、あきらめるということをしない。心がすり減っていくような疼痛(とうつう)が、時間感覚の消失とあいまって、リンとレギウスをさいなむ。
 苦しかった。苦しみを、苦しみと知覚して消化できない二重の苦しみが疲労に転換して、筋肉の隙間にたまっていく。