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銀の錬時術師と黒い狼_魔の島

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 吸血鬼の錬時術師に仕える護衛士はそのまま血を分け与える供血者でもある。レギウスも新月の夜と満月の夜に自分の血をリンに捧げている。それを不快に思ったことはない。一種の儀式のようなもので、リンが血を飲むと、彼女との絆が強まって、体内に活力が満ちるのを感じる。
 これまで新月の夜と満月の夜以外に自分の血をリンに分け与えたことはなかった。新大陸の人間が考えているほど、吸血鬼は血を好むわけじゃない。彼らは必要最低限の量だけしか人間の血を飲まない。
 だが、死にかけた吸血鬼は別だ。実際にそうした場面を目にしたことはないが、〈光の軍団〉にいたとき、レギウスの教育を担当した教官が教えてくれた。
 血に飢えた吸血鬼は人間の肌に牙を立て、血をむさぼる。普段の人間らしさをかなぐり捨てて、それこそ飢えた獣のように血を求める。
 誇張はあってもそれは真実だろう、とレギウスは思う。
 そして、自分の覚悟のほどを探る。答えはとっくに決まっていた。
(いいさ。それで目を覚ますのなら、いくらでもおれの血をくれてやる……)
 部屋のなかを探すと果物を切るときのナイフが見つかった。左手の親指の腹にナイフで傷をつける。血の玉が盛りあがってきた。それをリンの口に押し当てる。
 レギウスの血に濡れたリンの唇がわななく。もう少し力をこめるとレギウスの親指がリンの唇を押し分け、第一関節まで彼女の口のなかに埋没する。
 リンの口が動いた。レギウスの血を吸う。牙の尖端が指の腹に当たるのを感じた。
 突然、リンが目を開けた。左右で色の違う両眼は充血して真っ赤だった。
 リンが寝台の上に上半身を起こす。レギウスの背中に腕を回し、首筋ではなく、右肩にかみついた。
 鋭い牙でレギウスの肌を切り裂く。焼けつくような痛み。喉から出かかった悲鳴をレギウスは押し戻す。
 リンが血をすする。いつもは血を吸われても痛みを感じないのだが、いまのリンにレギウスへの配慮はない。牙を突き立て、喉を鳴らして血を飲む。
 レギウスは背筋が縮みそうな苦痛をこらえる。リンの口からあふれた血が肩から胸へと垂れて、着替えたばかりの服を真っ赤に濡らす。背中に喰いこんだリンの爪が皮膚を破る。
 レギウスは歯を喰いしばった。頭を左に傾けて、リンが楽な姿勢で血を飲めるようにしてやる。そうやって数分のあいだ、リンに自分の血を吸わせていた。
 リンがレギウスの肩から口を離す。満足げな吐息をつき、寝台に倒れこんだ。そのまま眠りにつく。
 達成感と満足感が胸の奥底からこみあげてきて、レギウスは震える息を吐いた。肩の傷の具合を確かめる。ふたつの孔が小動物の眼のように並んでいた。血は止まっている。肩を動かすとしびれるような痛みが残っていた。
 血で汚れた服を取りかえ、リンのそばに戻る。彼女の顔をのぞきこんだ。穏やかな寝顔。血色はさっきよりもだいぶマシになってきた。
 レギウスはリンの様子を見守った。
 どのくらい時間が経ったのか……静かに扉が開いてジスラが入ってきた。
 眠るリンを見てジスラが表情をなごませる。レギウスの隣の椅子に座り、いっしょになってリンを看病した。
 ジスラはなにも言わなかった。レギウスも彼女に話しかけない。
 ジスラがやってきてほどなく、リンが目を覚ました。
 目をしばたたき、最初に天井を、視点がすべってレギウス、ジスラの順番に視線を据える。
 苦悶の色がリンの顔をよぎる。自分がさきほどなにをしたのか、思いだしたのだろう。リンの顔が青ざめた。
「レギウス……わたし、あなたの血を……」
「気にするな。おまえを回復させるにはああするしかなかった」
「ごめんなさい」
「謝ることはねえったら。おれのほうこそ、肝心なときにおまえを守ってやることができなかった。護衛士失格だな、おれは。すまなかった。赦してくれ」
「レギウスは悪くありません。わたしの指示に従っただけなんですから」
「そうだとしても、おれは自分の頭で考えて判断しなかった。明らかにおれの落ち度だよ。二度と同じ失敗は繰り返さねえ」
 リンは唇を軽くかむ。なおもなにか言いかけたが、レギウスは身をかがめてリンの頬を自分の右手で包みこみ、つややかな銀髪を指ですく。
 レギウスとリンの目が合う。リンの目尻から涙がこぼれ落ちた。レギウスの指を濡らす。温かい感触。それだけでもう充分だった。これ以上の言葉は要らない。
「ご気分はいかがかしら、殿下?」
 と、ジスラ。声にこめられた非難の調子はリンに向けられたものとも、リンを拉致した〈統合教会〉の異端審問庁に向けられたものとも判断がつかなかった。
 レギウスが〈僧城〉での出来事をかいつまんでリンに説明する。リンは苦しげなため息をこぼした。
「ありがとう、ジスラ。助けてくれて」
「なぜ抵抗しなかったのかしら? 殿下の護衛士はこういう事態に備えるためにいるのではなくって?」
「〈統合教会〉ともめごとは起こしたくありません」
「坊主どもに殺されていたかもしれないのに?」
 ジスラの辛辣な指摘に、リンは黙りこむ。レギウスも横から口出しはできなかった。
 ジスラはフンと鼻を鳴らした。
「それで、〈第二図書館〉ではなにがわかったのかしら? 灰色の女神がからんでるそうですわね」
「ジスラ、あなたには関係ない……」
「いいえ、殿下、わたくしの友人のティレスが殺されましたのよ。わたくしにも聞く権利があるのではなくって?」
 リンがレギウスに目顔で助けを求める。
「話してやれよ。ジスラはもう無関係じゃねえ」
「……わかりました」
 リンは小さく息をつくと、感情を交えない平坦な口調で話しはじめた。

 〈第二図書館〉からターロンが盗んだ〈死者の書〉には、いまでは失われた錬時術の技術が満載されていた。どれも驚異的な効果を及ぼすものばかりだ。
 ただし、人間の錬時術師には使えない。効果が大きい分だけ、消費する時晶の量も桁外れに多いからだ。それに制御が難しい未知の第二種術式文字を描かなくてはならないから失敗の可能性も高い。人間の錬時術師が〈死者の書〉の内容を知ってもたいして利用できることはないだろう。
 では、どうしてターロンは〈死者の書〉を盗みだしたのか。
 灰色の女神がそれをリンに教えてくれた。ターロンが求めていた錬時術の術式といっしょに。
 それは禁忌の術式。
 世界の理(ことわり)を破壊する性質のものだった。
 リンは明かす。ターロンが追求した術式は「時間の逆流」だ、と。
「時間の逆流? どういうことだ?」
「錬時術は時間の流れを操作する技術の体系です。術式はおおまかに区別すると三つあります。時間の流れを止める術式、または流れる速さを変える術式……そして、もうひとつ、不可能とされているのが時間の流れを巻き戻す術式です」
「過去へと時間の流れを戻す、ということですわね。〈死者の書〉にはそれを可能にするための術式が書かれていましたの?」
「はい。ターロンが手に入れようとしていたのは不可能を可能とする術式です」
「で、時間を巻き戻してヤツはなにをしようとしてるんだ?」
「死んだ恋人を生き返らせること」
 リンがつぶやくように言う。唖然とするレギウスとジスラに向かって、リンは言葉をかぶせる。