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銀の錬時術師と黒い狼_魔の島

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第九話 禁忌の錬時術


 ひどく惨めだった。
 リンを守ってやることができなかった。
 悪鬼のような男たちにリンが傷つけられるのを防ぐことができなかった。
 なにもできなかったかもしれない。異端審問庁の僧官と僧兵に抵抗しないよう、レギウスを抑えつけたのはリン自身だ。だからレギウスに責任を押しつけるようなことはしないだろう。
 そうであっても──
 肝心なときに彼女を守ってやれなかったという事実がレギウスをさいなんだ。
 絆を通して味わった不快な感覚が、レギウスの頭のなかで何倍にも増幅されて克明に再現される。
 レギウスは悶絶した。
 ブトウの亡霊がまとわりついてきた。
 ブトウがあざ笑う。きみにリンを守ることはできません、とレギウスの無能を厳しく指弾する。レギウスは反論できない。じっと耐えた。亡霊はしつこくつきまとってきた。
 黒髪の青年になかば強制されて身体を洗い、貸してもらった新しい服に着替えた。食事を勧められたがなにも口にする気になれなかった。食べたら吐いてしまいそうだ。
 あてがわれた部屋の床にレギウスはうつ伏せになって身悶える。床に敷かれた厚手の絨毯を爪でかきむしった。ひりつくような苦痛が蒸留され、亡霊のけたたましい嘲笑がねばつく熱気となって古傷だらけの肌に汗の玉を結ぶ。
 自分の名前を呼ぶ声で現実に引き戻された。
 扉を開けてあの金髪の青年が顔をのぞかせていた。
「……ご主人さまがお呼びです。ぼくといっしょに来てください」
 レギウスは機械的に従った。リンにあてがわれた部屋へと足を運ぶ。
 リンは清潔な白い寝衣に身をくるみ、寝台のなかでスヤスヤと眠っていた。いくぶん顔色はよくなったようだ。雪中花の甘い香りがきつい。
 ジスラが寝台の横に椅子を引き寄せ、リンの寝顔を見下ろしていた。レギウスを招き寄せ、自分の横の椅子に座らせる。
 ジスラの顔に非難の色はなかった。穏やかな目でレギウスを見つめる。
「できるだけのことはしましたが、殿下に回復してもらうためにはあなたの血が必要ですわ」
「おれの血?」
「〈月の民〉が人間の血をなんと呼ぶのか、ご存知かしら?」
「聞いたことがある。確か、〈いのちの水〉とか……」
「そうですわ。あなたのいのちを殿下に分け与えなさい。それが竜鱗香の毒素を消す特効薬になりますわ」
「わかった」
 ジスラは手を伸ばしてリンの額にかかった銀髪の房をかきわける。
「……わたくしの従者がたまたま〈僧城〉に連行されるあなたがたを目撃しましたのよ。わたくし、バダラ至爵に申し上げましたわ。〈月の民〉に対する違法行為を耳にしたら旧帝国が黙っていません、とそう忠告いたしましたの。衰えたとはいえ、旧帝国の威光はまだまだ健在ですわね」
「あんたがあのバダラとかいう男を脅迫したのか?」
「まあ、脅迫だなんて、心外ですわ。わたくしは衷心(ちゅうしん)から忠告しただけですのに」
「ものはいいようだな」
「賞賛と受け取っておきますわ。それで、バダラ至爵はなんと答えまして?」
「答え? なんのことだ?」
「ターロンとかいう若者の行き先に決まっていますわ。ターロンはわたくしの友人のティレスを殺した犯人です。彼が所属していた〈統合教会〉には竜殺しの責任があるのではなくって? そのこともバダラ至爵にはっきりと申し上げましたの」
「そうか、だからバダラはターロンの行き先をしゃべったのか!」
「さすがの〈統合教会〉も竜を敵に回すつもりはないようですわね。わたくしの一族はなにがあっても借りをきっちりと返すことで有名ですから」
「ターロンが犯人だっていう証拠はないはずだが?」
「あら、そんなものが必要だなんて初耳ですわ」
 ジスラは遠慮会釈なくオーッホッホッホと高笑いする。レギウスは天井を仰ぐ。竜と議論しても勝ち目はない。常識が通じるような相手じゃないのだ。
「あんたの金髪の従者もあの場にいたぞ。ヤツからバダラの返答を聞いてねえのか?」
「報告は受けましたわ。わたくしはあなたがちゃんと聞いていたかどうかを確かめたいだけです」
 レギウスは渋面をつくった。
「ターロンの行き先は〈嵐の島〉だ」
 ジスラは、正解を口にした生徒を見守る教師のようなしたり顔で小さくうなずき、
「そこがどんなところか、知っていまして?」
「重罪人の流刑地だった島だ。二百年前、〈統合教会〉に追われた巨神の信徒が逃げこんで島を占拠した。〈統合教会〉が三万人の僧兵を動員して巨神の信徒を全滅させ、錬時術師が島ごと時間の流れを止めて封印したという──おれが知ってるのはこれぐらいだ」
「上出来ですわ。〈光の軍団〉でも歴史の授業はあったようですわね」
「これを教えてくれた教官は、三千人の巨神の信徒を皆殺しにするのに二年もかかった〈統合教会〉のお粗末な包囲作戦をボロクソにこきおろしてたけどな」
「ターロンはなぜ〈嵐の島〉に向かったのか、その理由についてはわかってますの?」
「いや……たぶん、リンが知ってる」
 レギウスは眠り続けるリンへと顔を向けた。
「灰色の女神がなにか教えてくれたはずだ」
「灰色の女神?」
 ジスラがいぶかしげに眉をひそめる。レギウスは〈第二図書館〉での出来事をジスラに語った。巨神のひとりが〈世界のはざま〉と地上とをつなぐ〈黄昏(たそがれ)の回廊〉を通過するのに冥界の王が手を貸したらしい、と聞くと、ジスラが喉の奥でうめき声を洩らした。
「……ティレスを殺したのはその巨神ですわね。ターロンに〈死者の書〉を読み解く術式を与えたのもそいつだと思いますわ」
「〈黄昏の回廊〉を通過するなんてことができるのか? 封印されてるんだろ?」
「〈黄昏の回廊〉の出入口はこの地上だけにあるわけではありませんのよ。冥界にも出入口がありますわ」
「そうなのか?」
「ええ。そちらもしっかりと封印されてますけれどね。冥界の王が手助けすれば、封印を回避する手段があるのかもしれません」
 ジスラはおもむろに腰を上げた。リンの額にそっと手を置き、気遣わしげな表情をつくる。ゆっくりと扉のほうへ歩いていきながら、肩越しに言葉を投げかけた。
「あなたも護衛士なら最善をつくしなさい」
 それに対するレギウスの返事は一拍遅れた。
「……おれはリンの護衛士にふさわしい男だと思うか?」
 扉に手をかけたジスラは振り向きもせず、淡々とした口調で答えた。
「あなたはローラン殿下が選んだ護衛士ですわ」
 肯定──と解釈してもいいのだろう。それは自分が望んでいた答えかもしれない。そうであっても、レギウスはなにも言い返せなかった。
 ジスラは扉を押し開けて部屋を出ていく。
 レギウスはためていた息を吐きだす。
 いつの間にか、ブトウの亡霊は消え失せていた。

 血。
 それが竜鱗香の毒素を消す特効薬になる、とジスラが断言していた。
 吸血鬼は人間の血を〈いのちの水〉と呼ぶ。生命力の源泉が秘められた、濃厚で温かい水、と。それを飲むことでおのれの生命力を飛躍的に高め、寿命と若さを手に入れる。