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銀の錬時術師と黒い狼_魔の島

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 下着姿のリンが仰向けに寝かされていた。異端審問庁の僧服を着た、いかつい男が上からリンに覆いかぶさり、手袋をはめた手で白いねっとりとした粘液を彼女の下腹部に塗りつけている。男の指が触れるたび、リンが激痛に弱々しい悲鳴をあげる。
 吐き気をもよおすような悪臭を放つ白い粘液の正体をレギウスはひと目で見破る。毒ガエルの毒液を煮詰めた催痛剤──腐毒(ふどく)だ。まったく傷つけることなく、皮膚に触れるだけで激しい痛みをもたらす、拷問には欠かせない道具。腐毒の苦痛に耐えることができる人間はいない。それが吸血鬼であっても同じだ。
 レギウスに気づいて拷問者の男が顔を上げる。男の両眼は血走り、口許は残忍な愉悦にゆがんでいた。
 レギウスは台座までの数歩を跳び越え、〈神の骨〉の柄で男の顎を力任せに殴りつけた。イヤな音がした。折れた男の歯が台座にぶつかって床に転がる。男が台座からずり落ちる。そのまま動かなくなった。
「リン!」
 リンを上からのぞきこむ。顔色は血の気が薄く、色を失った唇は彼女自身の牙で傷ついていた。腹や太腿に腐毒の白い粘液が飛び散り、彼女の銀髪にべったりとへばりついて固まっている。
 粘液の発散する異臭が、部屋に立ちこめる没薬のにおいを押しのけてレギウスの嗅覚を麻痺させる。
 ここで彼女がどういう仕打ちを受けたのか、一目瞭然の状態だった。
 猛烈な殺意が胸の奥底からこみあげてきた。
 僧官をにらみつける。レギウスの剣呑(けんのん)な視線を浴びて、僧官が青ざめる。なおも虚勢を張ろうと、僧官が大声を出す。
「き、きさま! よくもわが任務の邪魔を……」
「死にたくなかったらそれ以上しゃべるな!」
 レギウスが一喝すると、僧官は「ヒッ!」と息を呑み、胸の前で両手の指をくねらせた。五神教徒の印を切るつもりで、指が思うように動かないらしい。腕も指も、恐怖でわなないていた。
 殺意を解き放って、目の前の男をこの世界から消してしまいたい衝動に強く駆られる。レギウスは奥歯を喰いしばって、ありったけの自制心を動員する。
 僧官のただれた視線からリンの半裸を隠すものを探した。床にリンの巫女装束の引き裂かれた残骸が散らばっていた。ないよりはマシだったので、比較的大きな断片を選んでリンにかぶせる。
 台座の端、リンの頭のすぐそばに、てのひらにすっぽりと収まるほど小さい木製のお椀が置かれているのに気づいた。なにやら赤黒い液体がお椀の底にたまっている。それがなんなのかを悟って、レギウスは顔から血の気が引くのを感じた。
 血だ。
 急いでリンの腕を調べる。左手の親指に刃物でつけた傷痕があった。乾いた血が傷口にこびりついている。
 レギウスはありとあらゆる神を呪う悪態をわめき散らした。
 僧官を問いつめようとそちらへ一歩近づいたとき、廊下から大勢の人間の声が聞こえてきて、剣を持った僧兵の集団がドッと室内になだれこんできた。怒声を張りあげ、たちまちレギウスを半円形に包囲する。
 僧官がホッと安堵の息をつく。僧兵の指揮官らしい赤髪の男に向かって、
「いままでなにをしていた! 早くこいつを殺せ!」
「グザン殿、この部屋で異端者を殺すのは……」
「つべこべ言うな! さっさと殺すんだ!」
 腐毒の強烈な悪臭に顔をしかめつつ、反論しかけた指揮官の言葉を、グザンと呼ばれた僧官がムキになってさえぎる。
 指揮官は不愉快そうに眉をひそめたが、グザンの命令に逆らおうとせず、配下の僧兵に「処分しろ」と指示を飛ばす。剣をかまえた僧兵がジリジリと包囲網をせばめてくる。
 レギウスは背後にリンを守って僧兵に〈神の骨〉の切っ先を向けた。レギウスひとりならばこれぐらいの包囲網を突破するのはわけない。が、意識のないリンを抱えて脱出するのはほとんど不可能に近かった。
 グザンを人質に取ることも考えたが、相手は異端審問庁の僧官だ。人質になる屈辱を味わうぐらいだったら自決するかもしれない。
 これといった打開策が浮かばず、胸のうちを焼けつくような焦燥感がこみあげてくる。
(こうなったらこいつらを全員かたづけて逃げだしてやる……)
 グザンが調子の外れた笑い声をたてる。それが攻撃の合図となった。
 同時に三人の僧兵が奇声をあげて斬りかかってきた。
 刃を交える。勝負は一瞬だった。
 あっという間に三人が斬り伏せられる。
 次の僧兵が踏みこんでくる。
 レギウスと僧兵が戦っているあいだにグザンはこっそりと台座を回りこんで指揮官の後ろに逃れた。指揮官をさしおいて僧兵をけしかけ、レギウスに斬りつけられて床に倒れる彼らの軟弱さを、聖職者にあるまじき罵倒語で口汚くののしっている。
 あからさまな越権行為に指揮官が険しい表情でグザンをにらみつける。グザンはまるで気にかけていない。異端者を殺せ、とさっきから同じことを叫んでいる。
 室内にいた僧兵の半分が倒れて床に折り重なった。もとから部屋にいた四人の男と僧兵の身体が床をふさぎ、思うように足場を確保できない。
 レギウスを取り囲む僧兵の輪が心持ち後退する。グザンが顔を真っ赤にして地団駄を踏むが、〈神の骨〉を振るうレギウスの圧倒的な強さを目(ま)の当たりにして僧兵が委縮していた。
 いまならどうにかリンを抱えて脱出できるかもしれない、と思ったが、開かれた扉から新手の僧兵がおどりこんできた。
 レギウスは舌打ちする。新しく駆けつけてきた僧兵は短弓を装備していた。接近戦ではレギウスにかなわない、と判断して、近距離からの攻撃を試してみる気になったらしい。床に倒れている味方の僧兵に流れ矢があたる可能性だってあるのに、なんとも容赦のない措置だ。
 レギウスは背後をチラリとうかがう。リンはピクリとも動かない。高濃度の竜鱗香を飲まされたせいで昏睡状態におちいっている。レギウスがリンのそばを離れれば流れ矢がリンにあたるかもしれない。そんな危険を冒すわけにはいかなかった。
 いよいよせっぱつまったレギウスをながめて、グザンがニヤニヤとする。
「安心しろ。きさまの主人を殺すつもりはない。まだまだ役に立ってくれそうだからな」
「てめえ、こいつらにリンの血を飲ませたのか!」
 レギウスは床に転がる四人の男を目で示す。グザンは咳きこむような笑い声を洩らした。
「吸血鬼の血は寿命を延ばす霊薬だ。旧帝国の皇女の血となるとさすがに副作用も強いみたいだな。血を飲んだわが配下は全員、もだえ苦しんだすえに気絶したよ。私もあとで試してみようと思ってる。いっときの苦痛など、吸血鬼の血から得られる効能にくらべればどうってことはない」
 僧兵の指揮官があからさまな侮蔑をこめた眼差しでグザンの横顔をねめつける。グザンは指揮官を無視した。赤黒い舌で唇をなめずり、死んだように眠っているリンを狂おしげな表情で見つめる。
「もっと血をしぼってやる。もちろん、きさまらの陰謀を全部暴きだしてからだ」
「てめえの舌を切り落としてやる。きっと尋問を続ける気がなくなるだろうよ!」
 グザンが頬をゆがめて気色ばむ。そばにいた僧兵から短弓をひったくり、自分でレギウスに狙いをつける。