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銀の錬時術師と黒い狼_魔の島

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 その声の反響がまだ消え去らないうちに、警備兵の苦痛のうめき声が聞こえてきた。扉に重いものがあたる音。のぞき窓からはなにも見えなくなった。
 レギウスは乱れた息を肩で整え、じっと待った。
 扉の錠前の回る音がした。扉がゆっくりと押し開かれる。
 扉口にひとりの少女が立っていた。歳のころは十歳前後。異様な風体の、美しい少女だ。腰まで届くまっすぐな髪は脱色したかのように真っ白だった。温かみを感じさせない、まるで磨きこまれた陶磁器みたいな、白くつややかな肌。ほっそりとした華奢な身体を純白の寛衣(かんい)で包みこみ、腰にはこれもまた白い帯をしめている。およそ色彩を欠いた容貌のなかで、唯一、真っ赤に色づいた瞳が、冷たい光をたたえてレギウスをまっすぐに見つめていた。
 少女は左手に黒い鞘をにぎりしめていた。〈神の骨〉の鞘だ。
 レギウスが右手を差し伸べると、少女が黒い鞘を手渡す。わずかに唇をゆがめて微笑む。色を失った白い唇が動くと、声にならない声で言葉をつむぐ。
 次の瞬間──
 白い少女はひと振りの刀──〈神の骨〉へと変じ、レギウスの右手に収まった。
 ドクン、とレギウスの右手のなかで妖刀が脈打つ。
 使い手の激しい怒りを吸収して、神ですらも滅ぼす武器が鳴動する。
 〈神の骨〉の真っ白な刀身が銀色にぎらつく光をまとう。刀身から霧が立ちのぼり、レギウスの右腕を伝って、肩から胸、胸から心臓へと達する。
「おおおおおおおおおおっ!」
 レギウスはおたけびをあげた。
 枯れ果てた荒野をどよめかせる濁流のごとく、すさまじい殺意が押し寄せてきて、レギウスの意識を赫々(かっかく)と塗りつぶしていった。
 走りだす。
 リンのもとへ。守ると誓った銀髪の少女のもとへ。
 無心に手足を動かす。
 視界が揺らめく、焦げる、きしむ。
 その視界のなかに影が飛びこんでくる。
 驚きの声をあげる警備兵の群れ。レギウスを止めようと押しかけてくる。
 レギウスは〈神の骨〉の柄をにぎる指に力をこめる。火傷しそうなぐらいに、熱い、熱い。
 妖刀に宿った魂のかけらがレギウスにささやきかけてきた。
 殺さないで、と男の声が心耳(しんじ)に突き刺さってくる。
 殺さないで。彼らはきみの本当の敵じゃありません。そんなことに〈神の骨〉を使わないでください。
 きみはリンの護衛士です。その覚悟を見せてもらいましょうか。
 せせら笑う。別の男の声が。レギウスの理解できない言葉を投げつけてくる。
 殺さないで、と強くいましめる声──ブトウの声だ、とレギウスは察する。
 ブトウがおれを見ている。
 おれがリンの護衛士にふさわしい男なのか、見極めようとしている。
 いいだろう。殺したりはしない。殺す価値すらない、こんな連中は。
 おれは火だ、水だ、風だ、星だ、太陽だ──牙をむく狼だ。
 リンのいる方向はわかった。ここよりも上の階層にいる。絆が彼女の居場所を教えてくれる。
 左手の五芒星(ごぼうせい)の黒い刻印がジリジリと肌を焦がす。リンの危機を察知して、刻印がか細い悲鳴をあげている。
 両側に扉の並ぶ地下牢の廊下を駆ける。軽装鎧に身を固めた警備兵が立ちふさがる。レギウスが抵抗すれば殺してもいい、と命令されているのだろう。剣が、短槍が、鮮やかな銀閃を曳いてレギウスの視野を断ち切っていく。
 レギウスはおどった。
 身体をひねり、腕を伸ばし、腰を沈め、かかとを軸にして回転する。
 〈神の骨〉の真っ白な刀身がひらめく。警備兵の武器を打ち砕き、肉をえぐっていく。
 妖刀に斬られた警備兵は苦悶の絶叫をあげて床に倒れこむ。血は流れない。それでも、〈神の骨〉に斬られた人間が再び立ちあがることはない。
 怒号がレギウスを取り囲む。悲鳴がほとばしる。五柱の神々の印を切る指の動作。慈悲を乞う哀れっぽい声。年端もいかない少年僧があわてふためいて逃げ惑う。
 レギウスは階段を駆けあがる。階段の上にも下にも赤茶色の鎧をまとった僧兵がひしめいていた。それを片端からなぎ倒す。階段から足を踏み外した僧兵が下にいる人間を巻き添えにして転がっていく。
 指揮官らしい白髪頭の男が声を枯らして叫んでいた。レギウスは階段を昇って広い廊下に出た。指揮官と相対する。
 指揮官が罵声をレギウスに浴びせる。腰の剣を抜く。早い。が、レギウスの身のこなしにはついていけない。
 刃を交える。たったの一合で指揮官の剣が折れた。
 指揮官が目を丸くする。その額のど真ん中を〈神の骨〉の切っ先がつらぬく。
 指揮官はくたりとくずおれた。
 左右を見渡す。左。リンがいるのはそっちの方角だ。走る。
 まだまだ僧兵が集まってきていた。人間の壁を力ずくで突破する。僧兵の身体を踏みつけ、またぎ越して、叫喚の渦巻く廊下を突進する。
 なにごとかと扉を開けて頭を突きだした僧官が、一陣の風をまとって疾走するレギウスを目(ま)の当たりにしてあわてて扉を閉める。
 白と黒のお仕着せを着た〈僧城〉の使用人たちが悲鳴をあげて右往左往する。僧兵が逃げる使用人の奔流に巻きこまれて立ち往生する。
 怒鳴り声。泣き声。誰かが嘔吐する汚らしい音。
 混乱が燎原(りょうげん)の火のごとく広がっていく。
 廊下を右に折れ、さらにその先で左に曲がる。突き当たりの大きな扉の前に五人の僧兵が警備に立っていた。駆け寄ってくるレギウスを認めて、僧兵が短槍をかまえる。
 いままでの僧兵よりも格段に強かったが、〈神の骨〉と一体化したレギウスの敵ではなかった。
 繰りだされてきた槍の穂先を〈神の骨〉で粉砕する。そのまま刀を振り切った。
 たちまちふたりが胴を斬られてひっくり返る。残った三人がレギウスを包囲しようと動く。
 正面に立った僧兵に突っこんでいく。槍ごと僧兵を斬り捨てる。
 背後から追ってきた槍を前へ跳んでやりすごし、転がって、すばやく立ちあがる。
 右にいた僧兵を左下から右上へと斬りあげる。
 最後になったひとりが一瞬、恐怖に身をすくめる。
 そのすきをとらえて相手の懐に飛びこみ、脳天からたたき斬る。
 息をつく。立っている者はいない。追いかけてくる者もいなかった。扉の向こうが騒がしい。
 足で蹴って扉を押し開ける。室内におどりこんだ。
 装飾にとぼしい殺風景な部屋だった。窓はなく、床は灰緑色の羽目石を敷きつめている。汚れて変色した白装樹(はくそうじゅ)の壁には、異教徒と戦う五神教徒の軍勢の、色あせた掛け軸が飾られていた。壁の金具に留められた、鋭い棘のついた棍棒に錆びついた剣。空気に濃く立ちこめた汗と甘ったるい没薬(もつやく)のにおい。
 部屋の真ん中に、腰までの高さの灰色の台座が据えられていた。台座の周りに三人の男が倒れていた。全員、苦悶に白目をむいて気を失っている。台座の反対側に立って、いきなり部屋に乱入してきたレギウスに驚きの顔を向けているのは、リンとレギウスをここまで連行してきた、あの異端審問庁の僧官だった。
 そして、台座の上に横たわっているのは──
 レギウスはうめき声をあげる。