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銀の錬時術師と黒い狼_魔の島

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 僧官が顎をしゃくる。僧兵が進みでて、レギウスの腰から〈神の骨〉を取りあげた。無意識のうちに身体が動いたが、グッとこらえた。
 服を脱がされた。腰に巻いた下着だけになる。黒い装束のあちこちにしのばせていた武器は全部没収された。腕に手枷をはめられ、尻を強く蹴られて地面に転がる。
 リンの扱いはレギウスと違っていた。僧官が玻璃樹(はりじゅ)の容器を内懐(うちふところ)から取りだし、リンに突きつける。
「これを飲め」
 と、僧官が命じる。小さな笑い声が唇の隙間から洩れる。
 リンは黙って容器を受け取り、蓋を開ける。甘ったるいにおいがレギウスの鼻をつく。なんのにおいなのか、すぐにわかった。昨日もかいだにおいだ。
 竜鱗香(りゅうりんこう)。それもおそろしく高濃度の。
 中身を知ったリンがひるむ。僧官が「早くしろ!」と怒鳴る。
 レギウスは叫んだ。
「やめろ、リン!」
 とたんに、僧兵が槍の石突(いしづき)でレギウスの胸を突く。鋭い痛みにレギウスは息をつまらせた。
 意を決したリンが、容器の中身をあおる。半分も飲まないうちに効果が現れた。
 リンの手から容器が落ちる。くずおれた。僧官がリンの身体を受け止める。笑っていた。心底、愉快そうに。
 レギウスは吼えた。立ちあがろうとして膝をついたところで、僧兵が槍の柄でレギウスの側頭部を強打する。
 意識が遠のく。必死にしがみついて目を開けようとしたら、もう一度、今度は脳天に強烈な一撃が降ってきた。
 不快な闇が押し寄せてきて──
 レギウスは気を失った。

 水のしたたる音。
 それが、とぎれない。ポツン、ポツンと一定の間隔を置いて続く。
 水滴の砕け散る音が、レギウスの意識を侵食する。小さな音の周囲をレギウスは飛びまわり、つかみそこなって──
 目を覚ました。
 不意に激しい頭痛が襲ってくる。うめき声が洩れた。左のこめかみのあたりがズキズキと痛む。痛みをこらえて、上半身を起こす。周囲に視線を配る。
 レギウスは独房にいた。天井の低い、狭い部屋。窓はない。四囲の壁の三方は、掘削した岩盤の凸凹に凝石樹(ぎょうせきじゅ)の赤茶けた樹液を塗りつけて固めてあった。過去に火事でもあったのか、ところどころに黒く煤(すす)けたあとが残っている。頑丈そうな、材質のわからない一枚板の扉が正面の壁をふさいでいた。扉に切られた指の太さほどの、のぞき窓からときおりひとの話し声が聞こえてくる。壁にめりこんだ灯台の小さな蛍光樹の灯りがこの独房の唯一の光源だった。
 独房にはなにもなかった。寝台すらない。レギウスは床に敷かれた汚い毛布の上に横たわっていた。部屋のいちばん奥に切られた溝からひどい悪臭が漂ってくる。確認するまでもない。そこが排泄物の捨て場だろう。天井がところどころ濡れている。濁った茶色のしずくを結んで、水滴がポツンと落ちる。それが、緩慢な時間の経過を囚人に知らせる。
 〈僧城〉の地下牢だろう、とレギウスは見当をつけた。〈統合教会〉の国内最大の拠点である〈僧城〉──旧市街を睥睨(へいげい)するようにそそり立つそれは、宗教施設というよりも軍事面を重視した要塞に近い。実際、ここには数千人の僧兵が常時つめているはずだ。
 レギウスは下着だけの姿だった。手枷は外されていたが、手首の皮膚が赤くすりむけて血がにじんでいた。レギウスの着ていた黒装束が汚い毛布のすぐ横に投げだされている。それを身につける。武器は全部取りあげられていた。〈神の骨〉も見当たらない。
 五柱の神々と巨神を呪う罰当たりな悪態をひとしきり吐き捨てる。深呼吸して、気分を落ち着かせた。目をつぶり、気配を探る。絆をたどって、リンの様子を確かめる。
 リンはあまり具合がよくない。濃度の高い竜鱗香を飲んだせいで意識が朦朧(もうろう)としているらしい。リンに錬時術を使わせないための措置だろうが、異端審問庁の僧官の悪意に満ちた顔を思い起こすと、それだけが目的じゃないように思われた。
 立ちあがると、僧兵に殴られた傷がズキリとうずいた。指で頭皮をまさぐる。こぶになっているが、思っていたよりも傷は小さい。護衛士であるレギウスは傷の回復が早い。痛みも軽減される。狭い独房のなかを二、三周するうちに、頭痛もガマンできる程度に収まってきた。
 なんとしてもリンを助けなければ。
 僧官や僧兵どもを殴り倒してでも、リンを救いだす。それが、レギウスの務めだった。
(リンがなんと言おうと、ここにいる連中をぶん殴ってやる。ケンカを売ってきたのは〈統合教会〉のほうだ!)
 肩を回して筋肉をほぐしていると、突然、焼けつくような痛みがリンとの絆を通して伝わってきた。
 めまいを覚えて、レギウスはたたらを踏む。浜辺に押し寄せる波のように、痛みが次々に襲ってきて、レギウスの呼吸を乱した。
 リンが僧官どもにいたぶられている。たぶん、拷問されている。リンは抵抗できない。痛みを遮断することさえままならないようだ。リンの感じている生々しい感覚がレギウスの五感を狂わせた。
「うわああああああああああっ!」
 レギウスは絶叫した。
 怒りが、それが自分のものだとは信じられないほどの圧倒的な怒りがレギウスの声帯を震わせ、全身の筋肉をこわばらせる。
 吼えながら、レギウスは扉に突進した。
 扉に体当たりする。扉がミシリときしむ。頑丈な一枚板の扉は体当たりぐらいでビクともしない。それでも体当たりを繰り返した。
 すさまじい欲求がレギウスの体内で荒れ狂っていた。憤怒、憎悪、絶望、焦燥──それらがないまぜになって、レギウスを突き動かした。
 廊下を駆けてくる複数の足音がした。扉ののぞき窓から警備兵が室内をのぞきこむ。レギウスの狂態を目(ま)の当たりにして、一瞬、警備兵がおじけづく。
「静かにしろ!」
 警備兵が怒鳴る。レギウスがにらみつけると、のぞき窓の向こうの男の両眼が大きく見開かれた。
「騒ぐんじゃない! おとなしくしろ! さもないと……」
「リンになにをした!」
 レギウスがわめく。怒りにぎらつく目で警備兵を見据え、
「殺してやる。てめえら全員、冥界の王の顔を拝ませてやる!」
 レギウスの全身の毛がそそけ立つ。
 リンから肉をえぐるような激しい痛みが伝わってきた。これは拷問なんかじゃない。ヤツらはリンを痛めつけて楽しんでいる。
 レギウスはさらに怒り狂う。言葉にならない。悪夢のなかの獣のような咆哮(ほうこう)が喉を押しつぶす。
 レギウスは〈神の骨〉を呼んだ。
 ここへ来い、と心のなかで強く念じる。ここへ来て、おれのために戦えと叫ぶ。
 警備兵が口汚くののしる。扉をガンガンとたたくレギウスを黙らせようと、催涙効果のある黒芥子(くろけし)の粉を持ってこいと背後に怒鳴る。いらただしげな人声とあわただしく廊下を行き来する足音が交錯した。
 警戒の甲高い声が扉の向こうから届いてきた。短い悲鳴。なにかがぶつかる音。
 その騒動のもとがだんだんと近づいてきた。扉ののぞき窓に顔を押しつけて独房のなかをうかがっていた警備兵が背後を振り返る。息を呑んだ。
「誰だ、おまえは?」