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銀の錬時術師と黒い狼_魔の島

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第一話 錬時術師と護衛士


 イヤな予感はしていたのだ。
 そして、イヤな予感というものは往々にして的中する。
 今回もそうだった。

 いかにも山賊が出没しそうな悪路だった。
 まるでうちひしがれた群衆のように、鬱蒼(うっそう)としげった森が道の両側からせりだしていた。馬車がやっと通れるだけの幅しかない、泥にぬかるんだ道。路面に刻まれた轍(わだち)のそこここに浅い水たまりができている。道は数百歩先で右に折れ、その先は重なり合った木々が邪魔をしてほとんど見通せない。
 さらに今日は天気もよくなかった。
 一見して戦馬とわかる、黒毛の大きな馬にまたがったレギウスは、ふと空を仰ぎ、太い眉をひそめる。
 鮮やかな緑に縁取られた樹冠の隙間からのぞく空の断片は、鉛色のどんよりとした分厚い雲に覆われていた。心なしか、樹木のあいだを吹き抜けてくる風が妙に冷たく、湿っぽい。遠くで雷がゴロゴロと鳴っていた。
(雨が降りそうだな……)
 レギウスはむっつりと唇を一文字に結ぶ。
 少年の面影を色濃く残した面立ちから実年齢より若く見られがちだが、レギウスは今年、数え年で二十二歳を迎えた。
 顔を仰向けると、革紐でぞんざいに束ねた黒い髪の房がうなじを隠す。闇を凝縮したかのような漆黒の双瞳。浅黒く陽に焼けた肌。左頬に傷痕が白い筋となって斜めに刻まれている。
 着ている服は黒一色だった。黒い上衣に黒い腰着、腰には黒い鞘に収めた刀を佩(は)いている。
 さながら真っ黒な影がひとの姿を借りて歩きだしたような印象を見る者に与える、不吉な風体(ふうてい)の青年だ。
 黒馬を並足で歩かせるレギウスの左隣でブツブツとつぶやく声がする。レギウスは小さなため息をつき、横目で左の様子をうかがう。
 レギウスの黒馬よりもひと回り小さい、毛並みの美しい白馬──その背中で銀髪の少女が馬の歩みに合わせてフラフラと左右に揺れていた。
 少女は、名前をリンという。
 彼女の姿を目にした誰もがハッと息を呑むような、たぐいまれな美貌の持ち主だ。
 腰まで届く、まっすぐな銀髪。月光をまぶしたような白皙(はくせき)の肌。すっきりと通った鼻筋に薄紅色の唇。そして、ひと目見たら忘れることのできない、左右で色の違う妖瞳──左眼は澄みきった夏の空と同じ色の碧眼(へきがん)、右眼は芽吹いたばかりの若葉と同じ色の翠眼(すいがん)。
 白と銀のゆったりとした巫女装束を身にまとっていても、豊かな胸とくびれた腰の曲線が服の上からでもよくわかる。
 レギウスの視線に気づいたのだろう、リンがつと右を向く。悲しげな顔。かたちのよい眉が下がり、口はへの字に曲がっている。
 なにが不服なのかは容易に想像がついた。つい三時間前、それが原因でレギウスと口論になったのだ。まだ根に持っているらしい。
「……お腹が空きました。お昼ご飯はまだですか?」
 と、か細い声で、リン。自分の腹をなでる。からっぽの胃袋の鳴る、なんとも情けない音が聞こえた。あたかもリンを激励するかのように、巨人のうなり声にも似た遠雷が空の向こうでとどろく。
「レギウスはケチですね。わたしを餓死させる気ですか?」
「わけのわからんモンばっかり食ってカネを使いきったおまえが悪い。ったく、なにが幻の珍味だ。ただのネズミじゃねえか」
「違います。ただのネズミなんかじゃありません。何十年にもわたる血のにじむような品種改良の結果、生みだされた食用のネズミです。れっきとした食べ物です。この地方では一部の裕福なひとしか口にできない高級食材なんですよ?」
「……よくそんなモンを食う気になれるな、おまえは」
「おいしかったですよ? 脂身が甘くて、舌の上でトロリと溶けて……」
「だあああああっ! もっともらしく解説するんじゃねえ!」
 またもや雷鳴が響く。今度はさっきよりも近い。
 リンがキョロキョロと左右を見回す。その目が一点に釘づけになる。至福の笑みが彼女の唇の端からこぼれた。
 レギウスはリンの視線の先を追う。予想はしていた。その予想が当たって、レギウスはもう一度、ため息をつく。
 リンが馬を止める。馬の背中から降りて、左側の森のなかへと駆けこむ。
 やむなくレギウスも馬を止める。不服そうに黒馬が鼻を鳴らす。レギウスは馬の首筋を優しくたたいてなだめた。
 リンは樹木の根元に生えている毒々しい色のキノコを嬉々として摘みとった。ブツブツと黒い斑点が浮きでた真っ赤な傘に、黄ばんだ太い柄。レギウスはキノコにそれほど詳しいわけではないが、目にしみるような色合いからして、とても食べられるキノコだとは思えない。それを両腕に抱えきれないほど摘みとっている。キノコの香りをかぎ、リンがうっとりとする。
 レギウス、無言。声をかける気にもなれない。
「見てください! とってもおいしそうです!」
「……食用ネズミとくらべたらうまそうだな」
「いっしょに食べましょう!」
「おれを殺す気か?」
「へ? 食べないんですか?」
 リンが不思議そうな顔をして首をかしげる。その拍子に、彼女の腕のなかのキノコがポロリと地面に落ちた。期待と困惑の入り混じったリンの眼差しを浴びて、レギウスは眉間を右手の親指の腹でもむ。
 リンは本気だった。本気でキノコを食べる気だ。
(まあ、おまえだったら毒キノコを食ったぐらいじゃなんともないだろうが……)
 あわててキノコを拾うリンを、レギウスは冷めた心持ちで見守る。キノコを拾おうとして身をかがめたら、腕のなかからポロポロとたくさんのキノコが転がり落ちた。「あん!」と小さな悲鳴をあげるその姿は、銀髪が珍しくない旧大陸出身の、愛くるしい美少女にしか見えない。
 だが、リンは見かけどおりの存在じゃない。そもそも、人間ですらないのだ。
 レギウスは左のてのひらを顔の前にかざす。そこに黒い線で描かれた五芒星(ごぼうせい)が刻まれている。
 契約のしるしだ。彼と、彼の護衛の対象である銀髪の少女との。
「レギウス、手伝ってください!」
 リンが涙目でうったえる。足元には真っ赤なキノコが散乱していた。レギウスは小さく肩をすくめると、黒馬の背中から地面に降り立った。
 散らばったキノコを拾い、リンの白馬の鞍袋につめこむ。彼女から手渡されたキノコの山を押しこむと、ぺちゃんこだった鞍袋がパンパンにふくらんだ。
 リンがふくらんだ鞍袋を見て、満足げな笑みを浮かべる。
「ありがとう、レギウス」
 リンがにっこりと微笑む。屈託のないその笑顔に触れるたび、レギウスは自然と口許が緩んでしまう。リンと出会う以前の自分──〈黒い狼〉のふたつ名で、味方からも恐れられた戦士だったときには考えられない反応だった。
「次の宿についたらお鍋に入れて食べましょうね。キノコ鍋、好きでしょ?」
「おまえひとりで食え。おれを巻きこむな」
「ホントにいらないんですか? 遠慮しなくてもいいんですよ?」
「前にもおまえが採ってきたキノコ、食べたことがあったよな。食った直後に全身がしびれて動けなくなったっけ」
「ああ、そういうこともありましたね。あのときは白目をむいて倒れるからびっくりしました。キノコを食べて倒れるなんて、意外と虚弱体質なんですね」
「…………」
 左右で色の違うリンの妖瞳と正面から向き合う。