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銀の錬時術師と黒い狼_魔の島

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「答えてください、レギウスさん。なにをためらってるんですか? きみみたいな人間がリンの護衛士ですって? 冗談じゃありません。きみはガキです。人殺しが得意なだけの、ただのガキです。ぼくは認めません。リンはぼくのものです。ぼくだけの女です。きみみたいな男に彼女を譲るつもりはありません」
「おまえは……死んだはずだ」
「だからなんです? ぼくが死んだら、リンはきみのものになるんですか?」
「おまえからリンを譲ってもらったわけじゃねえ!」
「笑わせてくれますね。リンを抱くこともできないガキのくせに、口だけは一人前なんですから。リンはぼくじゃないとダメなんですよ。きみじゃムリです」
「おれにだって……」
「おや、抱けるんですか、リンを? ぼくよりも彼女を歓ばせることができるとでも? フフフ……きみの股のあいだにあるものはなんですか? よく見てください」
「なに?」
 レギウスは自分の身体を見下ろす。
 いつの間にか、裸になっていた。傷痕がよぎる下腹部の腹筋の下──ツルンとしたなめらかな皮膚の被膜が股間を覆っていた。
 なかった。レギウスの男性を象徴する器官が。
 レギウスはうめき声を洩らす。指でまさぐるとツルツルとした肌の手触りだけが指先に伝わってくる。
「きみにリンの護衛士は務まらないんですよ。そんな身体でどうやってリンを守るんです?」
 ブトウがケラケラと笑う。
 レギウスが顔を上げると、ブトウも一糸まとわぬ姿になっていた。
 レギウスは目を見開いてブトウの股間を見つめた。そこには人間の男性の部位ではなく、まったく異質なもの──粘液にまみれた巨大な赤黒い牙が上向きにそそり立っていた。
「……な?」
「きみが本気でリンを守りたいと思ってるんなら、いまこの場で死んでみせてください。きみは死ぬことでしかリンの役に立たない人間なんです。だってそうでしょう? きみはいままでになにをしてきましたか? 何人の人間を殺してきたんです? さあ、白状なさい」
「……やめろ」
「リンはぼくのものだ!」
 リンが目の前にいた。ブトウの腕のなかに。彼女も全裸だった。
 長い銀髪がブトウのたくましい胴体に巻きつき、股間の牙にからまっている。無感動なリンの眼差しがレギウスをつらぬく。左右で色の違う瞳から光が失われていく。
 ブトウがリンの乳房を鷲づかみにする。苦痛にリンの顔がゆがむ。ブトウの股間の牙がリンのへそのあたりを刺しつらぬいた。鋭くとがった尖端がリンの背中から突きだして、鮮やかな紅い血をなめとった。
 リンがよがる。銀髪が乱れる。ブトウが笑う。
「クソッ、やめろ!」
「死になさい、レギウスさん。きみにそれだけの覚悟があるのか、ぼくに見せるんです!」
 ブトウが〈神の骨〉をレギウスに放ってよこす。レギウスは両手を差しだしてそれを受け取った。腕が勝手に動いて、鞘を払う。焼けつくような刃の白さが眼底にしみた。
 ブトウは期待をこめた表情でレギウスを見つめている。リンがブトウの首に牙を立てる。あふれだした血を、舌を動かして吸いとった。
 人間のものとは思えないどす黒い血が、ブトウの首から胸へとしたたり落ちていく。ブトウの黒い血と、リンの背中から突きだした牙を濡らす紅い血とが入り混じって、真っ青な火花を散らす。黄ばんだ煙が噴出して、レギウスの気管と肺を焼いた。
 レギウスはむせる。心臓が胸のなかで暴れている。全身の血が汚染されて濁り、血管の壁を内側から腐らせた。
 痛み。終わらない痛み。でも、終わらせることができる。その方法をレギウスは知っている。
 レギウスは刀を逆手に持ち、切っ先を自分の心臓に向ける。
 力はいらない。ほんの少し腕の筋肉を縮めるだけで彼の心臓は切り裂かれるはずだ。
「レギウス!」
 叫び声がした。
 レギウスが守りたいと思っている銀髪の少女の声──目の前で苦痛に身体をよじる少女ではなく、ここではないどこからか呼びかける、凛とした少女の声だった。
「目を覚まして!」
 自分がバラバラになってしまいそうな、激しい痛みを感じた。
 太い針をねじこまれるような、背骨が溶けてしまうほどの、色のない純粋な痛み。
 それが、レギウスの意識のなかで暴発した。

 目を開けると、リンの顔が真上にあった。
 いや、真上どころじゃない。彼女の唇が自分のそれと重なっているのをぼんやりと知覚する。まるで火のかたまりを呑みこんだかのように、口のなかが熱でただれていた。
 こじ開けられた歯の隙間からなにか温かいものが差しいれられ、自分の舌とからみ合っている。それがリンの舌だとわかって反射的に顎を閉じてしまい、あやうく彼女の舌をかみそうになる。
 リンが唇を離す。レギウスの目の奥をのぞきこみ、ホッと安堵の息をつく。
 リンの背後に死人のような顔色をしたオウズが突っ立っていた。
「……リン」
 レギウスは肘をついて上半身を傾ける。右手に重たいものをにぎっている。そちらに顔を向けると、抜き身になったままの〈神の骨〉が目に入った。
 すぐそばに〈死者の書〉といっしょになって黒い鞘が落ちている。どうやら無意識のうちに刀を抜いていたらしい。どこもケガをしていなくて幸運だった。
 リンはレギウスの頭を胸元に抱き寄せる。ふくよかな彼女の胸に顔をうずめて、何回か深呼吸を繰り返す。舌に残った熱い感覚がゆっくりと蒸散していく。
 リンを間近に感じる。左手の刻印がジンジンとうずいている。リンに触れているから、というだけではなく、レギウスと彼女を結ぶ護衛士の絆が力強く脈動していた。
 温かくて、気持ちがいい。あたかも昇ったばかりの陽射しをいっぱいに浴びている気分だった。
「気がつきましたか、レギウス?」
「おれは……どうなったんだ?」
「罠が仕掛けられてたんです。たぶん、本を盗んだ錬時術師が残していったんでしょう」
「……罠?」
「本を開くと時間の流れが加速して、そのまま死にいたる罠です。あなたはわたしの護衛士ですから、錬時術の影響を受けにくいのが幸いしました」
「おれは……夢を見ていたのか」
「夢?」
「いや、なんでもねえ」
 レギウスは震える息をつく。リンから〈神の骨〉の鞘を受け取り、手早く刃を収める。彼女の助けを借りて上半身をまっすぐに起こし、あぐらをかいた。頭の奥に鈍い痛みが残っている。首を振り、意識をはっきりさせた。
 自分の右手を見下ろす。〈神の骨〉の感触がまだ指先に残っていた。
 あの男が──白昼夢のなかに立ち現れた男がブトウなのかどうかはわからない。ブトウが死んだのは七年前だ。一年前にリンと出会ったレギウスはブトウと直接会ったことがないし、リンが死んだ護衛士のことを多く語ろうとしないので、彼がどんな容姿をしていたのか、それすらも詳しくは知らない。
 それでも、レギウスは強く確信する。
 ヤツはブトウだった、と。
 ブトウと接点のなかったレギウスは、彼の姿を想像するしかない。あれが単なる想像ではなく、生前のブトウの姿であったとすれば、それをもたらしたのは、おそらく──
 レギウスは〈神の骨〉の柄をギュッと強くにぎる。〈神の骨〉には使い手の魂が宿る、という。であればブトウの魂もまた、この妖刀のなかに宿っているのだろう。