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銀の錬時術師と黒い狼_魔の島

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第七話 死者の書


 トンネルの長さはレギウスが想像していたよりも長かった。
 五百歩ほど歩いたところで、先導役のオウズが足を止めた。
 オウズが蛍光樹の光を高く差しかける。その光が、彼の立つ数歩先の空間で闇に呑まれていた。最初はそこに黒い壁があるのかと思ったが、そうではなかった。光がすっぱりと断ち切られているのだ。まるで闇そのものが凝り固まったかのように、手で触れられそうなほど濃密な暗黒がわだかまっている。
「……なんだ、ここは?」
 レギウスが思わず洩らした言葉に答えたのはリンだった。
「ここから先へ立ち入ることができないよう、錬時術の結界が張ってあるんです。結界のなかは時間の流れが止まっていますから、うかつになかへ踏みこむと抜けだせなくなります。それだけではありません。侵入者を見張る監視霊がここには置かれています」
 レギウスが目でオウズに説明を促すと、優男(やさおとこ)の司書は嘲笑と苦笑の入り混じった中途半端な笑みを返した。
「夜のうちにここへ押し入った賊は高度な技術を持った錬時術師でしてね。対抗術式で監視霊を無力化したんですよ。そんなことが可能だとは思ってもいませんでした。きっと計画的な犯行だったんでしょうね。なんとも間抜けな話ですが、侵入されたことに気づいたのは、翌日の朝になってからでした」
 それから、リンを横目で見やって、
「あなたでしたら、いとも簡単に結界を破ることができるんでしょうけれど……ぼくに最後まで案内させてくれませんか?」
 オウズが差し伸べた左手をリンの右手がにぎる。リンの左手をレギウスの右手がにぎり、三人はひとつながりになった。
「あんたも錬時術を使えるのか?」
「まさか。ここの結界と監視霊が、ぼくを管理者として認識してるだけです。こうしていれば結界を通過することができます。手を放さないでくださいよ」
 オウズとリンが手をつないでいるのが気に食わなかったが、ヤツと手をつなぐのはもっと気に食わなかった。しかたがない。ここは辛抱である。
 オウズが闇の壁のなかへと踏みこんでいく。彼の身体が暗闇に呑まれ、次にリンの姿が消え──最後はレギウスだった。結界を通過するときはなにも感じなかった。「もう手を放してもいいですよ」という司書の声がすぐ近くでした。
 レギウスは目をしばたたく。そこは異質な空間だった。岩盤を削っただけの壁と獣骨でできた書棚があるのは、これまでに通ってきたトンネルの内部と変わらない。結界の外と違うのは、ここが柔和な白い光で満たされた明るい部屋だ、ということだ。光源がどこにあるのかは判然としない。空気そのものが光を放っている──そんな感じがする。
「〈死者の書〉が光を生みだしてるんですよ」
 レギウスの疑問を読み取ったかのようにオウズが言う。書棚に並んだ黒っぽい本を目で示して、
「あれが〈死者の書〉です」
 見ると、厚さが指の太さと同じぐらいの本が、隙間なくびっしりと書棚につまっている。背表紙に題名はなく、書棚にも注意書きのようなものはなかった。もっと仰々しいものを予想していたレギウスはポカンと口を開く。
「……これが〈死者の書〉だって? なんか、思ってたよりも普通だな」
「見たところ、奪われた本はなさそうですね」
 と、リン。本の列をしげしげと観察して、
「本が抜き取られたあとの隙間がありません。わざわざ隙間をつめてから立ち去ったのでしょうか?」
「盗まれたあとで、ここに帰ってきたんですよ」
「え?」「へ?」
 リンとレギウスが同時に声をあげる。
「帰ってきたって……本がここまで歩いてきたのかよ?」
「違います。奪われた直後は確かに二冊分の隙間ができていました。それが……三日後、ぼくが確かめてみたら元に戻ってたんです。本が帰ってきた、としか思えません。どうやって、なんて訊かないでくださいよ。ぼくだってわかんないんですから」
 レギウスはリンと目を見交わす。一見すると普通の本のようだが……どうやらとんでもないシロモノのようだ。
「せっかく〈死者の書〉を手に入れたのに、犯人がやったことは全部ムダだったってことか?」
「そうともかぎりません。もし、内容を正しく読み取る錬時術を犯人が知っていて、本を読んだのだとしたら……書かれてたことを憶えてるはずです。知りたかった箇所を書き写した可能性もあります」
 と、考えこみながら、リン。
 いずれにしても、犯人の目的はわからない。そして、その犯人というのもターロンである可能性が高いが、いまは状況証拠だけで決定的な証拠はなかった。
 〈死者の書〉に書かれていることが、犯人の目的を達成する上で重要なカギとなっているのはまちがいのないところだが……いかんせん、この本を正確に読み取る手段がないのだ。
「どの本が抜き取られてたのか、憶えていますか?」
「ええ。これと……これの二冊です」
 オウズが指し示した本をリンは注意深くながめる。
 そのとき──
 レギウスは声を聞いたような気がした。
 声は、目の前に並ぶ黒い本から直接、レギウスの心のなかへ流れこんでくる。
 不思議な声。男とも女ともつかない声がレギウスの名前をしきりに呼んでいる。
 レギウスは書棚に近づき、奪われた本のうちの一冊を手にとった。ページを開く。オウズが血相を変えた。
「ちょっと、きみ! 勝手に本に触らないで……」
「レギウス!」
 リンの切迫した声がレギウスの耳に深く突き刺さった。
「やめて!」
 ページのなかから無定形のなにかがレギウスに向かって押し寄せてきた。
 それが、レギウスをいずことも知れない不可知の場所へと連れ去った。

 レギウスの目の前に男が立っていた。
 がっちりとした体格の、背の高い青年だ。
 中原七王国の人間に多い、トウモロコシの髭にそっくりの黄褐色の髪。明けやらぬ空の暁闇(ぎょうあん)を封じこめたような青黒い瞳。どこか女性的な線の細さが目立つ、丸みを帯びた端正な面立ち。皺だらけの甲冑樹(かっちゅうじゅ)の板を重ねた無骨な鎧で身を固め、腰にはひと振りの刀を下げている。
 その刀は、レギウスがいつも身に帯びている妖刀──〈神の骨〉だった。
 男がなめらかな挙措(きょそ)で刀を抜く。磨かれた陶磁器みたいに真っ白な刀身が、この空間を照らす光ともつかない光を吸収して鈍く輝いた。
 男は切っ先をレギウスに突きつけ、口許をゆがめて微笑む。
「きみはリンのために死ねますか?」
 柔らかな、少年のように甲高い声で青年が問う。
「ぼくのように死ねますか? 答えてください、レギウスさん」
「あんたは……」
「ぼくですか? ぼくのことは知ってるはずですよ。リンから聞いてませんか?」
「ブトウ……なのか?」
 リンの護衛士だった男──ブトウは声をあげて愉快そうに笑った。
 〈神の骨〉を漆黒の鞘に収め、刀をレギウスに差しだす。
 レギウスは身動きできなかった。視点の移動さえままならない。ブトウの手のなかの妖刀を凝視する。