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銀の錬時術師と黒い狼_魔の島

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 なにか罠があるかもしれないと用心はしてみたものの、広々とした浴場にレギウス以外の人影はなく、官能的なポーズをとった裸身の乙女像の足元から吐きだされる湯の音だけが低い天井に反響している。
 湯船に首までつかり、大きく息をつく。そのまま寝てしまいそうになり、身体が温まったところで風呂から出た。
 脱衣場の外で、あの黒髪の青年がレギウスを待っていた。柔和な笑みを口許にたたえ、レギウスを部屋へと案内する。
「リンはどうしてる?」
「ご主人さまとお食事の最中です。レギウスさまもいかがですか?」
「いや、おれはここへ来る直前に食べてきたから腹は空いてない」
 それをいうなら、リンだってフェンの〈三日月の湖亭〉でたらふく食べたはずなのだが、食べたいと思ったときはいくらでも食べられるらしい。リンの胃袋は奈落の底に通じている。なんでも吸いこんでしまう虚無の孔だ。恐ろしい。
「一応、聞いておくが、おれとリンの部屋は別々なんだろうな?」
「お客さまはめったにいらっしゃらないですが、ここにはたくさんの部屋を用意してありますよ」
 と、青年は陽気な口調で答える。肩越しに振り返り、スッと目を細めた。
「それで、ご主人さまとはお楽しみになられましたか?」
「おまえたちがそのお楽しみとやらを邪魔したようだがな」
「それは無粋なことをいたしました。ひらにお赦しください」
「で、おまえたちは楽しんでるのか?」
「ええ、それはもう毎日。ご主人さまのご気分がよろしいときは一晩中、お付き合いをしております」
「……けっこうなことだな。おれには務まりそうもねえ」
「レギウスさまはまだお若いですから、大丈夫ですよ。なんでしたら、ぼくたちで試してみますか?」
「いいから黙って前を向いて歩け」
 案内された部屋は豪奢な内装の客室だった。やたらと大きい寝台が部屋の真ん中に居座り、テーブルやら椅子やらが途方に暮れた老人みたいに散らばっている。
 テーブルの上には甘い芳香を放つ数種類の果物が籠に盛られていた。透明な玻璃樹(はりじゅ)の容器に入った旧大陸産の蜂蜜酒や乳酪酒(にゅうらくしゅ)、さきほども賞味した黒葉茶が、果物の入った籠の周りに無造作に置かれていた。
 喉が渇いたので、椅子を引き寄せてテーブルにつき、真っ赤に熟した血桃(ちもも)を頬張りつつ、蜂蜜酒を呑む。そうして一時間ほど酒を呑みながら雑念にふけっていると、いきなり背後の扉が押し開けられた。
 振り向くと、扉口にリンが立っていた。心なしか顔が赤い。目つきもトロンとしていた。
「……リン?」
「レギウス、いままでわたしを放ってどこにいたんですか?」
 リンが唇をきつくかんで涙ぐむ。室内に足を踏み入れる。よろけた。倒れそうになる。レギウスはあわてて駆け寄り、リンの肩を支えた。
 リンから甘ったるい香りが立ちのぼってきた。レギウスは鼻をクンクンさせる。このにおい──前にかいだ記憶があった。
(竜鱗香(りゅうりんこう)だ……食べ物に仕込まれたな!)
 リンは酔っていた。酒の酒精には酔わない吸血鬼も、竜鱗草という薬草から抽出される竜鱗香を摂取するとたちまち酔っ払う。竜鱗香は人間が服用する場合は手足の血行をよくする薬物だが、吸血鬼には毒物だ。少量ならば酔うだけだが、大量に摂取すると意識が混濁する。
 リンが焦点の定まらない眼でレギウスを見上げる。目尻にたまった涙が頬を転がり落ちていく。レギウスにしがみつき、リンは切なげな吐息をつく。
「レギウスはわたしのことなんかどうでもいいんですね?」
「おまえ、酔っ払ってるな?」
「酔ってなんかいません! ごまかさないでください!」
「いいや、酔ってるって!」
「ウプッ……気持ち悪いです」
「うわっ! よせ、こんなところで! こっちへこい!」
 リンの肩の下に腕を入れて彼女を立たせ、部屋の真ん中のテーブルへと引きずっていく。椅子に座らせようとしたらリンが反撃に出た。見かけはか弱い美少女だが、リンの膂力(りょりょく)は人間の平均的な男性のそれを上回る。レギウスでさえも腕力では圧倒される。
 リンに押され、レギウスは足をもつれさせる。そのまま寝台にふたりで倒れこんだ。
 レギウスは息をつまらせる。馬乗りになったリンが左右で色の違う妖瞳を見開き、肩で息をする。リンの呼気がレギウスの顔にかかった。竜鱗香の甘いにおいがレギウスの嗅覚を麻痺させる。
「おい……」
「わたしと結ばれてください」
「…………は?」
「わたしのことを大切に想ってるのなら、いますぐわたしと結ばれてください」
「ちょっと待て。おまえ、自分がなにを口走ってるのか、わかってねえだろ?」
「そんなことはありません。男女の交わりは自然の営為です。始原の太母(たいぼ)のよみしたまう功徳(くどく)です。わたしは正義の味方です。正義は必ず勝ちます!」
「やっぱり酔ってるぞ、おまえ!」
 リンが問答無用でレギウスの服を脱がせにかかる。薄い寝衣をはおっていただけのレギウスはいとも簡単に裸にむかれた。抵抗はムダだった。普段の抑制がきかなくなっているのか、レギウスがどんなに力をこめてもリンの指を緩めることはできなかった。
 下着まで脱がされて素っ裸になる。その時点でレギウスは抵抗をあきらめた。
 リンが荒い息をつく。全裸になったレギウスに手と脚をからませ、彼の首筋に顔をうずめる。リンの小さな牙が鎖骨のくぼみをなぞるのを感じた。
「レギウスは温かいです」
 リンがものすごい力でレギウスに抱きつく。ミシリと不吉な音をたてて肋骨がきしんだ。息ができない。
「……グェェェェェッ……し、死ぬ……」
「わたし、レギウスのことが……」
「…………」
 そして、リンはとうとつに静かになった。
 ギリギリと上半身をしめあげていたリンの両腕からも力が抜けていく。
「え? リン?」
 リンの横顔を確かめる。目をつぶっている。規則的な寝息が聞こえてきた。
「……マジか」
 リンは眠っている。子供みたいな、安らかな寝顔で。楽しい夢でも見ているのかもしれない。どんな夢なのかは想像もつかないが。
 レギウス、脱力。
 リンを起こさないように自分の身体にからみついた手足をそっとほどいて、彼女の攻撃範囲から逃れる。床に散らばった下着と寝衣を急いで着た。
 リンはまだ寝ている。目を覚ます気配はない。隣のリンの部屋で寝ようか、とも思ったが、酔っ払った彼女をひとりで放置したらどんなことが起こるのか予想もつかなかったので、やむなく寝台の端にもぐりこんだ。
 幸いに寝台はふたりが並んで寝てもまだ横に余裕がある。リンといっしょに寝ても、レギウスが床で寝る必要はなかった。
(しかたがない、今夜はこのまま寝るか。にしても、ジスラめ……よりによって竜鱗香をリンに飲ませるなんて)
 ジスラに文句のひとつでも言ってやらないと腹の虫が収まらない。まあ、抗議したところで老獪(ろうかい)な竜のことだから、オーホッホッホと笑って受け流すのだろうが。その場面を想像すると猛烈に腹が立ってきた。