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銀の錬時術師と黒い狼_魔の島

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第五話 竜の城


 ジスラにお風呂を勧められて、リンは謁見の間から出ていった。ジスラが「従者にお背中を流させましょうか?」と申し出たが、リンはポッと顔を赤らめて丁重に断った。
 だだっ広い部屋にレギウスとジスラだけが取り残される。なんとも居心地が悪い。ジスラの縦長の瞳に射すくめられると、自分が肉食獣に追いつめられた獲物のような気分になってくる。唯一の救いは、竜が人間を食べたりしないことだ。彼らの高尚な味覚に人間の肉の味はそぐわないらしい。
「あなた、まだ護衛士の義務を完全に果たしていないようですわね?」
 と、ジスラ。さきほど、茶碗を下げに来た金髪の青年が、籠に盛った黒リンゴを持ってきていた。ジスラが黒リンゴに手を伸ばし、汁気の多い真っ黒な果肉に牙を立てる。リンゴの甘い香りが広がる。石のように硬い果肉をかみくだく小気味のいい音が続く。
 あぐらをかいて座っているレギウスは、自分の足の爪先をつかんでゆっくりと身体を前後に揺らした。
「月の女王にも同じことを言われたよ。それがそんなに重要なことか?」
「ええ、重要ですとも。いまよりも強くなれるのになにをためらってるのかしら?」
「おれは……」
「聞いておりますわ、あなたのこと。〈光の軍団〉の元士官だったそうですね。だから禁欲的な態度をつらぬいているのかしら?」
「〈光の軍団〉が禁欲的だなんて、誰がそんなデタラメを吹きこんだ?」
「違いますの? では、わたくしが相手なら、あなたももう少し積極的になれるのかしら?」
 ジスラはこれみよがしに上衣の肩をはだけ、透き通った白い肌をさらす。豊満な身体の線の一部があわらになる。
「あんたにはお付きの男どもがいるだろ」
 オーホッホッホとジスラが高らかに笑う。背をのけぞらせて笑うと、たわわなふたつの胸のふくらみが弾んだ。
「わたくしの従者がどうやってわたくしを歓ばせてるのか、それを知ったらあなたも態度を変えるかもしれませんわね。わたくしがじきじきに手ほどきをしてもよくってよ?」
「いらん。よけいなことをするな」
「まあ、つまらない男ですわね。ローラン殿下はあなたのどこが気に入って護衛士にしたのかしら?」
「リンがおれを気に入ったんじゃない。おれのことを気に入ったのはこいつだ」
 レギウスは横に置いた〈神の骨〉を手の甲でつつく。〈神の骨〉がわずらわしげにブルブルと震えた。
「そうでしたの。でも、殿下もあなたのことをとても気にかけてると思いますわ。でなければ、あなたを供血者に選んだりはしませんからね」
「単におれの血がうまいだけさ」
 ジスラは黒リンゴを丸ごと口のなかに放りこむ。咀嚼(そしゃく)しながら、鋭い目つきでレギウスを見つめた。
「こわがっていますの、あなた? ローラン殿下につくすことで、なにか大切なモノを失くしてしまうかもしれないと考えてるのではなくって?」
 レギウスは即答できなかった。見透かされている、と思った。三百年を生きてきた竜に下手なごまかしは通用しない。
 そう、自分でも意識はしているのだ。
 リンにすべてを捧げるような関係になったとして、いつか自分が死んだときに彼女はどうなるのだろう──そう考えると、最後の一歩をなかなか踏みだせない。恋人だったブトウを自分の手で殺さざるをえなかったリンの絶望的な苦衷(くちゅう)をおもんばかって、彼女に同じことを繰り返させたくないと、一歩退いて身構えてしまう自分がいる。
 いつでも引き返すことができる──それがレギウスに卑小な安心をもたらしてくれる。
 いまなら自分が死んでも、リンはちょっぴり悲しい思いをするだけで済むだろう。故郷を永遠に追放され、決して消えることのない罪の烙印をその身に刻んで放浪する孤独な少女を、これ以上傷つけたくはない。
 レギウスは、リンに絶望してもらいたくないのだ。
 そんな強い気持ちを抱く自分が意外だった。〈光の軍団〉で僧籍を得てから何度も異教徒である六神教徒と戦い、女子供も容赦なく虐殺してきた自分が、たったひとりの少女──それも吸血鬼の少女を守ってあげたいと心底から願うなんて、そんな人間らしい感情が自分のなかにまだ残っていたこと自体、驚きだった。
 だから覚悟を決められない。リンの想いに応えることはできない。彼女の想いに応えることは、結果的に彼女を傷つけてしまうかもしれないから。
 優柔不断──そう非難されても、反論することはできなかった。臆病者となじられてもしかたがない。そうした弱さは、レギウスが完璧にほど遠い人間だという証左でもあった。
 けれどもレギウスはリンに感謝している。ひとを殺すことで生きてきた自分に守りたいものを与えてくれた、彼女の笑顔に、彼女の優しさに、彼女の美しさに。
(おれが覚悟を決められるぐらい強くなれば……そのときは、リン、おまえを……)
 ジスラはなおも探るような眼差しでレギウスの全身をまさぐっている。にじり寄ってレギウスの右手を取ると、はだけた自分の胸に強く押しつけた。弾力性に富む感触がレギウスの指を包みこむ。心地よい肌の温もり。なめらかで、スベスベしている。
「……おい」
「あなたがローラン殿下の護衛士でなければ、迷わずわたくしの従者にしますのに……。あなたはどんな味がするのかしら? ぜひとも味見してみたいですわ」
「おれに触るな……」
「あら、こちらのほうは別の反応を示していますわよ?」
 ジスラはレギウスの股間に手を伸ばし、彼の象徴が発奮しているさまを確かめる。
 レギウスは息をあえがせた。月の女王にくらべるとインパクトは薄いが、それでも相手は人間よりも神に近い、竜の女性だ。
 頭がクラクラするような魔性の体臭がにおいたつ。乳房の先端の突起が右手のてのひらをこすった。
 ジスラが唇を寄せる。抵抗する間もなく、唇をふさがれた。無意識のうちに彼女の唇を吸う。
 血の味が濃いリンの唇とは違い、竜の女性のそれは黒リンゴの甘い味がした。
 ジスラの手が動いて、器用にレギウスの服を脱がしていく。
 レギウスが上半身裸になったところで──
 扉に控え目なノックがあった。
 事務的な男の声がする。
「ご主人さま、レギウスさまの湯浴みの準備が整いました」
 ジスラが唇を離す。銀色の唾液の糸がふたりの唇のあいだに細い橋を架ける。
 ジスラがおっとりと微笑んだ。
「時間切れですわね。残念ですわ。わたくしがあなたの背中を流してあげてもよくってよ?」
「……遠慮しておく。あんたの従者に洗ってもらうのもナシだ」
「つれないですのね。もしも、お相手がローラン殿下でしたら?」
 宿屋の風呂場でリンと鉢合わせしたときの情景がまぶたの裏に浮かんだ。それが表情に出たらしい。ジスラがまたもやオーホッホッホと高笑いする。ムカつく笑い方だった。
「あなたのいのちに賭けても殿下をお守りするのです。いいですね?」
 ジスラが真顔で告げる。真剣な顔つきのまま、レギウスの胸板と腹筋を指先でなぞり、肌のあちこちに盛りあがった白い傷痕をたどっていく。
 レギウスは奥歯を喰いしばる。
「あんたに言われなくてもそうするつもりだ」

 巨大な白装樹(はくそうじゅ)の根を積みあげて造営した浴場は、鼻をつく硫黄のにおいと黄ばんだ湯気が立ちこめていた。