小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

銀の錬時術師と黒い狼_魔の島

INDEX|15ページ/74ページ|

次のページ前のページ
 

「お腹いっぱい食べれるところへ行きましょう。〈三日月の湖亭〉がいいです」
 と、ニコニコしながら、リン。
 レギウスは片方の眉を持ちあげる。
「あのでっかいおばさんのいるところか?」
「料理、おいしいですよ?」
「まあ、それには同意するが……目当てはそれだけじゃねえだろ?」
「ジスラに会おうと思います」
 その名前を聞いてレギウスはひるむ。
 リンはおかしそうにクスリと笑って、
「今回のことでなにか知ってるかもしれません。彼女に訊いてみようと思います」
「それにも反対しないけど……どうもあの女性(ひと)は苦手だな」
「月の女王が〈太陽の都〉を目指しなさい、と言った意味──たぶんジスラに会いなさい、ということだと思うんです」
「そうかもしれんが……」
「大丈夫です。わたしがいますから、ジスラがなんと言おうとレギウスを差しだすようなことはしません」
「おまえ、以前に、三日三晩食べ放題という条件でおれを彼女に売り渡そうとしたことがあったよな?」
「そんなことはありません。レギウスの誤解です」
「ほう? おまえは真剣に悩んでたようだったが?」
「三日三晩なんて、ちょっと短いと思いませんか? 一週間ぐらいだったら真剣に考えてもいい……」
「おれが不幸だということはよくわかったから、口を閉じてろ」
 新市街の南東、愛らしい妖精の銅像が水を流す噴水の広場に面した〈三日月の湖亭〉は、宿屋も兼業する居酒屋だった。昼間は食堂として店を開き、宿泊客や旅行者に香辛料の風味が絶妙な料理を提供している。
 馬を馬丁の少年に預け、リンとレギウスは食堂に足を向けた。昼食の時間帯を過ぎていたが、店内はそれなりに混んでいた。真っ昼間だというのに苔酒をあおって浮かれ騒ぐ男たち。旅芸人とおぼしき男女の一団がテーブルを囲み、大皿に盛られた料理を仲良くつついていた。
 カウンターの向こうに大柄な中年の女性が立っていた。レギウスよりも背丈が高く、横幅は倍ほどもある。女性がリンとレギウスに気づき、分厚い唇をキュッと曲げて笑みをかたちづくる。
 〈三日月の湖亭〉の女将(おかみ)のフェンだ。
 レギウスは以前に一度、この店に来たことがあるが、そのときよりもさらにフェンの横幅が増えているような気がした。
「おやまあ、誰かと思ったらリンじゃないか!」
「こんにちは、フェンさん」
「それにあんたも! えーと、お兄さん、名前はなんだっけ?」
「……レギウスだ」
「そうそう、いま思いだしたよ!」
 フェンはガハハと大口を開けて笑う。レギウスは論評する気にもなれない。
「わたし、とってもお腹が空いてるんです。ケチなレギウスが食べさせてくれないんです」
「まあ、かわいそうに。ひどい男だねえ。大丈夫、あたしがいっぱい食べさせてあげるから、どんどん食べるんだよ!」
「はい、ありがとうございます!」
「おい。なんでおれが悪者になってる?」
「リン、男って生き物は甘やかしちゃダメなんだ。身体は大きくなっても、肝心の中身は子供のままだからね。死ぬ気でビシビシとしつけなくちゃ。おかげであたしのダンナは、あたしに絶対逆らったりしないよ」
「あんた、ダンナがいたのか!」
「失礼だね、お兄さん。あたしはこう見えても三児の母親なんだよ。あたしゃね、若いころはこの辺じゃ有名な美人だったんだからね。わざわざお城から王様がお忍びであたしの顔を見に来たぐらいなんだから」
「……時間って残酷だな」
「あん? なんか言ったかい、お兄さん?」
「うんにゃ、なにも」
「あの……ジスラはいますか?」
 リンは小さな声で尋ねる。フェンは左右を見回し、カウンターに身を乗りだしてリンの耳元にささやいた。
「ああ、いるよ。食事のあとで会ってきな」
 リンの肩をたたいて、フェンは破顔一笑する。
 フェンはリンが吸血鬼の錬時術師だということを知っている。それでも、わけへだてなく彼女と普通に接してくれる、新大陸では奇特な女性だ。まあ、ジスラの〈城〉の入口に店をかまえるぐらいだから、相手が吸血鬼だとしてもさして気にならないのだろう。
「さあ、人間、食べてるときと寝てるときがいちばん幸せな時間なんだよ! なんでも注文しておくれ!」
 リンは人間じゃねえよ、とレギウスは心のなかでツッこむ。

 それから二時間。
 リンは一心不乱に食べ続けた。
 そばで見ていたレギウスが気持ち悪くなるほどに。
 この店はメニューが豊富だ。香辛料をふんだんに使ったこの国の代表的な料理を心ゆくまで堪能することができる。リンはメニューを上から順番に注文していく。注文した料理がテーブルに届けられると、脇目もふらずに手と口を動かし、皿に盛られた香辛料たっぷりの食べ物を胃袋に収めていく。
 食べる、食べる、食べる。とにかく、食べる。
 満面の笑みで。うれしそうに、楽しそうに、幸せそうに。
「いいね、いいね! あんた、ホントによく食べるね!」
 フェンが笑う。リンの豪快な食べっぷりが気に入っているらしい。メニューをひととおり制覇すると、今度はメニューにない料理まで持ってくる。リンの顔が真夏の太陽のように明るく輝く。店にいた給仕の女の子が、リンの底なしの食欲を目(ま)の当たりにして目を丸くしていた。
 レギウスはリンがなにを食べているのか、確かめる気力をとっくに失っていた。
 午後の遅い時間帯になると店のなかはだんだんとひとが減っていった。そのなかで、チビチビと苔酒をすすり、リンとレギウスのいるテーブルをチラチラとうかがう、町の職人風の男がいた。
 リンもレギウスも、男の視線にはまったく気づかなかった。

 全部のメニューと裏メニューを食べつくして、ようやくリンが満足する。
 材料がなくなったから、これ以上はつくれないよ、とフェンがさわやかな笑顔で告げる。
 代金は通商金貨で三枚分。レギウスは無言で支払いに応じる。朝昼晩毎日このペースでリンが食べ続けたら、通商金貨三百枚といえどもわずか一ヶ月あまりで底をつく計算になる。
 ちょっとは自重しろ、というレギウスの抗議にリンはしれっとした顔で応えた。
「わたしは食べるのが生きがいなんですよ? それをやめろというのはわたしに生きるなというのと同じことです」
 そういえば旧大陸にこんなことわざがあるのをレギウスは思いだす。
 いわく「吸血鬼を見たら飯を隠して自分の喉を差しだせ」と。
 けだし至言であった。
 思わぬ臨時収入を得てほくほく顔のフェンにひと言声をかけ、リンとレギウスは店の奥へと向かう。いまは使われていない厨房へとつながる扉を押し開け、真っ暗な廊下へと足を踏みだす。
 鼻の粘膜を刺激する饐(す)えたにおい。クモの巣が張った天井の梁の上をネズミがコソコソと走りまわっている。つぶれた鍋や割れた食器が、さながら戦場に斃(たお)れた兵士の亡骸(なきがら)のように、床一面に放置されていた。
 ねっとりとした粘度の高い闇が廊下の奥にわだかまっている。そこへ分け入っていく。
 指でつかめそうなほど濃密な闇が周囲から押し寄せてきた。生活の雑音がとうとつに消え失せ、湿気の多い腐りかけた空気が、乾燥した冷たい空気へと置き換わる。
 しばらく歩くと、前方にぼんやりとした青白い光が見えてきた。