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銀の錬時術師と黒い狼_魔の島

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 気まずい雰囲気。沸騰寸前の血液が全身を駆けめぐっている。湯気を吸いこむと頭がクラクラした。
「ごめんなさい。レギウスがお風呂に入ってるとは思わなかったんで……」
「う、いや、その……おれも悪かった」
「以前にもレギウスにわたしの裸を見られましたよね。レギウスはスケベです。変態です」
「……すみません」
「月の女王の差し金ですね? 彼女、わたしのところにも姿を見せましたから」
「たぶん」
「わかっています。レギウスと……絆を深めれば、それだけ護衛士の力が強くなることも。ブトウのときがそうでしたから」
(ブトウか……)
 リンが口にしたレギウスの前任者──彼の前にリンの護衛士を務めていた男の名前は、疼痛(とうつう)にも似た感覚をレギウスにもたらした。
 ブトウは理想的な護衛士だった。
 リンをひたすら愛し、身も心もすべて彼女に捧げた。
 主人である錬時術師を愛すれば愛するほど、ふたりをつなぐ絆は強化され、護衛士の身体能力は飛躍的に高まる。おそらく、ブトウはいまのレギウスよりも格段に強かったはずだ。
 けれども、ブトウは最後、狂気にとりつかれて死んだ。
 リンが殺したのだ。自分の手で、自分を愛してくれた、最愛の護衛士を。
 レギウスは思う。リンがレギウスに絆のより一層の深化を強要しないのは、ブトウを死なせた経験があるからではないのか、と。
 そのうちレギウスが発狂して、ブトウの二の舞になるのでは、と恐れているのかもしれない。
 最愛の男を殺さなければならなくなるから、レギウスから愛されることをこわがっている──そんなふうにも考えられた。
 月の女王はリンの心情を理解していない。いや、理解するつもりもないのだろう。リンもレギウスも、彼女にとっては使い勝手のいいゲームの手駒にすぎないのだから。手駒に感情移入は必要ない。それが代替の可能な捨て駒であれば、なおさらだ。
「レギウスは……どうしたいんですか?」
「おれは……」
 その先を続けることができない。レギウス自身にも答えはなかった。いまは、まだ。
 リンが苦笑を洩らす。はっきりとした答えは期待していなかったのだろう。痛みをこらえるような、乾いた笑い方だった。
 額や頬に玉を結んだ汗がレギウスにはひどく冷たく感じられた。自分が真っ黒に汚れているような気がして、たまらなく不快だった。
「お風呂、先に出てください。わたしはもう少しゆっくりしていきます」
 レギウスは黙ってうなずくと、湯船から出た。
 着替えを済ませて脱衣場をあとにするとき、リンの澄んだ歌声が背中から追いかけてきた。

 自分の部屋に戻ったレギウスは寝台の上に足を組み、ぼんやりと天井を見上げた。
 どのくらい時間が経ったのだろう。窓辺を照らしていた満月が夜空を昇りつめ、空の高みから真珠色の光を地上に投げかけていた。雨戸の半分しまった窓からは笑顔の満月がのぞいている。

 今宵は満月だ。

 レギウスは動きだした。
 隣の部屋の扉をノックもしないで押し開け、なかに足を踏み入れる。
 リンが寝台に腰かけてレギウスを待ち受けていた。照明はわざと落としている。室内を照らすのは満月の光だけだった。銀色の薄闇の底で、リンの妖瞳がほのかに輝いていた。
 レギウスはリンの前に立った。彼女を見下ろす。雪中花(せっちゅうか)の甘い香りが彼女の身体から立ちのぼってくる。それを肺に満たすと、肌(はだえ)の下の血潮が熱く騒いだ。
 リンが立ちあがる。微笑んでいる。立つとけっこう背が高い。レギウスとほとんど変わらない。
「準備はいいですか、レギウス?」
「ああ」
 リンはレギウスの腰に両腕を回した。思いのほか強い力で引き寄せられる。リンのふたつの胸のふくらみがレギウスの胸板に押しつけられた。
 リンがレギウスのうなじに顔をうずめる。そして、レギウスの肌に牙を──普段は隠れている小さな牙を立てた。
 レギウスの血を吸う。音をたてることもなく、静かに、ゆっくりと。
 レギウスは身体から力が抜けるのを感じた。気の遠くなるような快感が押し寄せてくる。てのひらに刻まれた契約の刻印が火傷しそうなぐらい熱くなった。刻印が歓喜の歌声を高くさえずっている。主人である錬時術師と肉体的な接触を得て、歓びに打ち震えている。
 その歓びは、レギウスの歓びでもあった。
 リンは、旧大陸の全土を統治する〈双頭の帝国〉──〈東の帝国〉と〈西の帝国〉のふたつの系統の両統迭立(りょうとうてつりつ)で連綿と帝位を継いできた旧帝国──の元皇女だ。そして、旧帝国の皇族と貴族は人間じゃない。
 彼らは巨神の被造物──吸血鬼だった。
 創世主戦争のとき、巨神の被造物のあらかたは自らの創造主に従い、そのことごとくが五柱の神々と人間たちに滅ぼされた。竜と吸血鬼だけが五柱の神々に味方したおかげでからくも滅亡をまぬがれた。以来、旧大陸はこのふたつの種族の支配する土地となっている。
 吸血鬼──彼らは自分たちを〈月の民〉と呼ぶ──を外見だけで人間と区別するのは難しい。彼らは旧大陸出身の人間とそっくりの見かけをしているからだ。それでも、新大陸の住民からすれば、吸血鬼は人間の血をすする忌まわしい怪物だ。〈統合教会〉から忌み嫌われているのも同じ理由からだった。
 レギウスもリンと出会う以前は旧大陸の吸血鬼を怪物だと考えていた。リンの護衛士となり、彼女の供血者──満月の夜と新月の夜に自分の血を分け与える者──となってからは、その考えもガラリと変わった。
 吸血鬼は人間の姿をした怪物なんかじゃない。
 人間の血を吸うが、彼らはむやみやたらと人間を殺したりしない。
 まるで虫ケラかなにかのように人間を殺すのは、彼らと同じ人間だった。そんな簡単な事実を悟るまでレギウスは何年も費やした。
(リン……おれは……おれは、おまえを……)
 抑えきれない欲望がうずくのをレギウスは感じた。五芒星の刻印がズキズキと脈動している。震える指先でリンの背中をなぞる。背骨の凸凹を服の上から丹念になぞった。彼の男性自身が頭をもたげるのを意識する。
 息苦しかった。このまま自分という海のなかで自分が溺れてしまいそうな、理不尽な錯覚を覚えた。
 リンの唇がレギウスの首筋から離れる。リンが満足げな吐息を洩らした。
「ありがとう、レギウス。今夜はこれで……」
 レギウスはいきなりリンを強く抱きしめた。
 リンは息を呑む。左右で色の違う妖瞳が彼と向き合う。
 レギウスの目の奥をのぞきこんで、リンが穏やかに微笑む。
 リンは目をつぶった。むせ返るほどの雪中花の香りが彼女の身体から立ちのぼってくる。それがレギウスの情欲をひどくそそる。
 レギウスはうめき声を洩らした。
 ありったけの自制心を動員して──
 リンの両肩に手を置き、彼女を優しく押しやった。
 乱れた息を整える。衝動に押し流されそうになった自分がどうにも恥ずかしかった。まともにリンの顔を見ることができない。
 リンがレギウスの手をそっと肩から外す。自分の両手でレギウスのこぶしを包みこんだ。
「レギウス、あなたさえよければ、わたしは……」
「リン」
 レギウスは鋭い口調でリンの言葉をさえぎり、