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銀の錬時術師と黒い狼_魔の島

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 激痛で朦朧(もうろう)とした頭を振り、レギウスは月の女王の美しく整った顔(かんばせ)を凝視した。自分でも気づかないうちに口の内側の頬肉をかんでいたらしい。声を出すと、口のなかに血の味が広がった。
「……おれたちは……どこへ……行けばいいんだ?」
「それを直接、教えることはできません。ルール違反になりますからね」
 月の女王はレギウスの頬を転がり落ちていく不純な涙を指ですくい、舌を出してそれをなめとった。女神の美貌が喜悦にほころぶ。
「これはゲームなんですよ、レギウス。わたしたちと巨神とのあいだのゲームです。ゲームにはルールがあります。それを破ることはできません。ですが……これだけは教えておきましょう」
「…………」
「〈太陽の都〉へ向かいなさい。そこに行けば、あなたたちの探しているものが見つかるはずです。いまから七日後に日食があります。そのときまでに仕事を終えるのです。いいですね?」
 次の瞬間──
 月の女王の姿は忽然(こつぜん)と室内からかき消えた。

 まるで潮が引くように、全身をさいなんでいた痛みがスッと消えた。
 銀色の月光に染まった室内。浮かれ騒ぐ男たちの哄笑(こうしょう)と女たちの嬌声(きょうせい)が、風に乗ってどこからか聞こえてくる。
 レギウスは肩で息をあえがせた。
 急いで自分の身体を点検する。どこもなんもない。が、ねっとりとした気色の悪い感触に下着をめくって確かめると、思っていたとおり白濁した体液を大量に放出していた。
「クソッ!」
 聞こえているかもしれないと思いつつ、月の女王をののしる罰当たりな悪態を吐き散らす。
 風呂に入って洗い流そうと思い、着替えを用意して風呂場へと足を向ける。
 風呂場はこんな場末の宿屋には珍しく、緑と白の縞目模様がきれいな緑成石を組んでつくった本格的なものだった。白く濁った湯船からは甘ったるい香りが漂ってくる。誰もいなかった。リンはもうすでにひと風呂浴びて、自分の部屋へ戻ったのだろう。
 身体を洗い、湯船に肩までつかる。湯気が渦巻き、天窓からこぼれ落ちてくる月光を吸って白く浮かびあがる。肌のひりつくような湯の熱さが気持ちよかった。
 目をつぶる。さきほどの月の女王のセリフが脳内で再生された。
 巨神のご老体たちを止めるのです、と彼女は言っていた。期限は日食のある七日後まで。月の女王が言うのだから、日食の予報は正確なのだろう。あまり時間は残されていない。
 それと、冥界の王がこの件にからんでいるかもしれない、とも彼女は警告していた。
 八千年前の創世主戦争で五柱の神々が巨神に勝利できたのは、冥界の王が彼らに味方したからだった。冥界の王は、巨神の一族でありながら同胞を裏切り、五柱の神々とともに巨神と戦った。その功績が認められて、創世主戦争の終結後、彼は冥界を統べる王となったのだ。
 五柱の神々──天界の女王、太陽の王、月の女王、大地の王、海の女王を正統な神として崇拝するのが、旧大陸や新大陸の南方五王国で主流の五神教徒だ。五神教徒は冥界の王を神と認めながらも崇拝の対象にはしない。
 一方、新大陸の中原七王国や北方の〈凍月(いてづき)の帝国〉では冥界の王も正統の神として崇拝する六神教徒が主流だった。五神教徒と六神教徒は同じ神々をいただきながらも互いを邪教と断じ、有史以来、終わりのない宗教戦争を繰り返している。
 創世主戦争で世界から逐(お)われた巨神は決して滅んだわけじゃない。世界と世界の隙間にある〈世界のはざま〉にひそみ、いまも虎視眈々(こしたんたん)と復活を狙っているのだ。月の女王が暗にほのめかしていたことから推測するに、ターロンの脱走と僧兵殺しの背後には、その巨神──この世界を滅ぼしてでも五柱の神々を屈伏させようともくろんでいる魔神たちが暗躍しているらしい。
(いいだろう、あんたのために働いてやるよ、おれの女神さま。おれの骨までしゃぶりたければそうすればいいさ)
 そろそろ湯船から出ようと立ちあがりかけたとき、入口の扉が開かれる音がした。ギクリとしたレギウスは中腰の状態で凝固する。浴場内に濃く立ちこめる湯煙の向こうに白っぽい人影が動いていた。
(……な? 誰だ?)
 音をたてないよう、あわてて湯船のなかに頭までもぐる。湯船の底を這って端っこのほうへ移動した。
 声が聞こえた。女の楽しそうな鼻歌。いつも慣れ親しんでいる声だった。
(まさか……リンか? あいつ、とっくに風呂から出たんじゃねえのか!)
 口から泡を吐きそうになった。必死にこらえる。
 リンの歌声が近づいてくる。お湯の乱れる水音。お湯が白く濁っているので視界がきかないが、リンが湯船に入ってきたらしい。
 心臓がバクバクと高鳴った。顔が火照っているのは、なにもお湯の熱さのせいだけではなかった。
 よくよく考えると、こうしてお湯のなかに隠れているのもヘンだった。レギウスは悪くない。レギウスが風呂に入っているときにあとからリンがやってきたのだ。こういう、のっぴきならない事態におちいった責任はリンにある。
(とはいえ、いまおれが飛びだしたら……)
 どんな状況になるのかはなんとなく想像がつく。きっとレギウスの言い分を認めてくれるだろうが、下手をしたらあらぬ要求──お互いに裸なのだから、条件は整っているのだ──を突きつけられるかもしれない。それはそれで困る。
(おれの前に風呂に入ってるはずだったのに……待てよ、月の女王……あのとき、なんて言ってた?)
 女神のセリフを正確に思いだす。彼女はこう言っていた。

『いいえ、あなたはリンの期待に応えていません。わたしが後押ししてあげましょう……』

(そういうことか! はめられた!)
 マズい。息が苦しくなってきた。空気が欲しい。
(し、死ぬ……おれはこんなところで死ぬのか……)
 リンの歌声が不意に途切れた。水音がこっちに近づいてくる。
「……誰かそこにいるんですか?」
 気づかれた。絶体絶命。息も続かない。限界だ。
(もう死んでもいい……)
 レギウスは全面降伏した。
 湯船のなかで立ちあがる。お湯が四方に飛び散った。
「プハァァァァァッ!」
 胸いっぱいに甘い空気を吸った。湯気が流れて視界が晴れる。
 一糸まとわぬ姿のリンとすぐ間近で対峙した。
 突然、お湯のなかから現れたレギウスを目にして、リンがポカンと口を開けている。
 湯船から上の、胸のふくよかな起伏とその先端の薄紅色の突起が、レギウスの眼底にくっきりと焼きついた。
 そのまま数秒間、レギウスとリンは穴のあくほど見つめ合った。
 リンの面前には、さきほど月の女王にこってりとしぼられたレギウスの分身がささやかな自己主張をしていた。
「…………」
 リンの視線がレギウスの股間に据えられる。お湯にあたって上気した頬がますます赤くなっていった。
 レギウス、涙目。猛烈に死にたくなった。
 自分も裸であることを思いだしたのか、リンはあわてて湯船に首までつかり、かすれた声を喉の奥からしぼりだした。
「……す、座ってください。そこに立っていられると……目のやり場に困ってしまいます」
「お、おう……」
 レギウスはその場に腰を落とす。