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紅装のドリームスイーパー

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「現実世界のわたしが薬袋さんと入れかわりましょう。それで元どおり……いえ、早見さんがいるんですから、彼女が交通事故に遭うまえの状態に戻ります」
「だって……だって、そんなことをしたら今度は葵が消えていなくなるんだよ? できるわけないじゃない!」
 葵は深いため息をつく。あたしをしっかりと正視して、ひと言ひと言を区切るように言った。
「どのみち、わたしはもうすぐいなくなります。たぶん、あと数時間ももたないでしょう。現実世界のわたしは……死にかけてるんです」
「え?」
 そこで、思いいたった。葵の現実世界での姿に。
 すべてのパズルのピースが、あるべきところにピタリと収まった。葵が誰なのかを、あたしは察する。
「島幸恵さん……葵、あなたの現実世界での姿は幸恵さんなの?」
 葵は目をパチクリさせてから、苦笑を洩らした。
「わかったんですね。はい、そうです。現実世界でのわたしは島幸恵です」
 ヒントはいくつも隠されていた。
 葵のセーラー服。学校の制服だと彼女は言っていた。幸恵さんは孫の沙綾さんと同じ、桜玉(おうぎょく)女子学院の出身だ。そして、沙綾さんの学校の制服はセーラー服だった。
 ルウ。ルウの名前も姿も、葵の飼い猫がもとになっている。山崎はなんて言っていた? ルウは死んでいる、と発言していた。沙綾さんはネコを飼ったことがない、と語っていたが、沙綾さんが生まれるまえに幸恵さんが飼っていたネコがルウだとしたら? それなら、沙綾さんがルウを知らないのもうなずける。
 それに、初めて葵と会ったときの夢。翔馬は学校で居眠りをしていた。真っ昼間のあの時間帯に、葵が夢の世界にいたのはどうしてなのか? 答えは簡単だ。幸恵さんは病院で眠りについていたからだ。
 翔馬は性別を変えてあたし──芽衣になった。幸恵さんは年齢を変えて葵になったのだ。
「……誰なの、その女のひと?」
 花鈴が声を低めて、
「もしかして、新城君の……」
 葵はクスリと笑って首を横に振り、花鈴の勘違いを明確に否定する。
「違います。わたしたち、薬袋さんが考えてるような関係じゃありません。現実世界のわたしは八十四歳のシワクチャのおばあさんですよ。それに、もうすぐ寿命が尽きようとしています」
 今日、あたしに遅れて夢の世界に現れたとき、なぜ葵がぼんやりとしていたのか、あたしはようやく理解した。葵は、自分の死期をはっきりと悟っていたのだ。普通の心持ちではいられなかったはずなのに、人生最後の数時間をあたしといっしょになって夢魔と戦ってくれた。
 そのことが、あたしの心に鋭い痛みをもたらした。見た目は葵とそんなに変わらない少女なのに、なにも知らずにいた自分がひどく子供じみた、幼い存在に思えた。
 あたしの表情を読んだのだろう、葵はあたしの手に自分の手をそっと重ねて、
「気にしないでください。わたしはドリームスイーパーとしての責務を果たしただけです。芽衣が気に病むことはないんですよ」
「でも、あたし……」
「あなたに会えてよかった、芽衣。わたしはそれをとても感謝しています」
 泣きそうになった。けれども、ここで泣いたら葵を困らせてしまうような気がして、あたしは涙をグッとこらえた。
 ルウは無言。不機嫌そうな目つきで、あたしと葵を等分にながめている。
「ルウ、お願いです。あなたならできるはずです。現実を上書きして、島幸恵を薬袋さんに置きかえてください」
「できない。そう言ったはずだ」
「あまり時間がありません、ルウ。早く……」
「断る!」
 ルウが怒鳴った。背中の毛を逆立てて葵をにらみつける。
「たとえきみの願いであっても聞き入れるわけにはいかないぞ! 私はゲシュタルトのドリームマスターだ。人間の欲求に応じて現実世界を都合よく書きかえるなんて、私の本来の仕事じゃない!」
「現実世界も夢の世界のひとつです。それを元どおりに復元するのも、あなたの役割ではないんですか?」
「とんでもない詭弁(きべん)だな。私のゲシュタルトを保持するのが、私の唯一の存在理由(レゾンデートル)だ。それ以外に私が存在する価値はない」
「ルウ」
 葵は優しい声になった。
「あなたには複数のドリームスイーパーが必要です。ドリームスイーパーひとりでは強力な夢魔に太刀打ちできません。そのことを今回の戦いで痛感したはずです」
「なにが言いたいんだ?」
「島幸恵はもうすぐ死にます。死ねば、ドリームスイーパーの葵もいなくなります。でも、島幸恵を薬袋さんに置きかえれば、今度は彼女が……」
 そこで花鈴を目で示して、
「彼女が新しいドリームスイーパーになってくれるでしょう。上書きされたとしても、島幸恵の夢見人(ゆめみびと)としての能力は薬袋さんに引き継がれるんでしょ?」
「おそらくな。きみの言うとおり、人格が入れかわるだけだから、夢見人の能力には影響がないだろう。だが、それだけの理由できみを抹殺するようなことはしないぞ」
「抹殺されたりしませんよ、わたしは。現実世界から島幸恵がいなくなったとしても、わたしのことはここにいる芽衣と薬袋さん──それにルウ、あなたが憶えてくれています。それが、わたしの生きたあかしになります。わたしはそれで充分です」
「私を説得しようとしてもムダだぞ、葵」
 葵は吐息をつく。花鈴は固唾(かたず)を呑んで成り行きを見守っている。あたしは……混乱していた。どうすればいいのか、わからない。花鈴は助けたい。でも、葵を犠牲にしたくない。またもや両立しない、二者択一だ。方程式はここでも残酷な解を求めている。
「葵……ひとつだけ、教えて。もし、島幸恵さんが花鈴に置きかわったとしたら、孫の沙綾さんは……幸恵さんの家族とかはどうなっちゃうの?」
「島幸恵の家族まで消えていなくなってしまう、と心配してるのなら、それはないと断言しておこう」
 葵の代わりにルウが答えた。
「現実世界はすべての人間の共通認識で成り立ってる世界だ。共通認識はひとつしかないから、現実世界は一見すると硬直した世界に思えるが、大きな変化を受容する柔軟性も持ちあわせてる。夢魔や私が現実世界に現れても、その変化を難なく吸収してしまうぐらいだからな。いくらでも融通がきく。島幸恵がいなくなっても、彼女の家族は別の誰かの家族として存在し続けるよ」
「そんな……沙綾さんは幸恵さんのこと、忘れてしまうっていうの?」
「それはささいなことです。わたしはもう現実世界に未練はありません。たくさんのひとたちに出会えて……愛して、愛されて……悔いのない、すばらしい人生でした」
「だからって……」
「芽衣」
 葵が背後に立ちすくむ灰色の校舎へ顎をしゃくって、
「ここは新城君がかよってる学校ですか?」
「……うん」
「また薬袋さんといっしょに学校へ行きたいとは思いませんか?」
 あたしは返答に窮する。ウソはつきたくなかった。「思ってない」なんて答えたら、真っ赤なウソになってしまう。だって、そのために夢魔と戦ってきたんだから。
 花鈴が首を横に振った。
「もうやめて。誰かを犠牲にしてまで生きたいとは思わないよ、わたし。こうなったのも自業自得だから。わたしの責任なの」