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紅装のドリームスイーパー

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 広間をあっという間に横断して、やってきた階段を駆けのぼる。まるでジェットコースターに乗っているような感覚だった。どんどん景色が後ろに流れていく。あたしの後ろで葵が息を呑む。あたしはしがみつくのに精一杯で、周りに注意を払う余裕なんてなかった。
 ルウのしなやかな筋肉がたゆまず躍動する。行きはあれほど苦しんだ道のりを、帰りはほんの二、三分で踏破した。甲虫の死骸に群がるアリみたいに密集していた尖兵の姿は消え失せていた。無人となった要塞の開口部を駆けぬけて、虚空へとおどりこむ。
 いったい、なにを蹴ってまえへ進んでいるのか──なにもない真っ暗な空間をルウはひたすら突き進む。これで翼が生えて馬の姿をしていたら、伝説の天翔(あまか)けるペガサスにそっくりだと思ったことだろう。
 あたしは首をねじ曲げて背後を振り向いた。黒い太陽が崩壊していく。表面がひび割れ、亀裂が広がり、いくつもの大きな破片に壊れていった。真っ黒な稲妻が表面を乱打している。観察しているあいだにもルウは虚空を猛スピードで突進し、黒い太陽はどんどん後ろに遠ざかっていった。
 突然、要塞が音もなく、内部から破裂した。
 波紋にも似たどす黒い衝撃波が球状に拡散し、あたしたちを追いかけてきた。
 マズい、衝撃波に追いつかれる、と思ったとき──
 ルウが遷移した。

 誰かの夢。
 悪夢に汚染されていない、清浄な夢。
 遷移した瞬間、あたしは悟った。皮膚で感じる親和性。これはあたしの夢──翔馬の夢だ、と。
 あたしは周囲を見回す。景色には見覚えがあった。砂利を敷いたグラウンド、角張った灰色の校舎、かまぼこ型の体育館。城南高校だ。あたしたちは、城南高校のグラウンドの真ん中にいた。
 ルウがフウと息をつく。首をひねり、背中のあたしたちをジロリとにらむ。
「いつまで私の背中に乗ってるつもりだね? さっさと降りたまえ」
 あたしはのそのそとルウの背中から降りた。ギクシャクとした一連の動作は、「降りた」というよりも「落ちた」と表現したほうがよりふさわしかった。葵を手伝って、花鈴の身体をグラウンドに横たえる。葵はふらつきながらもルウの背中から降り立った。
 ルウの身体が縮む。数秒でもとの黒ネコに戻った。あたしの批判をこめた視線に気づいたルウが不思議そうに小首をかしげる。
「なにか言いたそうだな、芽衣?」
「黒ヒョウになれるんだったら、あたしたちといっしょに戦ってくれてもいいじゃない。どうせほかの動物にもなれたりするんでしょ?」
 そういえば、ルウは現実世界で梁川澪と名乗る少女の姿を借りて翔馬のまえに現れた。もともと姿形がないのだから変化自在なのだろう。たまたま無力そうな黒ネコの姿をしているだけであって、その気になれば巨大なドラゴンにだって変身可能なはずだ。
「フム。私は戦いに参加できない、と何度も説明してるはずだがな。まだ理解できないのかね?」
 あたしはうなる。ここでルウと議論しても実りはない。それよりも、目下の問題は……。
 あたしは花鈴に目を向ける。胸に手を組み、眠っている。まだ目を覚まさない。安らかな寝顔──夢のなかで寝る、というのもなんだかヘンだけど。
 葵と目が合った。複雑な表情。あたしはうなずく。わかってる。これですべてが解決したんじゃないってこと。
 花鈴は助かった。花鈴に憑依していた夢魔は滅び、彼女が完全に現実世界から消え去ってしまう事態を防ぐことはできた。
 が、花鈴を助けたってことは……。
「……菜月はどうなるの?」
 落ち着いて話すつもりだったのに、あたしの声は不安と焦燥でうわずっていた。
 このままだと菜月は死者に戻ってしまう。彼女の笑顔を永遠に消してしまうことになる。
 葵は短い吐息をつく。目をつぶった。
 あたしは葵の言葉を待つ。冷酷な方程式を根底からくつがえすような、思いもよらない解決策を葵が提示してくれる、と期待して。
 ややあって、葵は目を開いた。真顔をつくり、あたしと視線をからませる。重々しい声で葵は言った。
「薬袋さんは現実世界に戻ります。問題は……」
 とうとつに葵のセリフをルウが途中でさえぎった。
「いや、残念ながらそれはないな」
「「え?」」
 あたしと葵の、間が抜けた反応に、ルウは諭すような口調で、
「タイムリミットは過ぎた。薬袋花鈴はもう現実世界に還れない」
「……な?」
 あたしは絶句する。ルウの言葉の意味が頭に浸透するまで、秒針が半回りするだけの時間がかかった。ようやく事態の深刻さを実感し、あたしは愕然とする。
「どういうことなんです?」
 と、眉をひそめて、葵。
「言ったとおりだ。四十八時間のタイムリミットが過ぎた。現実世界はもう復元されない。薬袋花鈴はいわば……」
 ルウが珍しく言いよどむ。ルウの言葉の続きを葵がかすれた声で補った。
「ファントムと同じ存在になった、ということですね?」
「そうだ。もう彼女を救う見込みはない。逆に……」
 ルウはあたしをまっすぐに見据えて、
「早見菜月は現実世界に固定された。彼女が死者に戻ることはない。完全に入れかわったんだよ、薬袋花鈴とね」
 あたしは言葉も出ない。なんとか混乱した思考から抜けだして、ルウを問いつめる。
「そんな……四十八時間以内に夢魔を滅ぼせば現実世界が復元されるって、ルウは言ってたじゃない」
「そのとおりだ」
「まだ四十八時間も経ってないのに、どうしてなのよ!」
「そうかな? よく思いだすんだ。新城翔馬が薬袋花鈴と最後に接触したのはいつだね?」
「それは……」
 あたしは翔馬から受け継いだ記憶をほじくり返す。先週の土曜日。菜月のお墓参りの帰りに、花鈴の住むマンションに立ち寄った。あのときは花鈴の母親が応対に出た。だから、あの時点まで現実が改変されていなかったのは確実だ。そのあと、病院に寄り、帰ってきてから晩ご飯を食べて……風呂にも入って……着信履歴が残っていた浩平のケータイに電話してみた。すると、花鈴はここにいる、とヤツが返答した。「花鈴を電話に出してくれ」と翔馬が言ったら、「薬袋さんは誰とも話したくないそうだ」と浩平が答えた。だから、あのときまで花鈴が現実世界にいたのは確かだ。だとすると、夜の九時過ぎぐらいだったから、まだ四十八時間は経っていないことになる。いまは夢の世界にいるから、現実世界の時刻を知るすべはないが、夜になっても翔馬が学校の保健室で寝ている、ということはいくらなんでもありえないだろう。
 おかしい。つじつまが合わない。もしかしたら、なにか大事なことを見落としているのかも……。
 考える。すぐに気づいた。浩平に電話したとき、翔馬は花鈴と直接話さなかった。浩平が「薬袋さんはここにいる」と言っただけだ。浩平がそばにいる誰かと会話する声が聞こえたが、相手が花鈴だという確証はない。浩平がそれらしく演技をしていただけなのかもしれない。
 それに、浩平に電話したあと、かけてもムダだと思って花鈴には電話しなかった。つまり、あのときすでに現実世界が改変されて、電話帳から花鈴の名前が消えていた可能性がある。それを翔馬は確認していない。
 花鈴が現実世界からいなくなったのが、夜の九時以降じゃなくて、それ以前の時間帯だとしたら?