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紅装のドリームスイーパー

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 葵が目を見張る。あたしはポカンと口を開けたまま、翔馬を見つめる。マナの伝導性を阻害する要素によって威力が半減していたとはいえ、一撃必殺の奥義を受けてなお立っていられる翔馬の底なしの耐久力に、あたしは度肝を抜かれた。
「……化け物だな、こいつは」
 ルウのひどく場違いな感嘆の声。
 翔馬が吠える。こぶしを振るう。ゴウッと風がうなった。
 翔馬のこぶしが葵の腹にめりこんだ。
 葵の悲鳴。身体をふたつに折って、後ろに吹き飛ばされる。ゴロゴロと転がり、四肢を伸ばして床に倒れ伏した。起きあがってこない。指がかろうじてピクピクと動く。
「……あ」
 あたしは呆然とする。翔馬があたしに向き直る。残忍で獰悪な笑み。
 突如として、部屋のなかに立ちこめていた闇の残滓が溶けてなくなった。室内に淡白な白い光が戻ってくる。
 玉座に腰かけた花鈴がクスクスと笑っていた。翔馬からあたしへと視線を移し、黒く塗られた唇の端をつりあげる。
「やっぱり翔馬には勝てないようね。これで終わりよ」
 花鈴が無造作に手を振る。翔馬が腹の底から胴間声(どうまごえ)を響かせる。こぶしが飛んできた。その残像が、あたしの視野のなかで揺れ動く。
「芽衣!」
 ルウの警告。肩に喰いこむ黒ネコの爪。翔馬のこぶし。打ちだされる肉のかたまり。
 この男を斃すにはこれしかない。
 敵のこぶしをつぶす!
 あたしはドリームブレイカーを突きだす。正確に、すばやく、一点を狙って。
 ドリームブレイカーの切っ先がスッとすべる。翔馬のこぶしの中指と薬指の隙間に刃がもぐりこむ。骨にあたって刃が止まった。
 翔馬のギョッとした顔。瞬間、動きが静止する。その刹那(せつな)をあたしはたぐりよせる。
 結果がどうなろうと、翔馬に勝たないかぎり花鈴は救えないのだから、あれこれ考えてもしかたがない。
 だから、あたしは迷わず口にした。奥義発動のフレーズを。
「奥義──ブラッディドリーマー」
 体内に残っていた力をすべて注いだ。こみあげてきたエネルギーを解き放つ。灼熱の波濤があたしの身体のなかで荒れ狂い、腕から指、指からドリームブレイカーへと流れこんでいく。魂が抜けていくような脱力感がいっそ心地よい。夢のなかの夢見心地。
 ドリームブレイカーがあたしの呼びかけに応えた。刀身から白い蒸気がわき起こる。
 深紅(クリムゾン)のドラゴンがあたしの頭上で折れた翼を広げた。ドラゴンが牙をむき、声なき声でたけり、怒髪天をつく憤怒に身を焦がす。
 血の色をした一陣の疾風があたしをさらった。
 紅蓮(ぐれん)の衝撃波。焦熱の渦流。燃えたぎる太陽のように、熱く、熱く、灰も残さず焼きつくす。
 ドリームブレイカーの白く濁った芯が真っ赤に変色した。
「刃牙(ジンガ)!」
 あたしは加速する。時間の流れが勢いを失っていく。
 翔馬の口がゆっくり、ごくゆっくりと開いていく。Oの字に開いた口。巨大なヒルのような舌が口腔の奥から伸びてくる。
 花鈴が玉座から立ちあがろうとしていた。その動作さえもノロノロとしている。間延びした花鈴の声があたしの耳朶(じだ)に触れた。
 あたしはドリームブレイカーの刃を押しこんだ。
 翔馬のこぶしを割り、腕を引き裂き、肩を切断する。そのまま、力任せに翔馬の身体の奥深くへと刃をすべりこませていく。肉を断ち、骨を砕く。粘土でつくった人形を壊していくような、そんな錯覚を覚えた。
 翔馬の開いた口から圧縮された絶叫が押しだされた。ルウがあたしの肩から飛び降りる。背筋を弓なりに反らして空中で固まった黒ネコは、錯乱した画家の抽象画のようにも見えた。
 花鈴が駆け寄ってくる。ゆっくりと。ラピスラズリの瞳が濡れていた。驚愕の表情。
 ドリームブレイカーの切っ先が翔馬の骨盤を分断し、左の太腿から抜けでた。
 時間が戻ってきた。
 翔馬が倒れる。無機質な黒い床がその身体を乱暴に受け止める。
「翔馬!」
 花鈴が叫びながら翔馬の身体の横に膝をつく。翔馬の頭を両腕に抱えた。翔馬はピクリとも動かない。うつろに見開かれた目がいたずらに宙を泳いでいた。
「翔馬……」
 花鈴が肩をわななかせてすすり泣く。翔馬の頭をギュッと抱き寄せ、頬を翔馬の頬にすりつけた。翔馬の唇の端から黒く汚れたよだれが垂れた。
 あたしは立っていられなくなり、その場にへたりこんだ。あたしの指から離れたドリームブレイカーが光に溶けて消えていく。
 ルウがあたしの顔をのぞきこんでくる。
「芽衣、まだ終わっていないぞ。夢魔の本体を滅ぼすんだ」
 あたしはルウをにらんだ。無茶な要求だ。もう身体が動かない。動けと手足に念じても、筋肉が震えるだけだった。力が蒸発した喉からはしゃがれた声しか出てこなかった。
「……あたしは……もう……」
「立つんだ、芽衣。きみの責務を果たしたまえ!」
 あたしは唇をかみしめる。痛みさえも遠い感覚になっている。視界が左右に揺れていた。ルウの輪郭が二重に見える。
 花鈴はまだ泣いていた。動かない翔馬の身体に寄り添い、パックリと大きく裂けた胸と腹に手を這わせる。あたしをにらみつける。憤怒の形相で。白い頬に血の気が差した。
「よくもわたしの翔馬を……。許せない。絶対に、許せない!」
 花鈴が翔馬の胸の傷口に手を突っこむ。淡い黄色の光の粒が花鈴と翔馬を包んだ。
 ルウがハッと息を呑む。
「いかん! 翔馬と融合する気だ!」
 あたしは身動きできなかった。なにもできないまま、花鈴と翔馬の影が溶けあい、ひとつになるのを見守っていた。花鈴と翔馬を包む光の粒が弾けると、花畑にいるようなふくよかな香りが広がって、あたしの鼻腔を刺激した。
 ゆらりと立ちあがる。花鈴と一体化した翔馬が。黄色の柔和な光が男の全身をまさぐり、傷を癒していく。光が消えると、城南高校の制服を着た翔馬があたしの面前にたたずんでいた。穏やかな顔つき。優しげな笑みをたたえた口許。ラピスラズリの光を宿した双眸。
 翔馬の笑みを浴びて、あたしは総毛立つ。
 翔馬が、結晶化した微笑みをそのままに、緩慢な動きであたしに近づいてくる。
 ルウが近づいてくる翔馬に向かい、背筋を丸めて全身の毛を逆立てた。
「芽衣! 立つんだ!」
 あたしは立とうとして……ぶざまに腰が砕けた。ルウが何度も叫んでいる。それでも、足腰に力が入らない。もはや体内にマナはほとんど残っていなかった。
 翔馬があたしのすぐ目の前に立つ。笑顔を崩さない。至福の笑みに満たされた表情。
 翔馬が左足を軸にクルッと回転する。空気が裂けた。強烈なキックがあたしの顎をとらえる。あたしは宙を飛ぶ。肩口から床に落ちる。衝撃。苦痛。視界がひび割れた。
「……ウ」
 頬にあたる床が生温かい。焦点の定まらない視野のなかで、葵が手をつき、上半身を起こそうとしていた。
「……芽衣」
 翔馬が走る。ようやく上半身を起こした葵の胸を容赦なく蹴りあげる。葵の悲鳴。後ろにのけぞって倒れる。倒れた葵をさらに蹴る。鈍い打撲音。葵のうめき声。
「……やめ」
 あたしは力を振りしぼって身体を起こす。無抵抗の葵を翔馬が蹴る。微笑みながら、何回も、何回も。
 その光景が無性に悲しかった。手をこまねいて見ているしかない自分が歯がゆかった。