紅装のドリームスイーパー
あたしの隣では葵が武器を召喚していた。矢をつがえ、狙いを天井に向ける。矢を放った。矢の尾端の矢筈(やはず)に、白い光の束をよじったヒモのようなものがついている。矢が天井に命中する。鏃(やじり)が隠れるぐらい、深くもぐりこんだ。落ちてこない。ぼうっした光を放ったまま、しっかりと天井に喰らいついている。葵が矢とつながったヒモをグイッと引っ張り、強度を確かめる。どんなに引いても矢は外れなかった。
「芽衣、わたしの手につかまってください!」
あたしは左手で葵の右手をつかむ。ルウがあたしの身体を駆けのぼり、腕を伝って、葵の肩の上に移動する。
尖兵がすぐそばまで接近してきた。消滅した尖兵も次々に再生され、攻撃に加わる。
葵が光のヒモを左手でにぎり、床を蹴った。ヒモが巻き取られていく。あたしたちの身体が上昇していった。
城南高校の数学の教師が飛びつき、あたしの右足首をつかむ。あたしは急いで武器をドリームブレイカーに変え、数学教師の腕を肘から切り落とした。教師にあるまじき罵声をあげて、数学教師が落ちていく。
幸いにして尖兵には飛行能力がないようだった。あたしたちの真下に集まり、こぶしを突きあげて口々にわめいている。
秩序も脈絡もない、いろんなモノが下から飛んできた。特大サイズのカッターナイフ、針のようにとがったシャープペン、鋭いトゲが生えた教科書、先端が刃物になったゴルフのパター、白い煙をあげるサッカーボール。
投げつけられてくる武器を、あたしはドリームブレイカーでかたっぱしから払い落とした。葵は両腕がふさがっているので反撃できない。ルウは短い前脚を使って、葵に向かって飛んできた武器を必死になってはたき落としている。
大樹が叫んでいる。ボールを投げつけてきた。あたしは飛んできたボールをバット代わりのドリームブレイカーで打ち返す。ボールは見事に大樹の額にヒットした。大樹が昏倒する。
尖兵がモゾモゾとうごめく。なにをしているんだろうと不審に思ったが、すぐにヤツらの意図が読めた。ひとりが別のヤツを肩車して立ちあがり、上のヤツがさらに三人目を肩車する。体重なんて関係ない。人間の塔が見る見る積みあがっていく。
葵が光のヒモをたぐり寄せる。高さは七メートルぐらい。天井が近くなってきた。
人間の塔が驚くべきスピードでつくられていった。あっという間にあたしたちと同じ高さに追いつく。てっぺんによじのぼってきた森が、至近距離から呪いの言葉を吐く。
「リア充爆発しろ!」
言葉の矢弾が空気を引き裂いて飛来してきた。こんな不安定な体勢じゃうまく応戦できない。半分以上があたしの軽鎧(ライトアーマー)に命中し、一瞬、意識が混濁する。それでも葵とつないだ手を放さなかったのは、葵がしっかりとにぎってくれていたからだ。
「芽衣、しっかりして!」
葵が甲高い声であたしを励ます。ルウが肉球の手であたしの頬をピシャピシャとたたいた。なんだかムカつく。
あたしはうめき声をあげた。武器を夢砕銃にチェンジする。いちばん下で肩車をしているヤツを狙い撃つ。全員を支えていた尖兵が銃弾を浴びて消えると、人間の塔はあっけなく崩壊した。森が絶叫しながら転げ落ちていく。
やっと天井までのぼってきた。ここに出口があるにしても、出口の開け方がわからない。まさか「開けゴマ」とでも唱えるのだろうか。葵は悩まなかった。勢いをそのままに、天井めがけて突っこんでいく。激突する、と目をつぶったが、水に飛びこんだときのような軽い抵抗感があっただけで、あたしたちの身体は天井板をすり抜けていた。
天井裏の空間に出る。助かった。
あたしは手足を投げだして、天井裏の床にへたばった。葵が震える息を吐く。周囲を見回して警戒している。誰もいない。狭い通路だった。立ちあがると頭が天井につきそうだ。幅も両手を横に伸ばしたぐらいの広さしかない。真っ黒な壁と天井でできているのはいままでと同じだ。通路はわずかに左にカーブしていて、さきを見通せない。
あたしは全身をさいなむ鈍痛で、しばらく起きあがることもできなかった。
ルウがあたしの顔を上からのぞきこむ。金色の眼を細めた。
「大丈夫か、芽衣?」
「……たぶん、大丈夫じゃないわね」
あたしは肘をついて上半身を起こす。葵が立ちあがるのに手を貸してくれた。背筋が痛む。まるでフルマラソンを完走した直後のような倦怠感が筋肉を弛緩させている。マナの消費が激しい。それを実感する。
「芽衣、歩けますか?」
葵が心配そうな顔をしている。あたしは無理に微笑んだ。笑顔がぎこちなかったかもしれない。葵の憂え顔は晴れなかった。
「まだ戦えるよ、あたし。行こう」
葵はコクンとうなずく。ここまで来て引き返すことはできない。葵もそれをわかっている。反論はしなかった。
あたしと葵は通路を歩きだした。ルウが左右に身体を揺らしてついてくる。
マナがもつかどうかは気にしていられない。前進あるのみ、だ。
左にカーブした通路をたどっていくと、しだいに床が傾いてきた。緩やかな螺旋を描いて、下りの傾斜路が延々と続いている。敵は出現しない。あたしを先頭に、葵、ルウの順番で幅の狭い通路を歩いていく。
このさきに夢魔──花鈴がいる。一歩一歩、近づくごとに花鈴の存在が重みを増して、あたしの心にのしかかってくる。あたしはまだなにも有効な解決策を見出していない。
花鈴を救うこと。それと同時に菜月も救うこと。
なにも思いつかなかった。それなのに、夢魔との決戦がどんどんせまってくる。
なんとかしないといけないけれど……いまは夢魔を滅ぼすことに専念したほうがいい。状況しだいで自然と解決策が見出せるかもしれない。そんな他力本願の希望を、あたしは抱いていた。
どこまで下っても終わりがないと思えてきたころ──豁然(かつぜん)として広い空間が目の前に開けた。
半球形のドーム状の空間。直径は五十メートルぐらい。黒一色の床や壁の曲面には、複雑に枝分かれした稲妻のような赤い文様が刻まれていた。一定間隔を置いて赤い稲妻がピクリと脈動し、室内を夕暮れのような朱色の光で満たす。錆びた鉄のような、金臭(かなくさ)いにおいが空気に濃い。息を吸うだけで肺がただれるような気がした。
広間の中心に背の高い椅子が安置されていた。どうみても玉座だ。そこにひとりの少女が腰かけ、肘かけに頬杖をついてあたしたちをけだるげに見つめている。
薬袋花鈴。夢魔と同化した少女。胸元の大きく開いた黒いドレスに身を包んでいる。ドレスだけじゃなく、爪や唇まで黒く塗られている。アニメに登場する悪役の魔女を彷彿とさせる風体(ふうてい)だ。ラピスラズリの不思議な色をたたえた瞳が、あたしたちをぞんざいになめまわした。
玉座の後ろから男がひとり進みでてきた。花鈴のまえに腕を組んで仁王立ちする。
あたしはうなり声をあげる。
男は、新城翔馬だった。格闘家のような真っ黒の道着を着ている。僧帽筋の盛りあがった肩。厚い胸板。やたらとマッチョだ。実物よりもずっと体格がいい。
翔馬は能面みたいに無表情だった。カラスの濡れ羽色の双眸が妖しく光っている。
「とうとう来たんだね、ここまで……」
作品名:紅装のドリームスイーパー 作家名:那由他